6. 席は選ばれる
翌朝、私はほとんど眠れないまま目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光は弱々しく、沈黙だけが部屋の隅に澱んでいた。
隣の部屋を尋ねると、飯坂はすでに起きていた。机にノートパソコンを広げ、古い資料をめくっている。
「早いな」
声をかけると、彼女は資料に目を移す。
「うん。寝てる場合じゃない気がして」
その言葉に、冗談めいた響きはなかった。
机の上には、五百田村に関するコピー資料が散らばっている。
祭りの写真、自治体の広報紙、地元新聞の切り抜き。私は椅子に腰掛け、画面を覗き込んだ。
「何かわかったのか」
「確証まではいかないけど……」
飯坂は、ある一枚の紙を指で叩いた。
県境の町の公民館だより。日付は数年前のものだ。行事予定の欄に、小さく書かれた文字がある。
《慰霊講》
「祭りとは別の催事だな」
「うん。規模は小さい。でも、毎年この時期に必ずある」
飯坂は、視線を落としたまま続けた。
「これも、こないだの祭りと同じ。内輪だけで行われる」
それは、これまでの取材と符合していた。大々的な祭りではない。観光客も呼ばない。人を増やさない。席を、増やさない。
「で、次はいつだ」
飯坂は、少しだけ間を置いた。
「十日後」
飯坂は、そう言ってから、少しだけ言葉を切った。
「正確には、催事自体は十日後。でも……」
彼女は、資料の端を指で押さえた。
「古田さんが消えたのは、祭りの一週間前だった」
私は、はっとして顔を上げた。
「つまり、催事の準備が始まる頃には、もう――」
「うん。完全に“数から外れる”」
飯坂は、淡々と続けた。
「だから、実質的なタイムリミットは三日。そこを過ぎたら、もう私の名前は、どこにも残らない」
三日。
短すぎる。準備をするには、あまりにも。
「場所は」
「五百田村の、あの神社。祭りとは別の日。外には知らせない」
彼女は、私をまっすぐに見た。
「間違いなく、次がある」
その言葉で、すべてが繋がった気がした。
編集長が消えた時期。古株の席が空いた時期。そして今、飯坂が数に入らなくなっていること。
すべてが、催事を軸に並んでいる。
「……止めるしかないな」
私が言うと、飯坂は小さく頷いた。
「うん。でも、前みたいな取材じゃだめ」
「わかってる」
私は、無意識に拳を握っていた。
「空席は、誰も座らないことで成立する。だったら――」
「座る」
飯坂が、先に言った。
その言葉は、軽かった。だが、覚悟が滲んでいた。
「一人じゃ、だめだ」
私は、すぐにそう言った。
飯坂は、少し驚いたように目を瞬かせる。
「……どういう意味?」
「君が座るなら、俺もやる」
私は、言葉を選ばなかった。
「一人で信仰を壊すと、次の空席が生まれるだけだ。二人でやる。記録する人間と、座る人間。両方いないと、意味がない」
飯坂は、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと笑った。
「取材者らしい言い方」
「そうか?」
「うん。嫌いじゃない」
彼女は、資料を一つにまとめ、鞄に入れた。
「じゃあ、決まりだね」
「ああ。五百田村に戻ろう」
「ううん」
飯坂は、首を振った。
「“戻る”んじゃない。“入り直す”」
その言葉の意味を、私はまだ完全には理解できていなかった。
ただ一つ確かなのは、時間がないということだ。
三日後、また席が用意される。
そして今度こそ、誰かの名前が、そこから消える。
私は、窓の外を見た。山の稜線が、朝の光にくっきりと浮かんでいる。
――次は、こちらが選ぶ番だ。




