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4. 欠位の祝祭

 翌朝、五百田村は驚くほど穏やかだった。


 畑ではすでに何人かが作業を始めていて、

 鍬の音が一定の間隔で響いている。

 子どもの姿も見えた。ランドセルを背負って、

 舗装されていない道を歩いていく。


「思ったより、普通だな」

 私が言うと、飯坂は小さく笑った。


「何を期待してたの?」

「もっと、閉じてるのかと思ってた」

「それは、取材に来る前の話」


 彼女の言い方には、もう一度ここを見ている人間の距離感があった。


 私たちは、それとなく村人に混じった。

 話を聞く、というより、話に混ざるに近い。


 畑の脇で休憩していた男性に、飯坂が声をかける。

「いいところですね」

 それだけだった。

「まあ、何もないけどね」

 男は笑って、腰を伸ばす。

「この時期は忙しいけど」

「お祭りの準備ですか」

 私が続けると、男は頷いた。

「毎年やってるから」

「人、集まります?」

「来られる人が来るよ」


 それで会話は一度切れた。

 天気の話に移り、作物の出来の話になり、いつの間にか、私たちはその場を離れていた。

 別の場所でも、似たようなやり取りが続いた。


「にぎやかになりますね」

「まあね」

「準備、大変そうだ」

「まぁ慣れてるから」


 誰も、特別なことは言わない。

 こちらが深掘りしなければ、話は自然に終わる。


 集会所でも同じだった。

 机と椅子を並べている人に、私は何気なく言った。


「多めですね」

「ああ」

 返事はそれだけだった。

 理由を聞く間もなく、別の椅子が運び込まれ、並びが整えられる。


 説明はない。

 だが、説明が必要な空気でもない。


 昼過ぎ、私たちは村外れの小さな空き地で休憩した。

 木陰に腰を下ろし、私はノートを開く。


「原稿、どう書く?」

 飯坂が聞く。


「書ける部分自体は多い」

 私はページをめくりながら答えた。

「農業の形、過疎、共同体の維持。よくある地方の記事としては成立する」

 めくっていたページが止まる。


「問題は、そこじゃない」

 私はペン先で、何度も同じところをなぞった。

 五百田村。祭り。空席。

「これを書くと、全部が説明みたいになる」

「書かないと?」

「ただの紀行文だ」

 飯坂は、黙って聞いている。


「一番厄介なのは」

 私は言葉を探しながら続けた。

「書こうとすると、“それは事実か?”って自分に聞き返したくなるところだ」

「事実じゃない?」

「分からない。でも……」


 私は集会所の方を見る。

 昼の光の中では、ただの建物だ。


「編集部の席も、事実だ」

 私は言った。

「でも、因果関係は証明できない」

「証明できないものは、書けない?」

 飯坂が聞く。

「書ける」

 私は即答した。

「ただし、書き方を選ぶ」

「どう選ぶ?」

「特定も、断定もしない」

「それで伝わる?」


 私は少し考えた。

「伝わらなくてもいい。ただ、同じ配置を、別の場所にも置く」

 飯坂は、ようやく頷いた。

「拡散、ね」

「そうだ」

 沈黙が落ちる。

 風が木の葉を揺らし、遠くで誰かの笑い声がした。

「島野くん」

 飯坂が、低い声で言った。

「それ、止めてることになると思う?」

 私は答えなかった。

 代わりに、ノートを閉じる。

「止める、って言い方はやめよう」

 そう言った。

「変えるだけだ」


 飯坂は、それ以上追及しなかった。

 夕方が近づき、村の空気が少しずつ変わり始める。

 準備の動きが増え、人が集会所に集まりだす。

 私は、また椅子の数を数えている自分に気づいた。

 やめようとしても、目が勝手に追ってしまう。


 やはり、一つ余っている。


 それを「異常だ」と書くことはできる。

 だが、「なぜそうなっているのか」は、書けない。

 そして、書けない理由を、私はもう説明できなくなっていた。


 日が落ちる前に、私たちは村を出た。

 前日と同じ宿に戻るためだ。


 車で十分ほど走ると、

 村の気配はあっさりと途切れた。

 街灯が増え、道も整う。


 宿の部屋は、必要最低限の広さだった。

 私はベッドに腰を下ろし、ノートを開く。


 今日一日で分かったこと。

 いや、分かったと言えるほどのことは、ほとんどない。


 祭りは毎年ある。

 席は一つ余る。

 誰も、それを異常だと思っていない。


 取材者として書けるのは、ここまでだ。

 それ以上は、推測になる。


 それでも、推測が頭から離れない。


 編集部の空席。

 古田の机。

 村の集会所で見た、余った椅子。

 線で結ぶには、証拠が足りない。

 だが、配置としては同じ形をしている。


「配置を変える」


 飯坂の言葉を、思い出す。

 もしそれが正しいなら、止める必要はない。

 集中させなければいい。


 私はノートを閉じた。

 明日、何が起きるのか。

 それを見てから、書き方を決める。


 そう考えながら、消灯のスイッチを押した。


・・・


 昼過ぎ、村は静かに動き始めた。

 太鼓の音が遠くで鳴り、子どもたちの声が重なる。


 公民館の前には、仮設の屋台が三つ並んでいる。

 焼きそば、綿菓子、瓶のジュース。

 どれも手慣れた手つきで準備され、呼び込みの声も控えめだった。

 鉄板の上で麺が焼ける音がする。

 油の匂いが、風に乗って広がる。


「懐かしい感じだな」

 私が言うと、

「どこにでもあるやつ」

 飯坂はそう言って、瓶を一本取った。

「だから、気にされない」


 私と飯坂は、人の流れに混じった。

 取材者として目を凝らす必要はなかった。

 特別なものは、何もない。


「思ったより、普通だな」

 私が言うと、

「普通なんだよ」

 飯坂はそう返した。

「この時間はね」


 太鼓の音が、一定の間隔で鳴る。

 派手さはないが、リズムは整っている。


 私は、周囲を見回した。

 観光客らしき姿はほとんどない。

 見かけるのは、顔なじみ同士の会話ばかりだ。


「外の人が少ないな」

「わざわざ来るような場所じゃない」

 飯坂は村外れの山を指差す。

「来る理由がある人だけ」

「理由?」

「ここに用がある人」


 それ以上、説明はなかった。


 午後の時間は、ゆっくり流れた。

 催しらしい催しはなく、人は集まっては散り、また戻ってくる。


 私はノートを開く気にもならなかった。

 書くべきことが、見当たらない。


「取材、しなくていいのか」

 私が言うと、

「今は見るだけ」

 飯坂は言った。

「聞くのは後」


 陽が傾き始め、

 太鼓の音が止まる。


 代わりに、人の流れが変わった。


「そろそろだね」

 飯坂が言う。

 人々は、自然に村外れへ向かって歩き出す。

 声は少なく、足音だけが重なる。


 祭りは、次の段階に移ろうとしていた。


・・・


 夕方が近づくにつれ、人の流れが一方向に寄っていく。

 村外れの神社だった。


 森の中の開けた場所に、小さな社がある。

 鳥居は古く、朱色も褪せていた。


「思ったより、人がいるな」

 私が言うと、

「ほとんど村の人」

 飯坂が答える。

「外から来る人は、たまにいるけど……」

「観光目的じゃないのか?」

「違うね。通りがかりとか、知り合いづてとか」

 少し考えてから、彼女は付け加えた。

「この祭り、表に出てないから」

「出さない、のか」

「出す必要がない、って感じ」


 私は、それ以上は聞かなかった。

 短い階段を登ると、境内にたどり着いた。


 そこには、見覚えのあるものが並んでいた。

 公民館で見た長机と椅子だ。


 机は二列に配置され、その片側にだけ椅子が並んでいる。

 数は、はっきりと足りていなかった。


「……少ないな」

 私が言う。

「毎年こう」

 飯坂は視線を外さずに答えた。


 村人たちは、迷うことなく動いた。

 椅子のある側に回り、座れる人だけが腰を下ろす。

 残りの人は、自然に机の後ろ側に立つ。

 誰も不満を口にしない。

 順番を巡って揉めることもない。


 私は、椅子の列を数えた。


 端の一つだけ、空いている。


 誰も座らない。

 誰も、その椅子に触れようともしない。


 空いているのに、存在しないかのようだった。


 私は飯坂のほうを見た。

 彼女一瞬だけ椅子に目を向けた後、直ぐに目を逸らした。


「……あれか」

 私は低く言った。

「うん。なるべく目を向けないで」

 飯坂はそれ以上、何も言わない。


 神主が姿を現し、

 簡単な挨拶と祝詞が始まる。

 神主が言葉を切り、本殿の前に立つ。

 拍子木が鳴り、境内が静まる。

 鳥の声さえ、遠のいたように感じた。


 神主は一礼し、ゆっくりと本殿の扉に手をかける。

 軋む音を立てて、扉が開いた。

 中は、簡素だった。

 飾り気はなく、台が一つ置かれている。


 だが、その上には、何もなかった。


 御神体らしきものは見当たらない。

 布も、箱も、鏡もない。


 置かれていない、というより、最初から空けてある。

 そんな印象だった。


「……何もないな」

「あるんだよ。そういう前提でやってる」

 飯坂はそう言った。


 神主は、その状態を確かめるように一礼し、再び扉を閉じる。

 誰も、ざわつかない。

 驚いた様子もない。


 私は、背中に薄く汗をかいた。

 視線を下ろすと、境内の長机と椅子が目に入る。


 空席は、まだ空いたままだ。


 本殿と、椅子。

 どちらも、欠けているのに、正しい形をしているように感じた。

 神主が再び祝詞をあげる。

 言葉の意味は聞き取れない。


 だが、祈っている対象が

 そこにいないことだけは、はっきりしていた。


「一体、誰のためなんだ」

 私が小さく言うと、

「決まってない」

 飯坂は、即座に返した。


 祝詞が終わっても、

 誰も空席を埋めようとはしなかった。

 その席は、座るためのものではない。

 無意識の内に、そう思った。


・・・


 祭りは、あっさりと終わった。


 拍子木が鳴り止み、人が動き、境内は静かに片づけられていく。

 空席は、最後まで空いたままだった。


 私と飯坂は、村を出た。

 夜の山道を下り、県境の町へ戻る。

 ヘッドライトが照らす先に、道は細く続いている。

 森は黒く、音を吸い込んでいた。


 しばらく、二人とも黙っていた。


「……何も、起きなかったな」

 私が言った。

「起きたよ」

 飯坂は前を見たまま答える。

「ただ、分かりやすくないだけ」

「誰も来なかっただろう」

「来る前提でやってないんだよ」


 私は、昼間の光景を思い返す。

 長机。

 椅子。

 空いたままの一席。


「じゃあ、あれは何なんだ」

 自分でも、答えが出ない問いだった。

「残してる」

 飯坂は短く言った。

「来るかもしれない、誰かのために」


 山道を抜け、

 遠くに町の灯りが見えてきた。


「編集部の⋯古田さんの席と同じだな」

 私は言った。

 飯坂は、少しだけ間を置いてから、頷いた。

「だから外に出る。出たまま、戻らない」


 町に入ると、音が増え、夜がほどけた。

 それでも、私の中では何かが席を探している。


 そんな感覚が、消えなかった。

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