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3. 配置

 県境の町へ向かう電車は、夕方に差しかかっていた。

 窓の外を流れる景色を見ながら、私は何度も古株の席を思い出していた。


 いなくなった、という実感がない。

 ただ、空いているだけだ。

 それが、かえって不自然だった。


 携帯を取り出し、飯坂に短いメッセージを送る。


〈編集部で、古株がいなくなってた〉

〈今、そっちに向かってる〉


 しばらくして、返信が来た。


〈駅まで行く〉


 それだけだった。

 理由も、感想もない。


 電車を降りると、空気が少し冷えていた。

 改札の外で、飯坂はすぐに見つかった。

 一年前より痩せたように見えたが、表情は変わっていない。


「急に来て悪い」

 私が言うと、飯坂は首を振った。


「いい。話が聞きたい」

 それだけ言って、歩き出す。


・・・


 飯坂の家は、町外れの古い集合住宅だった。

 エレベーターはなく、階段を上がる途中で、紙の匂いがした。


「散らかってるけど」

 ドアを開けながら、飯坂はそう言った。


 部屋に入った瞬間、その言葉が控えめだったことが分かる。

 床にも机にも、紙の束が積まれていた。コピー用紙、ノート、付箋。

 壁際には段ボール箱がいくつも並び、側面に年号と地名が書かれている。


「……全部、五百田村か?」

 私が聞くと、飯坂は靴を脱ぎながら頷いた。


「正確には、その周辺も含めて」

 コートを脱ぎ、ハンガーにかける。

「村単体だけ見ても、分からないから」


 私は一番近くの束を手に取った。

 新聞の切り抜きだった。地方欄の小さな記事ばかりだ。


「行方不明?」

 見出しを読んで、顔を上げる。


「祭りとか、催事のあとが多い」

 飯坂は、私の視線を追うように言った。


「全部じゃないけどね」

「ただの偶然じゃないのか」

 そう言いながら、私は次の紙を見る。

 失踪、転居、突然の退職。


「そう言われると思ってた」

 飯坂は苦笑した。

「だから、最初は数えてなかった。でも……」

「でも?」

「取材が入った年から、一気に増えてる」


 私は黙ったまま、紙を戻した。


「一年前、編集部でチームを組んだでしょ」

 飯坂が続ける。

「五百田村の生活習慣をまとめる企画。私は現地担当だった」

「覚えてる」

 軽く首肯する。


「結局、凍結になったんだろう」

「凍結じゃない」

 飯坂は、はっきり言った。

「消えたの」

 その言い方に、私は少しだけ眉をひそめた。

「編集長が、だろ」

「それだけじゃない」


 飯坂は段ボール箱を一つ開け、中から写真を取り出した。

 村の集会所。祭りの準備風景。

 その端に、見覚えのある顔が写っている。


「古田さん……」

 私が名前を出すと、飯坂は小さく頷いた。

「一年前、編集長が来なくなったあとも、取材は続いてた」

「誰が?」

「古田さんと私の二人」

「編集部は?」

「黙認。形だけね」

 私は写真を見つめた。


「で、今度は古田さんがいなくなった」

 飯坂は一呼吸置いた。

「もう残ってるの、私だけ」


 部屋が、少し静かになる。


「つまり」

 私が言葉を選びながら続ける。

「祭りか、催事があるたびに、取材に関わった人間が消えているってことか」

「減る、って言い方の方がいい」

 飯坂はそう言った。

「死んだわけじゃないと思う。連れ去られたとも限らない」

「じゃあ、何だ」

()()が変わる」


 私は彼女を見た。


「席が、一つ空く」

 飯坂は、淡々と続けた。

「誰の席か、分からなくなる。分からなくなった時点で、その人はもう――」


 彼女は、言葉を切った。


「次は、私だと思う」

 その声には、感情がほとんど乗っていなかった。

「だから、止めたい」

 飯坂は、初めて私を正面から見た。


「止める、って」

 私は言った。

「どうやって?」

 飯坂は、少しだけ間を置いた。


「全部、外に出す」

「記事にするってことか?」

「ううん。拡散させる」

「意味が違うのか」

「特定させない。村の名前も、何も出さない」

「それで、何が変わる」


「席が、集中しなくなる」

 飯坂はそう言った。


「ここだけの話じゃなくなれば、“ここで消える理由”が薄まる」


 私は腕を組んだ。

「仮説、だな」

「そう」

 飯坂は認めた。


「でも、他に方法がない」

「失敗したら?」

 私が聞く。

 飯坂は、視線を逸らした。


「そのときは……島野くんは、引き返せる」

「君は?」

「私は――」


 彼女は、最後まで言わなかった。


 私は、床に積まれた紙の山を見渡した。

 一年分の時間が、ここにある。

 ポケットの中から手帳を取り出す。


「記事にするなら」

 私は言った。

「俺も、関わる」


 飯坂は、少しだけ考える素振りを見せた。

 それから、机の上の紙束を一つ、私の方へ押し出す。


「じゃあ、共有する」

 その声は、さっきまでよりも低かった。

「仮説も、外れた線も、全部」

「条件は?」

 私が聞く。

「途中で投げないこと」

 飯坂は即答した。

「怖くなったら、怖いって言う。それでいいから」

 私は頷いた。


「確か、例祭がもうすぐあったよな」

「うん。あと四日後」

 頭で思考を組み立てながら「わかった」とこぼす。

「記事が完成するまでは、同じチームだ」


 飯坂は、ほんのわずかに笑った。

「やっと、そう言ってくれた」


 その瞬間、この取材が仕事ではなくなったことを、私ははっきり自覚した。


・・・


 車が町を離れるころ、空はもう色を変え始めていた。

 昼の名残を引きずった明るさが、山の稜線に引っかかっている。


「もう一度、整理しよう」

 ハンドルを握りながら、飯坂が言った。

「分かってることだけでいい」


 私は頷いた。

「今は時間が惜しい。走りながらでいい」


 飯坂は短く息を吐いて、アクセルを踏み込む。

 道路脇の建物が減り、代わりに木々が増えていく。


「取材チームは、全部で四人だった」

 飯坂が言う。

「編集長、古田さん、私。それと、もう二人」


「もう一人?」

「カメラ。名前、覚えてる?」


 私は首を振った。

「思い出せない。途中で外れたような気がする」

「外れた、って言い方が正しいかは分からない」

 飯坂は前を見たまま続ける。

「二人とも、祭りの取材直前に来なくなった。連絡もつかなくなった」

「それが、最初か」

「そう。でも、みんな不思議がるだけだった」


 夕陽がフロントガラスに反射して、一瞬だけ視界が白くなる。

 飯坂はサンバイザーを下ろした。


「編集長は、その次」

「理由は?」

「分からない。でも……」


 飯坂は言葉を探すように、少し間を置いた。

「編集長がいなくなったあと、村の人の態度が変わった」

「どう変わった」

「気を遣われなくなった」

「歓迎されるようになった、とかじゃないのか?」

「むしろ逆」


その言い方が、妙に引っかかる。


「説明しなくなった」

 飯坂は言った。

「聞かなくてもいい、って顔をされるようになった」


 道路が細くなり、カーブが増える。

 山の影が、少しずつ道を覆い始めていた。


「古田さんは?」

「最後まで、取材を続けようとしてた」

「止めなかったのか」

「止めたよ」

 飯坂は即答した。

「でも、聞かなかった」


 私はシートに背中を預ける。

「で、今回、その古田さんが消えた。祭りの数日前に。」

「毎回そうなのか?」

 飯坂は前を向いたまま頷く。

「偶然にしては、出来すぎだな」

 私が言うと、飯坂は苦笑した。


「だから、島野くんに協力した」

「理由は?」

「外部だから」

「俺も、もう外部じゃないだろ」


 飯坂は一瞬だけこちらを見た。

「……まだ、完全には」


 車は、森に囲まれた道へ入る。

 陽はほとんど沈み、視界はヘッドライトだけになった。


「一つ、確認したい」

 私が言う。

「村は、一体何をしてる?」


「⋯何かを奪ってるわけじゃない」

 飯坂は言った。

「選ばせてるだけ」

「何を」

「席を」


 その言葉を聞いたとき、

 編集部の空いた机が、頭に浮かんだ。


「祭りの日」

 飯坂が言った。


「必ず、席が一つ余る。誰の席かは、最初から決まってない」


 私はフロントガラスの先を見た。

 ヘッドライトに照らされた道の先で、闇が少しずつ濃くなっていく。


「決まってない、のに」

 そう口にする飯坂は、自分でも妙な言い方だと感じているようだった。


「終わったあとで、決まる」

 飯坂は、間を置いてそう答えた。

「だから、誰も気にしない


 車が減速する。

 前方に、見覚えのある分かれ道が現れた。


「着くよ」

 飯坂が言う。


 私は窓の外を見た。

 暗くなりかけた山の向こうに、畑が広がっているのが見える。


「まだ、止められると思うか?」

 私が聞く。

 飯坂は、すぐには答えなかった。

「止める、って言い方が正しいか分からない」

 そう前置きしてから、言う。

「でも、配置は変えられる」

 車は、五百田村へ向かう道に入った。

 日没まで、もう時間は残っていなかった。


・・・


 車が村の境を越えた瞬間を、はっきりと示す標識は見えなかった。

 ただ、舗装が少し荒れ、道の幅が狭くなったことで、「ああ、入ったな」と分かる。


 民家の明かりはまばらだった。

 夕食の支度だろうか、煙突から細い煙が立ち上っている家もある。

「静かだな」

 私が言うと、飯坂は「いつもこんなもの」とだけ返した。


 集会所の前を通る。

 昼間に見た掲示板は、もう暗くて内容までは分からない。

 だが、板の前に誰かが立っていた気配はなかった。


 車を降りたとき、空気が少しだけ冷たかった。

 町とは違う匂いがする。

 土と、乾いた草と、どこか古い木材の匂い。


「今日も村の中には泊まらない」

 飯坂が言った。

「前と同じ。外の宿」

 私は頷いた。

「その方がいい」


 理由を確認する必要はなかった。

 ここに夜を越す準備は、まだできていない。

 集会所の中では、数人の村人が片付けをしていた。

 声をかけられることはないが、視線だけは感じる。

 敵意ではない。

 かといって、歓迎とも違う。


 中には、机と椅子がいくつか並べられている。

 椅子の数を、私は無意識に数えていた。


 ⋯十三。

 一つ、多い。


「……席、増えたか?」

 小声で言うと、飯坂は一瞬だけこちらを見た。

「増えたね」

 それ以上は言わない。


 村人の一人が、椅子を少しだけ動かした。

 並びが整えられ、空いた席が端に寄る。


 その配置を見た瞬間、

 私はなぜか「これでいい」と思ってしまった。


 思考が追いついて、すぐに打ち消す。

 理由はない。

 ただ、そう感じただけだ。


 外に出ると、もう空は完全に暗くなっていた。

 星がいくつか見える。


「明日からだな」

 私が言う。

「うん。明日から」

 飯坂も繰り返した。


 車に戻る前、もう一度だけ集会所を振り返る。

 中の明かりが消え、建物は影の塊になっていた。


 空いた席が、どこにあったのか。

 もう思い出せない。


 それが、いちばん嫌なことだった。

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