表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

エピローグ

 朝だった。


 目を覚ましたとき、最初に気づいたのは、音だった。

 車の走る音。

 遠くで誰かが話す声。

 窓の外から、確かに「日常」が流れ込んできている。


 私は、天井を見つめたまま、しばらく動かなかった。


 ……まだ、いる。


 それが、最初に浮かんだ感想だった。


 隣の部屋を尋ねる。

 飯坂は、もう起きていた。

 窓際に立ち、カーテンを少しだけ開けて、外を眺めている。


「朝だな」

 私が言うと、彼女は振り返った。

「うん。ちゃんと、朝だね」

 その言い方が、少しだけおかしくて、私は小さく笑った。


 机の上には、二台のノートパソコンが並んでいる。

 画面は、もう暗転していた。


「……投稿、どうなった?」

 私が聞くと、飯坂は首を横に振った。

「まだ、わからない」

「消えてはいない、よな」

「うん」

 それだけで、十分だった。


 スマホを手に取る。

 圏外ではない。

 通知が、いくつか溜まっている。


 編集部からの連絡は、ない。


 私は、少しだけ迷ってから、ブラウザを開いた。

 検索窓に、昨日打ち込んだ言葉を入れる。


 ――ι村


 一瞬、何も表示されない。

 次の瞬間、いくつかのページが、ゆっくりと読み込まれた。

 まとめサイト。

 掲示板。

 個人ブログ。

 断片的な情報。

 曖昧な噂。

 確証のない考察。


 だが、確実に言えることが一つあった。


「……増えてるな」

「うん」

 飯坂が、私の背後から画面を覗き込む。

「席が」

 一つの記事が、すべてを説明しているわけじゃない。

 だが、同じ話題が、別々の場所で語られ始めている。


 誰かが書き、誰かが引用し、誰かが言い換える。


 一つの席に、一人ではない。

 もう、数え切れない。


「信仰は独占できない」

 飯坂が、静かに言った。

「空席は、空席のままじゃいられない」


 私は、ゆっくりと息を吐いた。

「……終わったのか?」

「さあ?」

 彼女は、肩をすくめる。

「少なくとも、続ける意味はなくなったけど」


 窓の外では、朝の光が、山の輪郭をはっきりと照らしている。

 あの村も、今は同じ光の下にあるはずだった。

 椅子は、どうなっただろう。

 席は、残っているだろうか。


 考えかけて、やめた。

 それを確かめに行く理由は、もうない。


「記事の名前さ」

 私が言うと、飯坂は首を傾げた。

「うん?」

「安直だって、言ってたよな」

「言ったね」

「でも、悪くなかっただろ」


 彼女は、少し考えてから、微笑った。


「……まあね」


 私は、もう一度画面を見る。

 そこには、確かに表示されていた。


 ι村の空席信仰


 それは、呪いの名前であり、同時に、その終わりだった。

 私は、パソコンを閉じた。


「帰るか」

「ええ」


 二人で、部屋を出る。廊下には、誰もいない。

 それでも、足音は、はっきりと響いていた。


〈了〉

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ