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10. 空席信仰

 朝の光は、思ったよりも残酷だった。

 カーテンの隙間から差し込む白い光が、昨夜ほとんど眠れなかった頭を無遠慮に叩いてくる。

 一瞬、何曜日だったか分からなくなる。

 それから、昨日の投稿エラーが、遅れて胸の奥に沈んでくる。


 ――タイムリミット当日。


 私はベッドから起き上がり、スマートフォンで時刻を確認した。

 まだ朝の六時前だというのに、体のどこにも余裕がなかった。


 隣の部屋では、飯坂がすでに起きていた。

 背もたれにもたれ、ノートパソコンを開いている。


「早いな」

 そう言うと、彼女は画面から目を離さずに答えた。

「眠れなかった」

 その言い方が、妙に正直だった。


 私は机に座り、自分のパソコンを立ち上げる。

 投稿画面。

 昨日と同じ本文。


「もう一度、試すか?」

「うん」

 二人とも、ほとんど同時に投稿ボタンを押した。

 結果は、変わらない。


〈エラーが発生しました。しばらく時間をおいてから、再度お試しください〉


「……やっぱりか」

 私は、思わず舌打ちしそうになるのを堪えた。

 焦りが、はっきりと形を持ち始めていた。

「時間がない」

「うん」

 飯坂は短く答え、画面を閉じた。

 その動作が、決断なのか、諦めなのか、判別がつかない。


 部屋の空気が、少し重くなる。


 私は、椅子の背にもたれ、天井を見た。

 頭の中に浮かぶのは、あの神社の光景だ。

 長机。

 椅子。

 空いたままの一脚。

 その横に、昨夜開いたままのメモ帳。

 五百田村。

 祭り。

 神社。

 椅子。


「……なあ」

 声に出してみて、自分でも驚くほど低く掠れていた。

「なんで、あの村は“一席”にこだわるんだと思う」


 向かいの椅子に座っていた飯坂が、ゆっくりと顔を上げた。

 すぐには答えない。

 その沈黙が、すでに答えの一部のように感じられた。

「急にどうしたの」

「いや……」

 言葉を探しながら、昨日の光景を思い返す。

 公民館に貼られていた掲示。

 運び込まれた長机と椅子。

 神社の境内に整然と並べられた席。


「数が、合いすぎてた」

 私が言うと、飯坂は小さく頷いた。

「余らせるための数、って感じだったよね」

「誰も座らないのに、必ず一つ空く」

「空けてる、というより――」

 飯坂は言い淀み、少しだけ言葉を選ぶ。

「……残してる」

 その一言で、胸の奥に冷たいものが落ちた。


「最初はさ」

 飯坂が続ける。

「神様の席だと思ってた。よくあるでしょ、そういうの」

「ああ。俺もそう思った」

「でも、御神体がなかった」

 神社の本殿。

 扉が開かれた瞬間の、あの空虚。

 祀るものが、ない。

 にもかかわらず、儀式は成立していた。


「神様を迎えるための席じゃない」

 飯坂の声は、静かだった。

「じゃあ、何だ」

「……」

 彼女は、少しだけ視線を落とす。

「空いている、という状態」

 私は眉をひそめる。

「状態?」

「埋まってないこと。欠けていること。それ自体が、あの村では意味を持つんだと思う」


 机の上のメモ帳を、彼女は指先でなぞった。

「考えてみて。あの村、何かを“得よう”としてる感じ、あった?」

 言われてみれば、なかった。

 豊作祈願でも、無病息災でもない。

 祝うでも、願うでもない。

「ずっと、維持してるだけだった」

「そう」


 飯坂は頷く。

「空席を、空席のまま」

 その言葉を反芻した瞬間、頭の中で何かが噛み合った。

「……席は、神の居場所じゃない」

「うん」

「じゃあ、誰の場所だ」


 少しの間。

 部屋に、エアコンの低い稼働音だけが響く。

「消える人の位置」

 飯坂は、そう言った。

 即答だった。

 迷いも、躊躇もない。


「祭りのたびに、取材に来た人が消えた。編集長も、古田さんも」


 言葉にした瞬間、喉が詰まる。

「……君は」

「私も、含まれてる」


 淡々とした声音だった。

 それが、逆に現実味を帯びさせる。

「一席は、一人分」

 飯坂は続ける。


「席が用意されると、誰かがそこに“収まる”」

「拒否は」

「できない」


 だから、誰も座らない。

 だから、空け続ける。

 それでも、席は消えない。


 私は背もたれに身体を預け、天井を見上げた。

 理解してしまった、と思った。


 空席信仰。

 それは何かを捧げる信仰じゃない。

 何かを欠けさせ続けるための仕組みだ。


「……詰んでるな」

 思わず、そう漏らしていた。

 飯坂は否定しなかった。

 時計を見る。

 まだ、昼前だ。


 時間は残っている。

 だが、出口が見えない。

 理解してしまったからこそ、何をしても、その枠の中でしか動けない気がした。


「日が沈む頃には」

 飯坂が、ぽつりと言う。

「次の席が、確定する」


 私は何も言えなかった。

 光は、まだ明るい。

 それなのに、部屋の中は、妙に暗く感じられた。


・・・


 夕方が近づくにつれて、部屋の空気は目に見えて重くなっていった。


 窓の外では、山の稜線に影が落ち始めている。

 昼間あれほどはっきりしていた輪郭が、少しずつ曖昧になっていく。

 私は、時計を何度も見ていた。


「……もう、あまり時間がないな」

 独り言のように言うと、飯坂は短く「うん」とだけ返した。

 否定も、慰めもない。


 ノートパソコンを開く。

 昨夜から何度も見返している、投稿画面。

 本文は、すでに整っている。

 構造も、証言も、推測も。

 これ以上足すことも、削ることもできない。


 問題は、そこじゃなかった。


「……やっぱり、だめだ」

 投稿ボタンを押した瞬間、画面が切り替わる。

 エラー。

 理由の書かれていない、無機質な表示。


「どうやっても弾かれるな」

「うん」

 飯坂は、最初からわかっていたような口調だった。

「一人分の行為は、一席を増やすだけだから」


 その言葉が、胸に刺さる。

「記事を出す=席を増やすことだと思う。一人で出せば、一人分の席が増える」

「つまり……」

 私は、言葉を継ぐ。

「それは、誰かが消える前提の行為だ」


 沈黙。


 外の光が、橙色に変わる。

 時間が、確実に削られている。


「一席は、一人分」

 私は、昼に聞いた言葉を、もう一度口にした。

「席が用意されると、誰かが収まる」

「そう」

 思考が、行き止まりにぶつかる。

 どこをどう考えても、答えは同じ場所に戻ってくる。


「一人でやる限り、信仰の構造からは逃げられない」


 私は、ふと視線を上げた。

「……逆に、だが」

「?」

「信仰が成立してる条件って、何だと思う」

「一席に、一人」

「ああ」

「一つの欠けに、一つの存在」


 その瞬間、頭の中で何かが軋んだ。


「……あ」

 声になったのは、それだけだった。

「一席が一人分である、って前提」

 私はゆっくりと続ける。


「それが崩れたら?」

 飯坂は息を呑んだ。

「一つの席に……」

「二人だ」

 言葉が、空気を切る。

「同時に同じ行為をする。同じ席を、二人で使う」


 それは、信仰の否定だった。

 破壊でも、拒絶でもない。

 前提そのものの破壊。


「論理が成立しない。だから、信仰も成立しない」


 時計を見る。

 もう、夕方だ。


「やるしかないな」

 私が言うと、飯坂はすでにパソコンを開いていた。


「同じ本文」

「同じタイミング」

「同時に投稿」


 二人並んで、机に向かう。

 肩が触れ合うほど近い。


 一つの席に、二人で座る。


 画面には、同じ文章。

 同じ投稿画面。


 外では、日が沈みかけていた。


「⋯そういえば」

 飯坂が徐ろに声を上げる。

「タイトル、どうしよう」

 私は、画面に視線を戻した。

 投稿画面。カーソルが、タイトル入力欄で静かに点滅している。


 少し迷ってから、私は文字を打ち込んだ。

 そして、そのままノートパソコンを回し、飯坂に見せる。


「……これでいこうと思う」

 飯坂は画面を覗き込み、ほんの一瞬だけ眉を上げた。

 彼女は、声に出して読んでから、私を見る。


「正直に言うけど……安直じゃない?」

 私は、思わず笑ってしまった。

「だよな。でもさ」

 椅子の背にもたれ、肩の力を抜く。


「俺たちオカルトマニアは、こういうのが好きだろ」

 飯坂の目を正面から見る。

「意味ありげな記号と、どこにあるか分からない村」

 飯坂は、画面にもう一度目を落とした。

「……確かに。伏せすぎても広がらないし」

「だろ。検索もされる。話題にもなるだろうし、席も増える」


 その一言で、彼女は小さく息を吐いた。

「……うん」

 それから、ゆっくり頷く。

「それでいい」


 私は、再び画面に向き直った。

 投稿画面に、カーソルを戻す。


「……せーので行く?」

「いや」

 私は、キーボードに指を置く。

「今だ」


 二人同時に、投稿ボタンを押した。

 画面が切り替わる。

 結果は、まだ表示されない。


 それでも――

 どこかで、確かに何かが軋んだ。

 画面に、記事のタイトルが青く表示される。


 ――ι村の空席信仰

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