第5話 眠れるICUの姫様
「人間は考えるアシだって説、あるじゃない」
椅子に腰を下ろし、ギブスをはめた足をあまった椅子に投げ出すとエリはいった。
「あれ、うそじゃない。脚を怪我したら一挙に難しい本がダメになったし、絵とか下手になった気がする。なんでかな。あと、運動してないのにお腹がめっちゃ減る。どうしようかと心配するレベル。脳ってたくさん糖分を消費するっていうよね」
「悪いけど、おもろい」
千草が笑い出し、エリもつられて破顔した。
「エリは先に体が動くタイプだもんね。でもアシって葦で脚でなくない?」
「私的には脚だから大丈夫」
「なるほど」
駅前スーパーの一角にハンバーガーショップがある。その四人がけテーブル席を二人は占拠していた。どちらもコーヒーを買って、つまみはフライドポテトのLサイズを分け合うことにした。
千草はさっそく、リスみたいに前歯でポテトを齧っている。彼女が思案するときのくせだ。それを横目で見つつ、エリは湯気のたつコーヒーを引き寄せると、
「あいつのプライベートの話、ちょこっとだけど聞けたよ」と報告した。「今日、美術の授業で隣り合わせになってさ、ちょうどいいやと思って」
「えっ、さっそく守屋さんに取材してくれたの?」千草の表情が一挙に明るくなった。
「すごいなあ。とにかく無口だって聞いたのに。さすがエリ」
「誰がそんなこと?あ、奥井ってやつね。守屋と剣道教室が同じだったっていう」
「そう。いつも一人でいて、『おれに近づくな』オーラを発散してるのでしょう」
「ただのボッチだって。むしろ、『湊さんみたいな一軍女子に話しかけてもらえるとは』って感激された」
「ほほう」
「すんません、うそです。本当はこのギブスで同情かって荷物運びとかやらせて、油断させといて聞き出した。でも、思ったより気さくというか話好きだったよ。それと、なんていうか会話しやすくわかりやすい」
「わかりやすい?」
「うん。基本聞き上手だし筋道立ったしゃべりかたをする。それで、千草の読み通り、もう社会人のお兄さんが二人いるって。どちらもまだ独身。女嫌いかまでは聞きそびれた。三人暮らしみたいだよ」
「やっぱり二人いて、歳も離れてるんだ」
考え込む千草を見ながらエリはコーヒーを口に含んだが、むせた。
「ど、どうした」
「思い出した。守屋ブラザーズはコーヒーをよく飲むみたいで、下のお兄さんはブラック派なんだって。でも上のお兄さんは砂糖とミルクをどっさり入れる甘党だから、お茶の時間のたびにどっちが脳の働きに有益かで論争するそうだよ。ふたりともすごい理屈っぽくておしゃべりなんだって。守屋が口数少なめなのは、ずっと聞き役だったからって変な弁解してた。クセつよ兄弟なのは間違いない」
「甘党って、太ってるのかな」
「どうだろ。でも部活の話になったら、上のお兄さんは元相撲部、下は元柔道部で古流柔術も習ってて、弟にどっちを習わせるかでえんえん揉めるから、どっちでもない剣道をはじめたっていってた。愛が重い」
「バリツか…」
「え、なに?」
「なんでもない」千草は腕を組んで首をひねった。「ところで守屋さんの下の名前はなんだっけ」
「えー、なんだったかな。たしかちょい変わった名前だったよ」
「そう…」
ふだんと異なる親友の様子に、「でも、なんでそこまで気になるの?」とエリはたずねた。「この前の『19世紀ロンドン=現代日本がモデル』説はまだわかっても、『ホームズ=日本人がモデル説』はいくらなんでも行き過ぎ感がある。おまけに、もしかして守屋がその候補かもって、ちょっと世界が狭すぎない?」
「そうだよねえ。飛躍し過ぎてる。わかってるんだけど」
二人は互いに腕組みして考え込んだ。
「整理してみるね」そういって千草はフライドポテトを一本、指でつまみあげ左右に振った。
「例えば、このポテトと日本の芋けんぴって、見た目もつくりも似てるけど、べつべつの国に生まれべつべつに発達してきた。意図的ではなく結果として似た」
「…そ、そうなの?」
「ところがある日、芋けんぴを手に取った誰かが、『なんと、ポテトとそっくりじゃないか。よし、この芋けんぴをモデルにポテトの活躍する昔のイギリスの話を書こう、と思いついたのがバンパイア・ホームズってのはどうかな。ちょっと強引かしら?」
「ちょっとどころか相当無理のある説明。ていうか意味不明」
「あら、残念。芋けんぴおいしいのに。加州屋のは特にいいよね」
「イギリスのフィッシュアンドチップスのポテトってくし切りだから、芋けんぴには似てないよ」
「そうだったっけ。まあいいや。私的にはOK」
「まあいいか、OK」
エリはニヤニヤ笑いを浮かべる自分の頬が濡れているのに気づいた。目を開けると、ハンバーガーショップではなくバスの座席の上にいた。居眠りをしていたのだ。
—— あー、めっちゃはずい。
席は8割がた埋まっていて、彼女が眼を覚まし、ふごふご鼻息荒く周囲を見回したいかにもな姿を、他の客に見られていた。中学生らしい女子二人組など、笑いを抑えるのに苦労しているのがわかる。
居眠りの原因はわかっている。心配事のために夜、よく眠れていないせいだ。
幸い、乗り過ごしたわけではなく、降車駅はまだ先だった。
エリは顔を窓に向けた。空は薄暗くなりつつあった。千草が災難にあったのも、このぐらいの時間だったはず。
—— 夢だと元気にしてたなあ。
ガラスに映った自分の泣き顔がいやで、エリはまた目を閉じた。
千草が意識不明の状態で発見されたのは三日前のこと。
同じ高校の男子生徒三人と放課後に明治橋駅へでかけ、夕食時間になっても自宅に戻らず —— 食欲旺盛な千草は食事をすっぽかすなんてことはしない ——連絡もつかず心配していたところ、明治橋からそう遠くない市立救急救命センターのロビーにいつのまにか倒れているのが発見された。
そしてエリは、その日のうちに事件を知った。
夕食どきをすぎて帰宅しない時点で千草の祖母・悦子おばあちゃんから照会があり、発見の際も直後に連絡を受けてそのまま救急救命センターへと駆けつけた。
千草は集中治療室(ICU)のベッドの上に色とりどりのコードにつながれて眠っていた。
いつもより心持ち顔色は青ざめてはいても、大声を出せば起きそうに思えた。
その後の検査の結果、体にいくつか打撲痕や擦過傷はあるものの、臓器および脳に深刻な損傷はみられないとのことだったが、収容されて以降の千草は一度も目を覚ましていない。
エリが気になったのは、千草の首に貼られた大きな傷テープだった。悦子おばあちゃんによると、テープの下にはおそらく愛用のライトによると思われる十字形の傷がある。それも自分でつけたのものではないかと見られていて、「なぜこんな傷をつけたか、エリちゃんは知らないかしら」とおばあちゃんに聞かれたぐらいだった。
今日もエリは、学校が終わると救急救命センターに隣接する病院へと直行した。千草は昨日、こちらのICU棟へと移されていた。
家族待合室に着くと、悦子おばあちゃんがいた。千草の母親である千寿子おばさんは、多忙な経営者でもあるため、日中は千草をおばあちゃんに任せ、夜に交代しているのだ。
おばあちゃんは、エリが不自由な足で毎日通ってくるのに礼をいい、飲み物を奢ってくれた。そしてエリが落ち着いたとみると一冊のバインダーノートを取り出した。これの存在については昨日、予告されていた。
「千草の机の上にあったのはこれなの。荷物になるけど持って帰って」
「読んでみて、なにか気がついたらお知らせします」
ぱらぱらっとページをめくると、中身は予想通り。「少年探偵バンパイア・ホームズ」の最新作「緋色の十字架」をプリントアウトし一冊にまとめたものだ。エリが未読と知った千草のお手製である。表紙には「献呈・湊エリさま」とポストイットが付けてある。
だが、バインダーには小説とは別のメモみたいなものが綴じ込んであった。
あとでしっかり読もうとバッグに入れ振り返ると、おばあちゃんは電池が切れたように目を閉じていた。
家業を継ぎフルタイムで働く娘にかわってずっと孫の面倒をみてきた人だ。千草の家へ遊びにゆくといつもおばあちゃんが明るく迎えてくれた。どれほど心労が溜まっていることか。
なにもいえず黙っていると、悦子おばあちゃんはふっと目を開いた。
「おばあちゃん、疲れたでしょう」
「ありがとう、エリちゃん。でも大丈夫」悦子おばあちゃんは微笑んだ。
「なんといっても千草はまだ、生きている。行方のわからない同級生の皆さんの親御さんに比べたら、大したことはない」
「でも…」
同行していたはずの男子生徒たちは、三人ともまだ発見されておらず、警察が捜査中だと聞いていた。
ふたりは肩を並べ千草のもとへ向かった。あえて部屋の中には入らず、ガラス窓越しに顔色を見る。
昨日と同様、今にも起きそうな顔で目を閉じていた。モニターに表示された血圧や脈拍は、やや低めだが異常ではないそうだ。ICUの他の患者のようにアラームが鳴ったりもなく、ずっと安定しているのだとおばあちゃんは教えてくれた。
「よく、眠ってるわ。寝るのが好きな子だったから」
「うん、そうだね。ねぼすけめ」
眠れる森のお姫様みたいだと思ったが、口にはしなかった。
かわりにエリは、「おばあちゃん、忙しそうだけどわたし、代わりにできることあったら、やります」と聞いた。付き合いは長く、今さら遠慮する間柄ではない。
すると悦子おばあちゃんは、あらためてエリをじっとみつめてから、
「実は、お言葉にあまえて、手伝ってもらいたいことがあるの」といった。
「なになに、まかせて」
明日のこの時間に、古い知り合いが千草の見舞いにくるのだという。
「勝手なお願いだけど、できれば、エリちゃんにも同席してほしい」
その人物は、おばあちゃんと亡くなったおじいちゃんがまだ東京にいた頃に交流のあった女性だそうで、
「特殊な仕事に就いていて、千草についても助言をもらえるかもしれない」と、説明があった。
「大丈夫、明日はこれます。でもその人って、お医者さんかなにか?」
「資格は持っていたはずだけど職業は医者ではないわ。ある団体の、いまは顧問だといっていた。警察と協力関係にあって、人探しとかしているの」
「へえ、そんなの本当にあるんだ」
「明日、うちの千寿子は出てこれそうもないし、もともとあの子とは縁は薄いの。それとね」おばあちゃんは正面からエリを見た。「先方からリクエストがあって、なるべく歳の近い友人に紹介して欲しいそうなの。それも単なる同級生ではなく、親友とか彼氏とか私たちの知らない千草を知っている人を、と。そうなったらエリちゃんしかいない」
おばあちゃんはエリを嬉しがらせたが、彼女自身に迷いがあるようにも聞こえる。
「いくつぐらいの人ですか?」
「おじいちゃんより一回り下だったから、60過ぎかな。変な人じゃなくて、むしろ真面目で率直な人。冗談が通じにくくお愛想もいわない」
「なんか、軍人みたいっすね」
なにげなく発したエリの言葉に、悦子おばあちゃんは一瞬息を呑んだが、すぐに、
「とにかく、私みたいな年寄りではうまく対応できないと思う。だからぜひお願いしたいの。エリちゃんは若くても頭の回転が早くて冷静だから、私にかわってどんどん質問もしてほしい」とつけくわえた。
「いやー、ぜんぜん冷静じゃないですけどね〜」
謙遜するエリに、おばあちゃんはぽつりと付け加えた。
「あの人は、わたしのような平凡に過ごしてきた人間には想像もつかないことを知り、経験してきたはず。それが千草に役立てればと願っているの」
「やばい人に聞こえる。お名前は?」
「坂東、坂東こずえさん」
「そのひと、し」とまで口にして、「しゅごいかわいい名前ね」と懸命にごまかした。
「そうね。名前に似合わぬタフな女性でね。おそらく若い頃とそう変わってない。部下も連れてくると思うけど、気にしないで」
自分にいい聞かせるように悦子おばあちゃんはいった。
—— やっぱりそうに違いない。
坂東こずえ。以前、千草の口から名の出た人物ときっと同じだ。
その人は千草の実父・康介の元同僚で、相棒みたいな存在だったらしい。現在は東京に本部を置く半官半民的な組織で指導者的な立場にあるとも聞いた。物静かな康介とは対照的な、アクティブかつ自信に満ちた人だという。
「千寿子おばさんみたい」とエリがいうと「本当だ!」と千草が大笑いした記憶がある。
これについては千草自身も途中から口が重くなってしまったのだが、離婚のあと元の家族や友人とは没交渉になった康介について、現況を把握する数少ない人間と考えられるそうだった。
「今は、お父さんに会いたいとか全く思わないけど、もしその気になった時のために、前もって坂東さんにコンタクトしとこうかなーって思ってる。なんか向こうも私に関心があるみたいだし。理由は知らん」と千草はいった。
また彼女は、「私がそんなこと考えてるのを知ったら、お祖母ちゃん嫌がるかなあ」とも話していた。それでとっさに口にするのをやめたのだった。
「そのこずえちゃんに、うまく調子を合わせて情報を聞き出せばいいんでしょ。年配の人が思う今どきの高校生風の態度をとろうかな。ずっとスマホをいじってたり」エリがいうと悦子おばあちゃんは笑ったが、そのあと、
「一点だけ注意してほしいのは、彼女は賢く勇気のある若者が好きなの。だから、エリちゃんを気に入ってしまって、あとで二人きりで会おうと誘うかもしれない。止める権利は私にないけど、よくよく考えてね。世の役に立ってくれるし献身的ではあるけど、そのために人を利用するのもおそれない」と、付け加えた。
バスは明治橋駅南口に着いた。
降車したエリは松葉杖がわりのトレッキングポールを片手に地下道をめざした。千草がここへきたのはわかっていた。防犯カメラにも南口付近を歩く姿が映っていたそうだ。ただ、地下道に向かって以降の映像はなぜか残っていないらしい。
「あ、やっぱり」エリは吐息をついた。地下道の入り口には黄色と黒のフェンスが設けてあった。入るなということだ。
あの日、地下道に大規模な崩落事故があった。それ以来、閉鎖されてしまったのは聞いていた。
それでもエリはしばらく周囲をうろうろしたが、中の様子はさっぱりわからない。
千草は、自力で救急救命センターに辿り着いたのではなく、誰かに連れてこられたはずだが、その映像もない。
彼女はいったん地下道へ入って、そこからセンターへと運ばれたと考えるのが自然だろう。
もしや、崩落に巻き込まれたのを、たまたま地下道見物にきていたクラーク・ケントにでも助けてもらったのだろうか。だから正体を隠しているとか。
それとも、もしかして、アンバー・ホームズに。いや、そのモデルとうたがわしい…。
首を左右に振りながら、エリは踵を返して駅ビルへと向かった。大型書店に行こうかと思ったが、思い直して百貨店へ入った。
「あっ…イモ」
店内に貼られた案内チラシに、全国のいも菓子を集めた「おいもパラダイス」が開催中とある。どうかんがえても千草好み。おまけに彼女がひいきの加州屋も出店している。これは見にゆかねば。
動きのしぶくなってきた脚をだましだまし、会場へと向かう。
だが、到着したエリはしばし呆然とした。目当ての加州屋のブースの前に行列ができている。それも二重に。
—— そうだ、この前テレビで紹介されたんだ。落ち目のメディアっていうけど、やっぱ影響力すごい。
行列に加わるのを逡巡したエリだったが、結局並ぶことを決めた。
「千草が起きたら、一緒に食べられるじゃない。日持ちするし」
と、考えたからだ。
ポールを片手に並んだエリだが、脚にかすかな痺れを感じる。なるべく体重をかけないようにする。
しかし、
—— 賞味期限内に千草と芋けんぴを食べる日はくるかな。目が覚めても物が食べられなかったら。それとも…。
よくないことばかり思い浮かんでしまい、目をぎゅっと閉じた。
動きのとまった彼女へ、後方から声が降り注いだ。
「えー、湊さん。僕が代わりに買おうか。イートインコーナーにでも座ってたら」
男の、つい最近聞いた声。
ぎょっとなって振り返る。
エリの目に制服の金ボタンが飛び込んできた。顔を上げる。
教師に目をつけられるギリギリの長さのくしゃくしゃの髪に白い顔。そしてほおから首筋への傷あと。
「あんた、なんでここにいるの」
「別に。深い意味はない。芋けんぴが好きなだけ」
後ろにいたのは同級生であり、千草の思案の的、守屋琥珀だった。




