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第4話 姉妹

「あっ、風が吹いてる」

 ひんやりした風を感じて千草はたちどまった。

 狭い地下道を歩き続けていたのが、ようやく広々した場所へと出た。

 天井は高く周囲も掘り下げられていて、彼女自身はコンクリートの台にいるのがわかる。レールはなくてもここが幻の四番ホームの跡ではと思った。

 風を感じるのは、外に近いためかも。そう考えると少しだけ気分がよくなった。


 カミラの部屋を出たあとは、蛍みたいな飛翔体の後について、ダンジョンめいた地下通路を歩き続けた。

 蛍のおかげか吸血鬼には一度も遭わずにすんだが、

(死体貯蔵庫は、ないよね)とか(ガリガリに痩せた子供たちで一杯の牢屋とか?)などの想像に怯えながらの歩行だったため、くたびれ果てていた。喉もカラカラだ。

「ねえ、ちょっと座らせてよ」と千草が頼んだとたん、蛍は物影へと隠れた。あわてて真似をする。

 息をひそめ見ていると、表情の読めない距離にいきなり人影が三つあらわれ、千草の視線を横切って消えた。少し遅れて大きな人影が同じように現れ、消えた。

 —— あっ、あいつだ。

 あの図体はリアとかいう吸血大男に違いない。頭を垂れ本当に犬みたいだ。

 と、いうことは前の三人は吸血鬼。

 疲れと怯えから千草はへたり込んでしまったが、蛍もどきはまた飛び上がると、あろうことか吸血鬼ズの消えた方向へと彼女を誘った。


「え、だめだめだめ」

 仕方なく追いかけると、蛍は急に右に折れ、一段と狭い通路へと進入した。それまでより壁面がずっとボロになり、床は汚れ全体のかたちも歪んでいる気もする。

 前方に白いものが落ちていた。駅前にあるコンビニのビニール袋だ。コンビニでの買い物が好きな増川らの落とし物だろうと直感した。

 —— ということは、ここは最初に来たところかも。

 三人はどうなったのだろうという心配と、ようやく戻ったという安堵が同時にやってきた。ここを探せ、というかのように蛍が壁の前を繰り返し旋回している。ライトを点灯して足元をたんねんに探す。

 あった。鳥のレリーフが二つ。前に見たのとそっくりだ。

 ここは最初に来た場所の裏側なのかもしれない。「ありがと、蛍くん」

 アンバー・ホームズの開門術が効くかは知らないが、とにかくさっきは開いた。たしか増川が叩き、林がひらけゴマとかいっていた。ためす価値はある。

 よし。

 飛び立つような思いを抑えつつ、千草はレリーフの前に立った。

 次の瞬間、爆音が響いた。


 おもわず耳に手をあてしゃがみ込む。近くではなさそうだが、空気が震えあちこちから埃が落ちてきた。

 咳き込んでいると、大小の破裂音と人の悲鳴みたいな音が続いて消えた。焦げくさいにおいも漂ってきた。地下のどこかでなにかが起こっているのは間違いない。逃げ出すチャンスだろうか。

 ホバリングしている蛍に「ねえ、どうしよう」と聞いたとたん、さっきよりも近くで轟音が起こった。

「ふぎゃっ」耳を聾するとはこのことだ。水中にいるみたいに耳が聞こえにくくなった。

 少し先の壁が派手に崩れ、煙とともに人がわらわらと出てきた。あわてて隠れ場所を探したが、間に合わない。

 まぶしい光が千草を襲った。

 ヘルメットにゴーグルをつけ、全身を防具でかためた甲虫人間みたいなのに取り囲まれてしまった。

 甲虫人間らは、口々に何かいいつつぐいぐいとライトを千草に押し付けた。よく見ればライトの上には別の筒がついている。どう考えても銃だった。銃を突きつけられているのだ。

 現実感のないまま彼女はつぶやいた。

 —— まぶしいやんけ。なんか吠えとるが、おまえらのせいで耳、聞こえんぞ。

 

 しかたなく、降参だという風に千草は両手を挙げた。

 彼女を囲んだ甲虫人間たちを押しのけ、一人が前に出てきた。全身が黒づくめで目印らしいのはないが、動きが落ち着いていてリーダーっぽい。

 キーンと鳴っていた耳が落ち着き、ようやく声が聞き取れた。リーダーらしき人はこういっていた。

「きみは何者だ。ここでなにをしている」

 と、いうことは警察か自衛隊か。少なくとも吸血鬼軍団ではないらしい。

「えー、わたしは」説明しようとした千草におっかぶせて他の甲虫人間らが口々に吠え立てる。

「危険だ」

「奴らの中に少女がいたとの情報もある」

「とりあえず拘束しましょう」


「私ただの、ふつうの女子高生です」と千草は懸命に自己紹介する。「地下道の見学にきたら、でっかい吸血鬼にここに引っ張り込まれて」

「なに?」

 最初に千草危険説を唱えた甲虫人間が、こめかみへライトを突きつけてきた。当然、銃口もだ。

「眩しい。やめてください」

 怒気を込めクレームを入れると、直接光をあてるのだけはやめたが、銃口は下ろしてくれない。

「ところでみなさんはどちらさま?」千草が聞くと、

「どうして吸血鬼だと知っている?」さっきの甲虫人間が凄みの増した声で聞いた。ほかの虫たちも油断なく千草に銃の狙いをつけている。

 —— しまった。このひとたち、私を吸血鬼だと疑ってる。

 あわてて釈明した。

「い、一緒にきた男子が、首を噛まれてそう思いました。血を吸われちゃって。あっ、ほかに男子が三人いたんですが、知りませんか、居場所」

 別の甲虫人間がつぶやいた。

「いやに落ち着いているな」

「ああ。こういう時は支離滅裂がふつうだろう」

 まるで千草が吸血鬼の変装であるかのようにいう。

「落ち着いてません」叫ぶように返したが、

「ひざまずけ。手を後ろに組め」と、銃でこづかれてしまった。 

 なにするんですか、と怒りたかったが喉がカラカラで声がでない。


「残念な生き物たちよ」やさしい女性の声がした。「鑑識眼を鍛え直せ。そのお嬢さんはまだ無関係。鬼はこっち」

 直後に突風が吹いた。いや、なにかが高速で千草らの周囲を駆け巡ったのだ。

 くぐもった悲鳴に、耳をつんざく音が続いた。

 銃だ、と思った千草はとっさに地面に体を伏せて小さくなった。それしかできない。

 破裂音と同時に周囲がまばゆく光った。閃光弾なのは映画で知っている。こんなタイミングで使う?と思いつつ膝で壁際ににじり寄り、ひたすら縮こまる。

 銃声、打撲音、悲鳴、銃声、呻き声。沈黙。何も聞こえなくなった。


「お疲れ。もう終わったよ」

 さっきの女性の声がして、千草はおそるおそる顔を上げた。まだ耳も目もおかしい。

 甲虫たちの落としたライトの光に、おしゃれな大学生という感じの若い女性が浮かび上がっていた。うしろには別の女性が三人。そろって髪が乱れている。

「こんにちは。いえ、こんばんはね。このお兄さんたち、いくらなんでもこの時刻に突入するとはバカよねえ。公務員ってみんなこんなの?そういえば私の公務員志望の元カレも融通が効かなかった」

 語る女性の唇から大きな犬歯がのぞいていた。そして、あんなに強そうだった甲虫人間たちは例外なく地に伏していた。生死は不明だが血のにおいはした。

 千草の動悸がひどくなった。


「うちのお姉ちゃんにはもう会ったよね。私のことなにかいってた?」

 千草は、カミラの指示通りしらばっくれようとしたが間が持たず、

「ごめんなさい、顔を見せて」と、遠慮がちに手に持ったライトで相手を照らした。

 光に目を細めた女性の年齢は二十歳前後。たしかに水槽の中のカミラに似ている。ただし髪は濃い茶色、瞳も青くない。

 千草の内心に気づいたのか、

「ああ、これ」と、彼女は髪に触れて笑った。「悪目立ちしないよう努力しているの。妹なんか完全に日本のJK。おしゃれと美味しいものが好きで、へんな言葉遣いに余念がない。あ、私たちふつうのご飯も食べるから。そっちのほうが好きかな」

 ということは彼女が次女のミリーらしい。

 後ろの女性たちも隙なくメイクを決めているが、顔立ちはミリーよりも地味だし彼女みたいな華はない。三女のサラはいなさそうだ。


「お姉ちゃん、金髪のままだったでしょ。あれはねえ、単に美容院へゆくのが面倒くさいから。行けばきれいにしてもらえるのに」と、ミリーであろう女性はにこにこと教えた。

「彼女って美人だから、すっぴんでもナチュラル志向だとかみんないいようにとってくれる。だけど正体はおそるべき不精者なの。情熱を傾けるのは読書ぐらいかな。それも日本のがいいんだって。ウエットなのが好きなのね」

 と笑った。とても魅力的だが、状況が状況だけに調子を合わせられない。

「この人たちは?」地面の甲虫人間たちを指さして千草は聞いた。

「おそらく警察所属の人外対策チーム。そんなのがあるのよ。もう2つほど来てたけど、そっちは他が応対してる。今日ここが手薄なのは本当。だから私が登場したってわけ。ふだんはこんな乱暴なこと、しないのよ。ところで」

 

 彼女は様子をあらため千草を見た。吹き付けてくるのは鬼気だろうか。

「どうやってあの部屋に?いちおう結界がはってあったのよ。あなたがなにか持ってる人ならありうるから、それを確かめたい」

「持ってる…?」

「私たちってほら、妖しい力の塊みたいなものでしょ。特殊な気配を放散しているのだって。一般人だと具合が悪くなるほどのやつを。この人たちは『瘴気』と呼んでる。ちょっと失礼よね」

 そういってミリーは倒れた警官らを示した。

「あ、私や妹は大丈夫。対策してるから。でも、姉はあんな状態でしょう。なのにあなたは平気で入り、出てきた。と、いうことは姉と特別に相性のいい人なのかなあって。これは貴重なのよ。ここ10年そんな人はいなかった」

「…はあ、そうですか」よく意味がわからない。

 ミリーはすっと千草に近づいた。

「それで、あなたを『使えるかも』と考えた。つまり、姉に元気とやる気を取り戻させるアイテムとしてね」

 彼女の目がかすかに光り、口元の犬歯が閃いた。

「だいじょうぶ。すぐに済む。あ、姉には当分内緒にして。彼女に無茶振りすることもあるけど、真剣に怒らせるのは避けたいの。あの人、私たちにも計り知れない力があってね。一種の災厄神みたいなものね」

 

 ふるえをこらえつつ千草はいった。「絶対に黙ってますから、家に帰してくれませんか」

「ごめんね。今もいったけどいくつかの点で難しい。姉と私たちの役に立ってほしいし、姉を見た人は帰さないって決まりもある。こちらの勝手なルールって思うでしょうけど、噂の域を超えて詳細情報が漏れるのはまずいでしょ。あなたが帰ったら、おそらく人外対策チームの尋問が待っている」

「そうだ、私と一緒にきた男の子たちは?」

「私もまだ聞いてないのよ」ミリーは後ろを振り返った。「どうなっているの?」

 背後に控える吸血鬼たちは、あいまいな表情のまま黙っている。

「と、いうことです。教える気はないみたい。この人たちも役人みたいに融通が効かないのよ。だから私は…」


 突然、ミリーから表情が消えて目を閉じた。軽くうつむくと目を開き、低い声でささやいた。

「待たせたな。予定より面倒な状況だが、どうしようもない。とにかく自由にする」

 すぐにわかった。この口調はカミラだ。

「ほんとうにいいんですか?」

「武藤に関係のない身内の揉め事だ。迷惑をかけてすまない。あのレリーフを二度叩けば戸が開き、空間がつながるはずだ。いや、さっきの穴から出たほうが早いかな」

「実は、私と一緒に来た男子たちなんですけど…」

「そうか、その子らがいたな。忘れていた」ミリーの中のカミラが舌打ちしたとたん、足音がした。

 あらたに5人ほどの男女がやってきていた。そろって手足がすらっとしている。

「ミリー様、お急ぎください」ひときわ顔立ちの整った男がいった。「襲撃者はひとまず制圧しましたが、油断はできない」

「そうか。ならお前たち、このお嬢さんを元の世界へ返しなさい」

「うむっ」イケメンはうろたえた。「それは、できかねます。あなたと姉上のためなのです」

 しかしミリーはまたうつむき、自分自身と口論をはじめた。

「しかたないでしょう」「そうね、でもやめなさい」

 おろおろと千草が見ていると、ミリーはまた顔を上げた。

「あなた、素直になって運命に身をまかせちゃえ。なんとかなる」はじめの口調に戻っていたが、目は血走って尋常の雰囲気ではなかった。ミリーに戻ってしまったらしい。


 仕方ない。千草はとっさに前に飛び出し、さっきの穴に向かって駆けた。うまく不意をついたつもりだったが、倒れていた警官につまずき転んでしまった。

 「いたた、ご、ごめんなさい」

 派手に蹴飛ばしたのに、警官はぴくりともしない。やはり死んでいるようだ。彼らにひどい扱いは受けたものの、同情しかなかった。

 立ちあがろうとした千草のもとへ、ほかの男女を手で制し、ミリーが一人で歩いてきた。

 彼女が最も若く見えるのに、最も貫禄があった。

「私のいうことを聞きなさい。それがあなたにとって最も幸福」

 ミリーは正面から千草の眼をみつめた。それまでとは違う燃えるような赤い瞳だった。唇から牙がのぞいている。

「大丈夫。痛くない。でも抵抗するとそのかぎりではない」

 ほとんど息のかかる距離までミリーは近づいてきた。いい香りが寄せてくる。

 千草の心にあった恐怖や迷いが薄れ、諦めの気分が押し寄せてきた。

 —— こんな描写がホームズにあった。バンパイアの特殊能力なのよね。何話だったっけ。

 思考力も頼りなくなってきた。

 

 だが、突然にミリーは棒立ちになると、目だけを動かし千草にささやいた。

「武藤、まだ意識はあるか」

 カミラだ。

「はい、なんとか」

「妹を許してやってくれ。武藤を連中に渡さない手段として、自らの眷属にするつもりだ。だが、私にはいい案とは思えない。なので別案を提案する。新作の『緋色の十字架』はもう読んだな」

「はい、何度も」千草もささやき返した。

「少年のアンバーがバンパイアに襲われた際、やったことは覚えているか」

「はい」震える声で返事した。「首に十字を描いた」 

「そうだ。もはやあれしかない。痛みは我慢しろ。女の子に傷は気の毒だが、いずれ治る。そして、描く際は心を空っぽにするのが肝要だ」

「空っぽ。ちょっと無理かも」

「とにかくやってみろ。上手くいけば二度とお前に手は出せなくなる。これはミリーが上位のバンパイアだからこそ使える裏技だ」

「途中で気づかれたら?」

「私も手伝う。そうだな、助言をひとつ。私たちの目は強い光に弱い。警官たちがやたらライトをあてたのはそのせいだ。その隙をねらうのはどうかな」


 数秒おいて、「くそっ、またやられた」とミリーが眉をしかめ首を振った。

「まったくなんのつもり?」とぶつぶつ呟いたが、吸血鬼たちを振り返ると、

「もう大丈夫。押さえ込んだ」と声をかけ、「じゃあ、やるね」と、千草の首筋で朱唇を開いた。

「あ、ちょっとだけ待って」千草はごく自然に声をかけ、フラッシュライトを持ち上げるなりストロボモードで発光した。

「うぎゃっ」ミリーが手で目を覆ったのを逃さず、千草はライトのベゼルの角を自分の首筋にあてると、痛みにたえて一気に縦と横とに線を引いた。皮膚が裂けて血が吹き出す。

 怒号とともにミリーは半ば目を閉じたまま千草の肩口をつかんだ。力任せに首筋へ顔を寄せる。

 が、地下道に響き渡るほどのすさまじい悲鳴があがった。今度もミリーだった。のけぞって絶叫し続ける。

 千草の首筋に十字が浮かび上がっていた。傷は、自ら光を放つかのように赤く闇に輝いた。

 

 悶え苦しむミリーは口から吐血し、血しぶきが千草の顔や首筋に降り注いだ。

「ミリー様っ」後ろの男女は完全にうろたえている。

 ついに彼女はその場にくずれ、体をまるめて動かなくなった。

 しかし、正面から血を浴びた千草もまた、意識があやしくなってきた。

 「しまった」「はやくなんとかしろ」と吸血鬼たちのさわぐ声がはるか遠くに聞こえた。

  —— あれ、まずい。なんだこれは。あれ。だめかな。

 

 「よくやった。あとはまかせろ」とのささやきを聞いた気もしたが、ついに千草の意識は闇に飲みこまれた。



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