第3話 地下道の少女
あの光をめざせばここを出られるだろうか。
不安に苛まれながら千草は考えた。
無機質な、現在地のさっぱりわからない地下通路をひたすらに進んできた。
いや、実際には30分にも満たない間だったかもしれないが、一晩中歩き回ったかのように疲れてしまった。
歩き続け角を曲がると、ぼんやりと光を放つ空間が唐突にあらわれた。
さらに、蛍みたいな小さな光がすっとそこへ入って行った。
まるでついてこいといわんばかりに。ついてこいってこと?
いや、チョウチンアンコウに捕まる餌って絶対こんな感じでしょ。
エリがいたらそう主張しそうだ。いや、ぜったいいう。
笑いそうになって千草は、頼りになるエリがここにいたらと思い、彼女の警告を聞いてもっと慎重に行動すればよかったと後悔した。
どうしよう。どうしてこんな目に遭っているのか。
外に通じた出口かもしれないし、いきどまりかもしれない。これでおしまいかも。
しかし、このまま一箇所にとどまり続ければ、いずれさっきの大男に見つかるだろう。
呼吸を整え、唯一のたよりのフラッシュライトを確認する。幸いバッテリーはまだある。
壁の中から突如あらわれた大男に同行の林と増川が襲われ、千草は山脇と逃げた。
途中足がもつれ、千草は転んでしまった。すかさずあの巨大な手が伸びてきた。
だが途中で動きをとめると、相手は千草の前へと全身をあらわした。
異様な姿だった。身長はおそらく2㍍以上。男性、長髪、年齢は不詳。くたびれたツイード地のスリーピースを着て足は裸足だ。おまけにバンダナみたいな布で鼻梁から上を覆っている、外は見えてなさそうだ。五条悟かよ。
その目隠ししたような顔を千草にむけ、大男は軽く首をかしげた。
その時、山脇が大男の脚にタックルした。「武藤さんにげろ」
倒れはしなかったが大男はたたらを踏んだ。
なんていいやつだ。逃げながら千草は感心した。
よろしい、二月になったあかつきにはチョコレートを一箱、下賜しようぞ。ゴディバの、コンビニに売ってるのじゃない高いほうのやつを。容器がかわいいし。
だが、山脇も上着を掴まれ、子猫みたいに投げられてしまった。彼もなかなかの体格だったが相手は人よりゴリラとかクマに近かった。打ちどころがわるかったのか、あえなくのびてしまった。
そのあと、大男は山脇の顔を見下ろしていたが、彼を噛むことにしたのか、のそのそと近づく様子を見せた。
千草は一瞬迷い、深呼吸ののちUターンして大男に近づく。気合いとともに彼の足をフラッシュライトの先端で突いた。ざく、ざく、ざく。
大男はうぐっとかいう声をあげた。少しは効いたらしい。だが大男の振り払った手によって、千草は彼の出てきたくらがりへと吹っ飛ばされた。ようやく立ち上がりライトを見つけたとたん、迫ってくる気配を感じた。しかたなく奥へと逃げた。あとはわけがわからなくなってとにかく走ってにげて、今に至る。
—— やっぱり罠かも。そう思いつつ千草はついにそのぼんやり光る空間へとふみこんだ。
とたんに空気が変わった。それまでの湿気たにおいから花屋さんの店先みたいな甘い香りへ。足元も履き清めてあるかのように異物感がなくなった。
しかし千草の視線は、奥に置かれた横長の箱へとくぎづけになった。これから光が漏れているのだ。おそるおそる近づいた。
どうやら金属でできた大きな筒だった。上部が透明になっており縁に控えめな照明もついている。内側は水で満たされているのがわかる。水草のような、コードのような紐状の物体が内側でうねっていた。かすかに機械音がしている。
—— 水槽?
よく見ようと千草はライトで照らしてみた。浮かび上がったものに驚く。
人だ。金髪の、おそらく女性。裸ではなく袖の短いワンピース的な服を身につけている。屍衣というやつだろうか。
肌の色は青白い。が、強い生気みたいなものを感じる。さらに見ていると、女性は水の中なのにゆっくり呼吸しているらしかった。
手足の長い、おそらく白人だろう女性。年齢は20代後半ぐらいか。成熟した感じがする。そして顔立ちは、彫りが深くとても整っていた。
「きれいなひと」思わず言葉がもれた。
前にどこかで見たような気がしないでもないが、思い出せない。オフィーリアの絵に似てるからかな。
気がつくと女性の眼が開いていた。瞳は青かった。
「いっ」自分でも妙な声を上げつつ、千草はそのままうしろに尻餅をついた。
手からライトが落ちたが、これを無くせばまさしくおしまいだ。慌てて拾い上げ、ポケットおさめて立ち上がった。また悲鳴がもれた。
いつのまにか目の前に小さな女の子がいた。
髪は金色、はだしに白い服を着て、青い瞳が千草を見つめている。
水の中の女性によく似ているがサイズが違いすぎる。あの美人の娘だろうか。
「こんなところへくるなんて、なにを考えている」
日本語で叱られてしまった。
どういう理屈かはわからないが、少女もまたぼんやり光を放っていて、暗がりでも輪郭が表情がはっきりと見てとれた。あとずさりしつつ千草は弁解した。
「ご、ごめんなさい。間違ってきちゃったの」
「ばかな。ころされたいのか」
不機嫌そうにいった口元に、巨大な犬歯があった。
—— この子も吸血鬼だ。
恐怖が押し寄せてくるはずなのに、どこかほっとしている自分に千草は気がついた。
さっきの大男に人間味は感じなかった。しかし少女は、人工物めいたルックスはともかく、人らしい感情をあらわにしている。美しくて偉そげなのは、まさしく小説中に登場する吸血鬼そのままだ。
この娘が地下道の少女なのだろうか。
芸のない質問だ、と思いつつも千草は聞いた。「あ、あなたはどなた?」
「おまえこそ何者だ」
小さな女王のように少女は言い返した。あまりの堂々とした態度に、
「わ、わたし、武藤といいます。武藤千草」と自己紹介してしまった。
「駅の地下通路にいたつもりなのに、突然」
いきなり出てきて暴れる大男を避けて、ここまで逃げてきたと説明すると、
「いったとおりだろう」と少女は顔をしかめ、つけ加えた。「あれはリアといって番犬そのものだ。若い女は襲わぬようしつけてあるのだがな」
「それが…」
千草がライトで足をざくざくのくだりを話すと、少女は目を丸くし、つぎに笑い出した。
「それは、見たかったな。だが、よく無事だった。次に襲われたら、あいつの額の布切れで隠してある部分をライトでごっそり削ってやれ。そうすれば動きはとまる」と教えてくれた。とても手が届きそうにはないが。
これで千草に気を許したのか、少女は愚痴めいたことをもらした。
「前は地下へくる人数などたかがしれていたのに、このところ我慢できないほどに増えた。ほぼすべてが野次馬だ。おかげで引っ越しが早まってしまった。わたしはめんどうは苦手で、ただ静かに暮らせればいいだけなのに。誰に怒ればよい?」
千草はつい「それは、ごめんなさい」と謝ってしまった。
「謝るということは、やはりおまえも幽霊を探しにここへきたのか」
「それは…ノーです。かたち的にはそうかもしれませんが、心情的にはノー。ほかのひとは、実話系怪談として人気の『M駅の少女』の幽霊を見にきたんだと思いますけど」
「少女か。ふふん」
「わたしにとっての一番の目的は、ここがある小説のモデルじゃないか確かめることでした。あなたの邪魔をするつもりはなかった。すぐ帰るはずだったのにいろいろあって…。ごめんなさい、変な言い訳して」
「小説のモデル?ここがか。怪談とはまた別なのだな」少女の瞳に好奇心のようなものが灯ったのがわかった。
「実はわたし、ある小説にとても興味があって、それはイギリスの駅の下に秘密の地下空間があって、魔術師が妖精たちを利用してテロ活動の準備をしていて。わかりにくいかな?」
だが、少女はニヤリとした。すごくうれしそうだった。
「おまえの話している小説を、私も知っているかもしれない」
「えっ」千草は嘘偽りなく驚いた。魂消た、といってもいい。
反射的に「これなんですけど」とバッグの中に入れたままだった私家本「バンパイア・ホームズ vol.4」を取り出してページを開いてみせる。
パチっと光がはじけて、少女が千草のすぐそばにいた。テレポテーションができるらしい。
「おお、これだ」のぞいた少女は感嘆の声を上げた。「どうやって手に入れたのだ。いいなあ。よくできてる」
感心しかない、といった様子で少女は褒めてくれた。瞳が輝いている。
「自分で作りました。無断制作だから個人のみ楽しむよう気をつけてますが」
読みます?と千草は本を渡そうとしたが、少女は悲しそうに首をふった。
「この姿ではものは手に取れないのだ。これは一種のエクトプラズムであって、実体があるようで無い。事情があって現在の私のからだはお休み中なのだ」
少女はさっきの容器を顎でしめした。
「あ、そ、そうなんですか。じゃあ、失礼ですがその姿は…」
「これが、私本来の姿というやつだ。ま、このあたりはややこしいのでまたゆっくりした時に話そう」
「ど、どうもご親切に」
「周囲からどうしてもと勧められ、このざまだ。この地下道と同様、古びたからだにリニューアルが必要なのだそうだ。気楽に本を読み暮らすだけなら、あと50年やそこらどうとでもなると思うのだが、新しくて元気になった私の体にさせたいことがある。欲の深いやつらだからな。むげに断れないのは、私の妹たちが一枚噛んでいるから」
少女は腕組みした。愛らしい外観と分別くさい口調のギャップが面白かった。吸血鬼だったら、100年ぐらいは生きているのだろうか。
「妹たちは契約まで結んでしまいおった。契約の交渉は短し、されど契約は長く当事者を拘束するという警句を知っているか。まさにそれを地で行く話だ」
「は、はあ。い、妹さんがいるんですね」
「武藤は兄弟がいるのか?」
「いえ、一人っ子です」
「それは気楽でいい。長女なんて最悪だ。我慢ばかりだし、妹に説教される情けなさといったら。女同士は感情がもつれやすいし、アンバーの兄弟仲がうらやましくてならん」
「ほんと、そうですよね」最後のひと言に、跳ねるように千草は応えた。ちょうどそれについて考えていたところだったのだ。「ドライな感じに見えて実はお互いを思い遣ってるじゃないですか。この前公開された『緋色の十字架』、読みました?これまで描かれてなかった兄弟の絆とか心情が…」
「うむ、私もあれは特に気に入っている」少女はひとしきり小説のシーンを千草と語り合い、揃って笑顔になると、
「まあ、私がマイクロフトみたいな頼れる姉だったかといえば嘘になるがな」
ペロッと舌をだした。牙があるのがかえってかわゆく思える。
「ここに、ずっと暮らしているのですか」
「いや、さほどの期間ではない。来たのはわりに最近だ」
といって少女は自らの手をしげしげながめ、
「こうなって困るのは、本やネットを閲覧するのが面倒なことだ。だれかにページを開けさせたり、あるいは妹の体を借りねばならない。いまは彼女らが眠っているうちに大急ぎで借りて、バンパイア・ホームズもその間に読んでいるのだが、疲労がとれなくて困ると文句をいわれてな」
「からだ、借してもらえるの?」
「嫌がって逃げ回るから、寝てから勝手に借りるのだ。サイコ・ジャックという理屈だな。彼岸島は読んだか?あれはとてもおもしろいが、バンパイアの描かれ方はちょっといやかな。不潔なのはきらいだ。そういえば、あれも兄弟でいろいろあるな」
そのとき、どこかで人の呼び合うような声がした。
「いかんな。こっちへくる。皆、なるべくこの場所には近寄らないことになっているが、他を探し尽くしたのだろう」
「どうすればいいかな」
「逃げろ。これを使え」少女は手を挙げ、蛍みたいな小さな光を呼び寄せた。さきほど部屋に飛び込んだのと同じらしい。
「これは私のペットみたいなもの。目や耳のかわりだ。妹はともかくそれ以外は気がつかん。これを追えば元きた場所につくだろう。しかし」
少女は青い瞳でまっすぐに千草を見た。「ほかのやつらはごまかせても、妹たちは無理だ。特に上の妹のミリーはな。鼻っ柱の強いしっかり者だ。これは直裁を好む。下の妹のサラは自分で陰謀肌と称しているな。妙に回りくどい行動をしたがる。どちらも決して悪い娘ではなく、私は慈しんできたつもりだが、このところ理想と希望にとらわれすぎて目が眩み、話が通じなくなっている。おそらく出口では、どちらかあるいは両方が必ず待ち構えていよう。出し抜くのは難しい。ざくざくもやめたほうがいい。とにかく腕力が強く、回復力はプラナリアもびっくりだ。リアなど比較対象にならん。バンパイアのなかでも、いわば特級だからな」
「特級、ですか。そんなにすごいの」
「そうだ。他とは持つ能力が桁違いなのだ。だからこそ裏もかけるがな。とりあえず、詰問されても私がお前の味方なのは自分からしゃべるな。のらりくらりとごまかせ。その間になんとか介入してみる」
足音が聞こえた。
「よし、いけ。こうなったらぶっつけでやるしかない。ミリーたちに会ったら、声と言葉の変化に気をつけておけ。おまえの役立つことを教えてくれるかもしれんぞ」といって少女はイタズラっぽく笑った。
そして、おそるおそる出て行こうとする千草の背中に少女は声をかけた。
「最後にひとつ聞きたい。武藤がバンパイア・ホームズに凝るきっかけはなんだ」
「えっ、きっかけ」思わず千草は振り返った。
「私は、もともとホームズが好きだったのは当然ながら、この話の作者が自分の知る人物かもしれないとの気がして、それで注意を払うようになった。だが、正直この頃は作者などどうでもよくなったな。誰が書こうが楽しめればそれでいい」
千草は棒立ちになった。まるで自分とそっくりだ。いまの少女の言葉が、今日最も衝撃を受けた出来事のように思える。
「私も、私もそうかも」うなずきつつ彼女は答えた。「最初は、知っている人に関わりがあるかもって思って、それで何度も繰り返して読んだ。でも」
千草は過去を振り切るように首をふった。「もうどうでもいいかな。単純にお気に入りになったし、むしろ、最初の想像通りだったらいやかも」
少女もうなずいた。これまでにない優しい目をしていた。
「わかった。気をつけてな。そして、おちついたらまた小説の話をしよう」
「そうだ、あなたの名前は?」
「わたしはカミラ。行け」




