第2話 なぞの美女と地下道の怪
守屋少年は駅舎中央にある広い階段を一階へと向かった。
夕方の混雑がはじまっていて、階段にも人はかなりいたが、特徴的な風貌を尾けるのはそれほど難しくはない。むしろ妙な高揚があった。
—— やっぱりあいつも四番ホームを見に来たのかな。
眼下の長い背中を追いつつ千草はそう考えた。
「まぼろしの四番ホーム」というフォークロアがこの明治橋駅にはある。ほぼ忘れられかけていた話なのだが、それをモチーフとした怪談が最近、評判になって野次馬も増えていた。野球ドラマみたいな名のこの話は、前の大戦のさなか、1940年代前半へとさかのぼる。
当時、軍事施設に近かった明治橋駅の地下へ物資輸送用ホームを新造する計画が持ち上がった。完成すれば同駅にとって4番目のホームとなる。
ところが着工の時点でもはやまともに工事のできる戦況ではなくなっていて、その後の敗戦により計画そのものがなかったことにされた。これが俗にいう「まぼろしの四番ホーム」である。
現在、明治橋駅の地下には駅東西を結ぶ地下道があり、バイパス通路のほか地下駐輪場入り口としても使われているが、これは地下ホームの遺構を後日活用したものとされる。
ここからが本題なのだが、この手の曰くつき施設にホラーストーリーはつきもので、むろん明治橋にもくらがりに将校姿(計画遅延を苦に自決した設定)の人影が佇んでいるとの話が戦後まもなくから存在した。昭和の妖怪ブームには劇画にまでなったというが平成、令和へと移るにつれ幽霊像が「らしさ」を失ったのか、怪談は半ば忘れられてしまっていた。
ところが、である。昨今の実話怪談ブームを背景に、今風にアップデートされた「M駅地下4番ホームの少女」という怪異譚——幽霊も軍人から放置子を思わせる少女へとチェンジ—— が案出され、一部に人気となっていた。
そこに先日、新たな駅再開発計画が発表された。これによりシン・4番ホーム怪談の普及へ拍車がかかり、地下通路の来訪者も、殺到とはいかずとも前年同期比4、5倍にはなっていた。
そして、怪談が直接の目的ではないにせよ、千草たちの目的もまた地下道だった。
しかし守屋は、地下道にはなんの興味もない様子でまっすぐ駅一階を北へと進んだ。
ついには駅舎から離れ、駅北端に接する公園へと足を踏み入れた。小さな雑木林があって台座の上から金属製の女性像があたりを見下ろしている。
千草が監視ポジションにつくと、守屋は上品な顔立ちの彫刻をぼんやり見上げていた。朱色の光が彼と彫刻とを照らしていた。
—— ふーん。待ち合わせっぽいな。
そんなことを考えつつ建物の影から様子を見ていた千草は、目を疑った。
ついさっきまで一人だった守屋の前に別の人間がいた。
彼もまた、動揺しているのがわかった。
その人物は、そばの彫刻に血が通ったかのように大柄な女性だった。上背も守屋にひけはとらない。さっきまでどこに隠れていたのだろう。
ロングコートにブーツ、肩のバッグはたぶんブランド品。間違いなく成人とは思うが、さすがに細かな年齢までは判読できない。ただ、遠目にも目鼻立ちが華やかに整っているのがわかる。
さっそく二人は会話をはじめた。女性がみぶりてぶり豊かなのに比べ、守屋はよそよそしい。緊張しているのかもしれない。
—— 知り合いかな。でもふつう、大人だったら喫茶店とかで待ち合わせたりしないの?
千草の頭に、(もしや、二人はこれから一緒に「個室」入りするのでは)との考えが閃いて居座った。駅近だしホテルには事欠かない。いやいや、まさか。まだ夕方だしやつは私と同じ16だよ。えっ、そうなの?
気を揉みはじめた千草をよそに、守屋は例の包みを彼女に渡し、深く頭を下げた。
女性はうなずいてそれを受け取ると、取り出した筒状の布ケースにそのまま入れ守屋に示した。ほら、ちゃんと入ったよ、という感じだった。
その後、二人は言葉を二、三かわしたかと思うとまた頭を下げあって別れた。最後はあっさりだった。
駅舎へと守屋が歩き去るのを女性はしばらく見送っていたが、「まあいいか」という感じに首をかしげ、歩きだした。彼女も守屋のそっけなさを残念がっているようだ。
だが、立ち止まって体をねじると軽く手を上げた。とどめに投げキッスまでしてみせた。
角度的に、それは守屋ではなく千草に対してとしか思えない。
「えっ、なにそれどういうこと?」
うろたえる彼女を尻目に、女性の姿はいつのまにか夕闇に消えていた。
—— なんなんだ、あのひと。きれいなお姉さんではあったけど…。
一方の守屋は、気が抜けたのか歩行速度が目に見えて落ち、追跡は容易だった。
彼は南口へと足を向けた。明治橋でも特に人通りの多いエリアだが、まっすぐバス停へ行き、屋根のあるベンチにどっかりと腰を下ろし、首をだらんと垂らした。すっかり燃え尽きたようだ。
ところでいったい、わたしは何を見せられたの?
千草は自問自答した。ただの荷物引渡しか。それとも麻薬取引とか?
こうなったら、悩み続けるより本人を直撃するほうが健康にはよい気がしてきた。
一部始終を観察していたとはいくらなんでも明かせないが、ちらりと見かけたという設定で接触するのはどうだ。エリを餌に話しかければ少しはガードが緩むかもしれない。これは勘にすぎないが、「人のいいクールビューティ」な同級生・エリを守屋はかなり意識している気がしていた。ふふん。あれはええ娘やで、兄ちゃん。
次第に気持ちが直撃へと傾き、決意がじわじわ胸中を満たしはじめたところで、千草の背中が音を立てた。
「げっ、なんだ」
後ろから叩かれたのだ。とっさにエリかと思って振り向いた千草に、甲高い男の声が投げつけられた。
「なーにやってんだよ武藤さん。痴漢?」
まぬけな笑みと共に後ろにいたのは、同じ高校同じ学年の増川という男子。その後方にも男子が二人。それぞれ林と山脇だ。気分はみるみる悪化した。
三人とも高校の「必修グループワーク」という、聞いただけでうざい特別授業において彼女と同じグループに属する。今日の待ち合わせの相手でもある。
「痛いじゃない」冗談への応答ではなく、はっきり怒気をこめて千草はいった。
「怒んなよお」増川はへらへらといった。「あんまりこないから探しに来たんだよ。今バス着いたの?」
「違う。遅れるって連絡したよね」千草は腕時計を見た。ちょうど約束の時間になるところだった。おそらく最初から待ったりせず、千草のいそうな場所を探し回ったのだろう。
「だあってさあ」増川がいうと林が「おれたち待たされるの、きらいだし」と続けた。そのコンビぶりにイライラが募って、きつい口調になった。
「私抜きでさっさとすすめればいいでしょう。待つ必要なんてない」
駅に来たねらいは、地下道の確認と映像撮影である。ほんらい彼女らのグループでは、明治橋を含む東部エリア一帯の現状と活性化についてまとめるのがテーマで、発表に向けた作業もそれなりに進んでいた。だが先日、10年がかりという新しい明治橋再開発計画が公表され、一部だが内容をみなおす必要が生じた。プレスリリースはじめ新計画の資料は手に入れたし関係者インタビューのアポも取れたが、話題の怪談話を完全無視もおかしいと増川らが言い出し、妥協案として地下道についてかるく触れる手筈になっていた。
増川と林はまだヘラヘラしているが、山脇は千草の怒りがわかってか、すまなそうにしている。
「え、だれか別のひとと用があるの?俺たちを見切って?」
「武藤さんってさあ、つきあい悪いってよくいわれない?きらわれるよ?」
こんどは林がいい増川がそれに乗った。が、ここまで嘲弄される筋合いはない。
だいたい明治橋へきたのは風邪を引いた同級生女子、陽気な今井ちゃんの穴うめなのだ。
グループリーダーの細井が千草の撮影手腕を評価していたのが代打出場の直接の理由だが、その背景にはジェンダーバランスを鑑み女子の同行がマストだとの増川らの屁理屈があるわけで、多少はバンパイア・ホームズがらみで気の迷いがあったのは事実だが、こちとら望んで加わったのではない。写真ぐらい自分たちでなんとかしろよ。
ムカっとしたのをクールダウンすべくあたりを見回し、千草は息をのみこんだ。バス停から守屋のヒョロ長い姿が消えたではないか。
胸の中で舌打ちを繰り返す。少しぐらいはこの忿懣をぶつけてやろうと息を吸い込んだら、
「いいかげんにさっさと進めようや。脱線が多すぎる」第三の男、山脇がぴしゃりといった。千草にではなく男子二人に対してだ。
増川は山脇の表情をみて反論を飲み込んだ。腰巾着・林はすでに顔を伏せている。「はやっ」と思う。
温和で口の重い山脇は、ふだん増川らに丸め込まれるばかりだが、本来はラクビー部に属し二人とは骨格からして違う。怒らせたら勝ち目のないのは明らかだ。
山脇が右手を拝むように千草へ示し、「悪い、これから頼める?」と聞いた。
しかたない。千草も「わかった。さっさとすませてさっさと帰ろう」と返し、四人はそのまま目的地へと急いだ。
明治橋の地下道にきたのは、千草にとって小学生の時以来だった。
その当時と印象はずいぶん変わった。照明や壁面の色が明るくなった以上に雰囲気が違う。以前感じたものさびしさはうすれ、やけに人とすれ違う。多くは若い男女だが中年男もいた。怪談マニアとかだろうか。
到着までに増川と林の見せたじゃれあいは千草をイライラさせたが、どうにか目的地である地下道でも特に古いとされるエリアへとたどりついた。
通称・停留所あと。実際に停留所だったのではなく、少し広く掘り下げられて天井に屋根みたいな張り出しがあるせいだ。なぜあるのかは知らないが、現在は消火活動用の給水栓が置かれている。さっきまでいた中学生っぽいグループが出てゆくと、千草たちだけになった。そして一行は、壁面に埋め込まれた一枚のプレートを見出した。
—— こんなのあったんだ。ちゃんと説明してあるじゃない。
そこには、かつてこの駅に地下ホーム計画が存在し、一部工事も行われたが結局中止されたこと、しかしその際の調査によって得られたデータが後年の駅の整備拡張に役立ったことなどがそっけなく記されてあった。それほど古そうでないし、前回のリニューアル時に設置されたのかもしれない。
いいのが見つかったとはしゃぐ男子どもに、(先に調べてたんじゃないのかよ)とあきれつつも、千草は持参のデジタルカメラとモノポッドを使い静止画と動画をささっと撮影した。山脇だけがスマホのライトを使って撮影の手伝いをしてくれた。お手軽にだが先に駅周辺の撮影もすませたし、さりげなくさっきの中学生たちをエキストラがわりに動画もとっておいた。見学者でにぎわう地下通路(第四ホーム)とか説明をつければそれっぽく見えるだろう。
ふー、これで帰れる。
義務というか義理を果たした千草は、あらためて地下道を見た。
—— やっぱり、違うよね。
駅に秘密の地下空間がある「ビクトリア駅の椋鳥」との共通点が見つかるかも、との思いつきが彼女をここまで来させた面もあるのだが、違ったようだ。地下道は地下道でしかない。
すると声がかかった。増川だった。
「ねえ武藤さん、せっかくだからおれたちと記念撮影しない?」
「イヤだ」
「もしかしたら幽霊が映り込むかもよっ!」
「必要ない」
「だめだって」「お、おう」
そんなやりとりのあと、千草は足元にさっきとは異なるプレートが埋め込まれているのを見つけた。高さは女性の膝頭ぐらい。
しっかり見ようと、千草はバッグからフラッシュライトを取り出した。
「えっ、武藤さんそんなの持ち歩いてるの!ミリオタかよ」「イメージ変わる」と、また男子どもがはしゃいだ。
アホか。
たしかにライトはタクティカル用を模した製品で、先端には穴掘りに使えそうなギザギザの金属カバーがついている。千草が子どものころ、母と離婚してしまった実の父親がのこしていった品だった。
—— これでてめえの眼玉をえぐってやろうか!
むかつきを抑えて足元のプレートを見る。妙な感じがした。鳥の姿が浮き彫りにされてある。
あれ。
鳥にくわしくない千草には種類などさっぱりだが、大きな鳥じゃないのはわかる。
打ち上げモードに入ってしまった男子二人を横目に、千草はかがみ込んでそれをみつめた。
幽霊少女出てこい、おれがヨメにしてやる!と林がわめき、増川が悲鳴みたいな笑い声を上げている。
「それはなに?」山脇がやってきて聞いた。
「う、うん。なんだろう、これ」
「こんな場所にレリーフってのも変だね」
「地下に鳥、いないし」
「河でもあったのかな。水鳥じゃなさそうだけど」
だが、二人のやりとりを邪魔するように増川が割り込んできた。千草たちの見ていたプレートに迫ると、足で何度も蹴った。「イテッ」と増川がいい、林が笑った。「ひらけゴマ」
また山脇がすまなさそうな顔をした。
もうやってられない。本日の予定はこれでおしまいと立ち上がりかげた千草は、ゾッとする気配を感じて動きを止めた。
頭上を、なにか大きなものが薙いだ。
地下道の壁に開いた暗闇からとつぜんに大きな腕が伸びてきたとわかったのはあとになってから。
その時の千草は、林の悲鳴に体がすくんだだけだった。闇から噴き出てきた黒いかげりのような「なにか」が彼女の下肢をとらえようとし、逃げてもまとわりついてくる。
林の小太りの肉体が巨腕につりあげられた、と思ったら地面に放り出された。
その腕が吸血鬼ないしグールのものであるのは、まもなくわかった。
今度は増川が捕まり、宙にもちあげられ、妙な音がしたと思ったら血が垂れて千草の足元にもこぼれた。
地下道に血の匂いが広がり、増川らしい呻き声がした。
顔をあげると、巨人に持ち上げられ首筋をかまれなすすべのない増川の体があった。
巨人の表情は影になってわからなかったが、なにが起こっているかは理解できた。こんな構図の絵があったのを思い出した。あれは子どもをかじる親だったっけ。
ライトはあてなかった。動転していたのと、単純に怖かったからだ。
「む、むとうさん、とりあえずにげよう」山脇がいった。
千草はだまってうなずき駆け出した、つもりだったが本当はよれよれと歩いただけだった。悲鳴は出なかった。
また予定より長くなりました。ごめんなさい。次こそはもっとテンポよく…。




