第90話 事件
帝国の船が難破した場所に近い港町ラーボエへは離宮のあるヴァイスヴァルトから1日ではたどり着けなかった。そのため街道沿いの広場に私達は幕営しようとしているところに、ルドルフくんが飛んできてくれた。
馬車から出て再び起こされた焚き火の方へ向かう。緊急事態で気づかなかったが、かなり気温が下がってきていて上着を羽織らないと寒かった。
焚き火のところに行くと、聖女様の横に子ども姿のルドルフくんがいた。
「あ、パパ! れいこちゃん!」
「おお、ルドルフ! 来てくれたんだね」
「うん!」
いつものことながらルドルフくんはごきげんである。大好きなパパとママのそばにいられるのが嬉しくて仕方がないらしい。そのルドルフくんに、レギーナさんが言いにくそうに話しかけた。
「ルドルフ、今回のラーボエ行きなんだけどね、その姿だとまずいんだ」
「そうなの、レギーナ」
「うん、聖女様、説明してあげていただけないでしょうか」
「うん、わかった」
聖女様は難破船のこと、その船員たちが怪しいこと、そしてそれを調べに行くことなどを語った。
「だったらママとパパ、危険があるってことじゃないの? 僕がいたほうがいいんじゃない?」
「そうなんだけどルドルフが子どもの姿になれるのを他国に伝えたくないの」
「う~ん」
「怪しい人がいないかは、玲子ちゃんに調べてもらう。ルドルフは船員たちに見えないところで待っていてほしいの。もちろん危なくなったら助けて」
「うん、わかった。でも、今夜は一緒に寝て、いいでしょ」
「もちろんよ」
「やったー!」
ルドルフくんの存在は頼もしく、その晩私はよく眠れた。
翌朝ルドルフくんはドラゴンの姿にもどり、どこかへと飛び去っていった。
そしてやっぱり乗り心地の悪い馬車に揺られた。午後、街道は突然海沿いに出た。
「あと少しでラーボエよ、あ」
聖女様の「あ」は、難破した船を海上に認めたからだ。私の目にも小さく見えた。
騎士たちの列が先導し、私達の馬車が街に入っていく。私にはよくわからなかったが、ステファン先輩は呟いた。
「うん、去年いなかったような人がいっぱいいるね。難破船の船員だろうね」
「うん、私もそう思う」
馬車は広場に止まった。すぐ横には礼拝堂が、その反対には船のマストが林立しているのが人々の向こうに見える。
「聖女様~!」
「殿下~!」
という声が聞こえる。
私は事前に聖女様ご夫妻に進言していた。ラーボエでは自分が最初に馬車から降りると。しかしお二人はかたくなにそれを拒んだ。馬車のドアを開けるとき、私はとても嫌な気持ちだった。
ドアが開く。住民たちの歓声が大きくなる。この歓迎ムードであれば大丈夫だなと思う。
手を振りながら最初に殿下が馬車を降りた。
こちらに振り返り、聖女様が降りるのに手を貸そうとした。
すると馬車を囲んでいた民衆の中から一人の男性が、こちらに駆け寄ってきた。
騎士たちがそれを止めようとしたが、その男は力強く、結局馬車の下までたどりついてしまった。
「ステファン、危ない!」
聖女様の声が響いた。
でも私は見てしまった。その男はしっかりと聖女様を見据えていた。その顔は歯をくいしばり、くちのまわりの皮膚はシワが大きく、目玉が飛び出そうなほど目が大きく丸く見開かれていた。
腰のあたりに両手で握られたものがあり、キラリと光った。
「アン! 降りちゃだめだ」
ステファン先輩は聖女様を馬車に押し戻そうとした。
「ウガッ!」
殿下の口から恐ろしい声がし、殿下は崩れ落ちた。
「ステファン!」
聖女様が絶叫し、抜剣した。
そして聖女様は剣を両手で持って馬車を飛び降り、犯人を斬り殺してしまった。
白を基調とした聖女様の略装に、犯人からの返り血が飛び散った。
聖女様は犯人を捨て置いて、地面に横たわるステファン先輩に駆け寄った。
上空からルドルフくんが急降下してくるのが見えた。
聖女様の体が金色に光った。私は聖女様の手助けをすべく、ステファン先輩の体を抱く聖女様の体に触れた。
「修二くん、死んじゃだめ。死なないで!」
聖女様の絶叫が響く。
「修二くん! 修二くん! 修二くん!」
完全に取り乱した聖女様の思考が私に流れ込んでくる。それに負けないよう、私の魔力を聖女様に流し込む。魔力切れになってもかまわない。
先輩は助かるだろうか。
いや、なんとしても助かってもらわなくてはならない。




