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第89話 ダンパー

 翌朝まだ薄暗いうちに、私達は離宮を出発した。私は聖女様とステファン先輩と一緒に馬車、その他の馬車はみんな物資運搬用である。ヘレン先輩をはじめとした先輩たちはみんな騎乗でかっこいい。聖女様も殿下も、さらに私も馬に乗れないわけではないのだが、警備のためということで馬車になってしまった。


 離宮の車寄せで馬車に乗り込む。聖女様用の白く美しく装飾されたいつもの馬車だ。

「れいこちゃ~ん!」

 その声に振り向くと、まほちゃん、みほちゃん、あかねちゃんがヤニックさんを囲んで手を振っている。「気をつけてね」とか「がんばってね」とか言っている。

「がんばってくる! みんなもけがとかしないでね!」

と心のなかで返事した。手だけは振っておく。


 隊列を組み、出発となった。馬車の窓から手を降るヤニックさんが見える。まだ明るくなりきっていないので、表情はよく見えない。それでもずっと見ていたかったのだけれど、馬車はすぐに向きを変えてしまった。


 明るくなってくるまで、馬車の中ではだれも口をきかなかった。


 街道に出た。私達だけ馬車だが馬車なら楽かというと、そんなことはまったくなかった。おしりが痛い。腰にも来そうだ。馬車の速度がいつになく速かったからである。

「これね、戦地へ向かう速度。のりごこちは無視ね」

 聖女様が教えてくれる。ラーボエ付近で難破した帝国の船がどうも怪しいから、結構急ぐ旅になってしまった。

「僕もこの速さは二回目だよ。舌噛みそう」

 殿下も笑いながら言った。一回目の経験は、ヴェローニカ様の出産にかけつけたときだそうだ。

「馬車は板バネで支えられているだけだからね、揺れはひどいよね」

 聖女様はよくわからない説明を始めた。板バネが車輪と車台の間に入っていれば、路面からの衝撃は相当和らげられるのではなかろうか。

「玲子ちゃん、ダンパーって、知ってる?」

「知りません」

「バネは入力があったら、しばらく単振動を続けるでしょう?」

 単振動とは、バネがビョンビョンと振動する現象である。

「自動車の場合はね、バネとセットで油が入ってるピストンみたいなのがついててね、ダンパーって言うの」

 聖女様の説明によれば、シリンダーに入れられたピストンの頭には穴が開けられていて、ダンパーが動くときにそこを油が通るという。油が通った分だけしかピストンは動かないので、これで振動を抑えることができるそうだ。簡単に言えば、路面の凸凹による衝撃をバネで受け止め、そのバネの振動をダンパーで抑え込むのだ。

「ダンパーがないと、路面からの入力がいつまでも車体を揺らしてしまう。だけどダンパーで振動を押さえれば、車の動きが滑らかになるんだよ」

「はあ、でもそれだと乗り心地が固くなっちゃいませんか」

「もちろん、だからバネの硬さとのバランスが大事なんだ。例えばね、滑らかな路面を走るレース車両と荒れた路面を走るラリー車を比較するとね……」

「アン、こんな揺れる車内でそんな話をしてもさ、玲子ちゃん気の毒だよ」

「だけどさ、金属加工の技術が進めば、ダンパー作れると思うんだよね」

 そのあとしばらく、聖女様のクルマ談義というかダンパー開発計画を聞かされた。


 街道に出た。聖女様もステファン先輩も、楽しそうに話をしている。それをお二人に指摘すると殿下は答えた。

「玲子ちゃん、君たちが僕とアンのこと、心配しているのは知っている。確かに僕もアンと働けるのは嬉しい。ちょっとくらい、うかれさせてくれよ」

「はい」

「ま、それはともかく、僕もアンもさ、立場上遭難者をあたまから疑うような行動はとれない。だから玲子ちゃん、悪意をもつ人間の発見、頼むよ」

「私からもお願い、だけど自分の安全を第一にね」

「はい」

「私たちも玲子ちゃんも、レギーナたちの言うことを聞いていれば大丈夫よ」


 ラーボエまでは遠く、1日ではつかなかった。明るいうちはとにかく距離を稼ぐ。ただ、馬も適度に休ませねばならないし、秋が近づいてきているので日は短くなってきている。結局街道沿いの広場に野営ということになった。


 皆で手早く設営する。騎士団は戦闘部隊だから、皆手早い。私もなにかしなければいけないと思いウロウロするのだが、どうもかえって邪魔をしている気がする。そんな中聖女様がテントを立てているのにも驚いたが、ステファン殿下もテントの張り綱を引っ張っているのにはもっと驚いた。ひととおり設営が終わって夕食となったとき聖女様に聞いてみた。

「聖女様、殿下ってテント立てるの慣れてるんですね」

「うん、去年戦死者のお墓参りに各地を回ったんだけど、私もステファンもすっかり鍛えられたわ」

「いや、僕は鍛えられてないよ。むしろ日ごろと違う体験が楽しくてね」

 そんな会話をしていると鋭い声があたりに響いた。

「南から飛行物! 警戒せよ!」

 聖女様は立ち上がり、近くにいたレギーナさんに指示する。

「おそらくルドルフだと思うけど、規定の措置をとって」

「ハッ!」

 騎士たちは一斉に動き始める。非戦闘員であるステファン殿下と私は馬車に乗せられる。騎士たちは一斉に動き始めた。馬車から見ているとせっかく作られた焚き火はすべて消され、わずかに残された明かりの中に聖女様が立って何事か指示している。

「僕の奥さん、かっこいいだろう」

 ステファン殿下がおだやかな声で言った。

「先輩、ここで惚気ですか」

「うん、たまにはいいだろ」

「まあいいですけど、先輩って、いつから聖女様を好きになったんですか?」

「恥ずかしいけど、一目惚れだね」

「ああ、例の合コンですか」

「うんうん、杏は酔っ払ってさ、進路があやふやだった僕や明を説教してね」

「有名なお話ですね」

「ははは、飲んでもシラフでも、杏はいつでもブレないからね」

「そうですね、ははは」

 そこへツカツカと聖女様がやって来た。怖い顔をしている。

「ちょっとステファン、緊急時に玲子ちゃんとなに笑ってんの?」

「いや、僕の奥さんを玲子ちゃんに自慢してた」

「あ、あ、あっそう」

 聖女様は戻って行った。


「聖女様、何を話に来たんですかね」

「まあ、すぐもどってくるだろう」

 殿下の言う通り、数歩進んだところで聖女様はくるりと振り返りこっちに戻ってきた。

「二人とも、安全だよ。ルドルフだった」

 そしてドドーンと、ルドルフくんが着地する地響きがした。

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