第88話 出動要請
ある朝離宮の食堂で食事を摂っているとき、近衛騎士団から急使がきた。近衛騎士団は王室の護衛が公の任務だが、秘密の仕事として国内の諜報活動も行っている。だから近衛騎士団から急使があったということは、王室に緊急事態が発生しているとか国内で反乱が発生しているとか、とにかく国家の治安が脅かされていることを意味する。
聖女様はいつもの仲間の先輩たち、親衛隊の幹部、さらには私も連れて会議室に入り、使者の話を聞くことになった。
「報告をお願いします」
聖女様は穏やかな声で言った。
私は内心感嘆していた。豪胆で知られるネリス先輩すら、緊張した面持ちである。身内に危機が訪れているかもしれないステファン先輩、その親友のフィリップ先輩たちも硬い表情だ。その中で聖女様だけがいつもの穏やかな表情で、穏やかな声で報告を促したのだ。
聖女様は感情に溺れがちだ。自身の喜怒哀楽にも、他人の感情にも流されやすい。基本的に人を信じているからだ。そして聖女様の感情は人々に勇気を、安らぎを与える。
今、使者を務める騎士は重大な情報を持っている。内心不安かもしれない。雲の上の存在である聖女様やステファン殿下に重大事項を伝えなければならない。その任務をきちんと果たしてもらうため、聖女様は平静を保っている。
「聖女様、港町ラーボエの近くで船が難破したことはお聞き及びと思います」
「ええ、聞いています」
「詳細が判明しました。難破したのは帝国の交易船ゲフィオン号です」
「なるほど、それで」
「はい、ラーボエでは救援活動を行っていますし、第一騎士団からも救援隊を送りました」
「はい」
「それで救援隊の情報では、難破に不自然なところがあると」
「はい」
「まず、難破ですが、よく知られた岩礁にのりあげています。そして救助された船員たちですが、妙に元気で、街に出てはいろいろと聞き回っているようです」
「はい」
私はさらに感嘆していた。
聖女様は話を促すだけで、質問をしない。聖女様が質問してしまうと使者の騎士はそれに答えなければならず、近衛騎士団からの情報を伝えにくくなってしまうかもしれない。
「それでマティアス様からの伝言です。休暇中の聖騎士団長には大変申し訳無いのですが、ラーボエに速やかに進出していただき、必要な措置をとっていただきたいとのことです」
「わかりました、できるだけ早く、ラーボエに参ります。フィリップ!」
「伝書鳩魔法でマティアス様へそのように伝えて。騎士ベルンハルト、お急ぎかと思いますが、少し離宮でご休息ください。ヘレン」
「はい」
「食堂へ行って、ベルンハルト殿に飲み物と何か食べ物を用意してもらって。あとみんなには、私がラーボエに行って、遭難者を慰問する予定だと伝えて」
「承知しました」
ヘレン先輩が駆け出していった。
「ベルンハルト殿、お急ぎかと思いますが、ここの料理長ヨアヒムさんの料理はおいしいのよ。徹夜でお疲れでしょう。少し休息をとってからお帰りください」
「はい、ありがとうございます」
ベルンハルトさんは退出し、離宮常駐の騎士さんの一人が案内していった。
入れ違うようにヘレン先輩とフィリップ先輩がもどってきた。
「さっきは適当にラーボエへ慰問に行くって言っちゃったけど、ちゃんと相談しよ」
フローラ先輩があきれたように、
「まあいつものことだけどね、ちょっと考えてほしいな」
と言った。
「まず初めに言っとくけど、ラーボエには僕も行くよ」
めずらしくステファン殿下が断言した。
「いいの? ステファン」
「ああ、情報は少ないけれど先程の話からすると、難破船は怪しいことは怪しい。だけどマティアス殿がアンに『必要な措置をとって欲しい』というのは、表立って軍事行動を起こしてほしくないということだと思うね。どう思う、フィリップ」
「ああ、殿下の言う通りだろうね」
いつも通り、中途半端な敬語である。
「だから慰問と言う名目は、いいと思うんだよ。それなら僕も、一緒に行ったほうがいいだろう」
「ああ、聖女様と殿下がご夫妻で訪れるとなると、見た目は猛烈に平和だよな」
「そうなんだよ。で、問題は僕にしろアンにしろ警護無しには動けない。だからある程度の部隊を動かすにもちょうどいいだろう」
「なんだよ殿下、今日は妙に冴えてるな」
ケネス先輩が感心したように口を挟んだ。
「あのね、僕だってね、アンといっしょに働きたいんだよ」
聖女様はと言うと、目をうるうるさせている。
私は危険を感じた。ステファン先輩は聖女様といっしょに働けることを純粋に喜んでいる。聖女様も先輩と働けることが嬉しくて仕方がないらしい。お二人に冷静さが足りない気がする。ヘレン先輩の方を見ると、私と視線をあわせ小さく頷いた。フローラ先輩、ネリス先輩の表情も硬い。あとで相談しようということと見た。私も小さく頷く。
オフィシャルな会議では最初の聖女様のアイデアどおり速やかに離宮を発ち、港町ラーボエで難破した帝国の船員たちの支援にあたる。そのなかで聖女様と私がもつ心を読む魔法を用いて、この遭難が本当なのか、そうでなければ帝国の目的はなにか、それを探ることになった。
「では、明日の早朝、ここを発ちます。レギーナ、準備を」
「承知いたしました」
レギーナさんが必要は措置をとるべく会議室を出て行った。
ヘレン先輩は聖女様に、
「聖女様はこの出動がうまくいくよう、殿下とお祈りしていて。私達は警備計画を考える」
「わかった、よろしく」
そしてヘレン先輩は、
「玲子ちゃん、ちょっと」
と私を呼んだ。
聖女様が礼拝堂へと出ていくと、残った私達は一斉にため息をもらした。
しばらくの沈黙の後、フィリップ先輩が言った。
「ちょっと殿下、心配だなあ」
ケネス先輩も、
「ああ、殿下はさ、聖女様といっしょに国のために働けるの、うれしいんだろう」
と同調している。
「まあ聖女様が殿下と一緒でうかれるのは、いつものことだけですけどね」
疲れたようにマルス先輩が言った。
そこへレギーナさんが戻ってきた。
「それでは警備計画、立てましょう」
さすがは親衛隊のトップ、このあたりの呼吸はバッチリだった。
その日はすべての予定をキャンセルし、出動準備に費やされた。
今回の出動は遭難者の慰問・救援というのが名目だが、内実は帝国からのスパイの発見を目的にしている。非戦闘員であるネリーさんやヤニックさんは行けないことになった。私も非戦闘員であるが、心を読む能力を持っているので行かないわけにはいかない。
その夜遅くすべての準備が終わったところで、ヤニックさんが私の部屋を訪れてきた。私はヤニックさんと中庭に出て、星空を見上げた。今夜も天文観測は行われていたから、私は特になにも言わなかった。ヤニックさんはだまって私の手を握った。
私は心を読む魔法を発動させなかった。
ただただその手のぬくもりを感じていた。




