第70話 帰還
「れいこちゃん、おきてよ」
私はトントンと体を叩かれ、起された。目をあけるとルドルフくんだった。
「あ、ごめん」
「はは、昨日眠れなかったの?」
「うん、色々考えてね」
「そっか、朝ご飯できてるよ。食べたらすぐ出発だって」
「うん、急ぐ」
体を起こすと聖女様のベッドはすでにきれいに整えられていた。私だけ大幅に寝坊したらしい。急いで着替える。
階下に降りると、魔女様に叱られた。
「レイコ、大聖女様を待たせるとは何事だ」
「は、はい」
私が謝りかけると聖女様は、
「あの、逆に私は早く目覚めてしまっただけですし、その大聖女様はやめてください」
と言った。
「いえいえ、アン様は栄光に包まれた大聖女としてのご実績があることに加え、聖騎士団の初代団長、さらには王位継承権第二位のステファン殿下のお妃でもあられます。私はもとは王族とは言え自ら望んで平民の身になったのです。このような私の貧困な語彙からいたしますと、大聖女様としかお呼びしようがないのです」
魔女様がふざけているのはよくわかるので、私は思わず笑いそうになった。
「玲子ちゃん!」
「はい?!」
「今のヴェローニカ様に話しちゃだめだからね」
「は、はい」
「そうか、ヴェローニカ妃殿下に手紙を書くとしよう」
「魔女様!」
「ははははは」
昨日までの朝食は静かに摂っていた。今朝は魔女様の冗談で明るい食卓になった。魔女様は私達を明るく送り出そうとしているのだとなんとなく感じた。
食卓は明るかったが、外はあまり明るくなかった。天気は下り坂である。食事を摂り終わったら魔女様は言った。
「天気がいつまでもつかわかりません。できるだけ早くここを出てください」
「はい」
私は返事したが、聖女様は返事しなかった。見ると目が赤い。
支度は簡単だった。もう着替えてあったし荷物は昨日のうちにつくってあった。足元を改め、荷物をかつぐだけである。
外に出る。もういつ雨が降り出すかわからない。魔女様は先立ってエーデンバッハ村へと続く道の入口へと歩いていった。私達3人はついて行く。
道の入口で魔女様は振り返って離し始めた。
「ルドルフ、いつでも遊びに来てくれ。私は楽しみに待っているよ」
「うん、来る」
「これからの帰り道、ルドルフは殿だ。二人をしっかりと守ってくれ」
「はい」
「レイコ、お前は私の一番弟子を名乗ることを許す」
「は、はい、ありがとうございます」
「聖女様は忙しすぎるし、純粋すぎる。お仲間たちと一緒に聖女様を支えてやってくれ」
「はい、承知しました」
「仕事も大事だが、幸せになるのだぞ」
ヤニックさんのことを言っているのはわかる。
「はい、ありがとうございます」
「そして聖女様」
「はい、私は二番弟子なのですね」
「才能はレイコに劣りませんが、聖女様にはなすべきことが多すます。魔法はある程度、レイコにまかせるといいでしょう」
「はい」
「王室を、ステファンを、ノルトラントを、頼みます」
「はい」
「レイコ」
「いつ雨が降るかわからん。先頭に立て。行くのだ」
「はい、お世話になりました」
聖女様も挨拶していたが、涙声で何を言っているのかよくわからなかった。
私も泣きそうだったが聖女様を先導しなければならない。森の道に足を踏み入れた。
天気が悪いので森の道は暗く、少し不気味である。不思議と小鳥の声も聞こえず、私達3人の足音、そして聖女様が鼻をぐずらせるのが聞こえるだけだ。いつまでもグスッ、グスッと音を立て続けるのでルドルフくんが文句を言った。
「ママ、心を弱くしてると魔物につけ込まれるよ」
「ごめん、ルドルフ。もう大丈夫」
実は私は近くに魔物の気配をいくつも感じていた。しかし敵対的ではない。むしろ私達を丸く囲んで守っているように感じる。
「ルドルフくん、魔物に護衛、頼んだ?」
私はルドルフくんに聞いてみた。魔物の頂点に立つドラゴンであるから、そんなことも可能かと思ったのだ。
「ううん、れいこちゃん。頼んでないよ。どっちかというと、魔物たちがママを慕っているみたい」
「そうなの?!」
そう言って驚いたのは聖女様本人だ。私も驚かないわけではないが、むしろ納得してしまう。さすがは大聖女様だ。聖女様の魔法の力が洗練されたことを魔物たちが敏感に感じ取ったのではなかろうか。これはヘレン先輩に報告しなければならない。
「ルドルフ、玲子ちゃん」
「はい」
「これ、秘密だからね」
「はいはい」
私はつい気のない返事をしてしまった。黙っていてもいずれどこかでバレるからだ。ルドルフくんは「は~い」と気楽に返事していたから、私と考えはあまり違わないと見える。
雨が降り出した。急いで雨具をつける。魔法を使うてもあるけれど、使い続けるのは疲れるので雨具のほうが合理的だ。
歩き続ける道は森の中でえぐれたようになっているから、泥水がたまり始める。すべらないように気をつけるから自然と視線が下がってしまう。取り囲んでいる魔物たちをありがたく思う。
「美しい森ね」
うしろから聖女様の声が聞こえた。
つい足をとめて周りを見渡すと、森の木々が雨に濡れている。いつの間にか薄い霧が視界をせまくしている。遠くは白い背景に黒い木々がぼうっと浮かび、近くでは樹や草の葉が濡れてみずみずしく光っている。
「確かに美しい景色ですね」
「うん、雨もまた、天の恵みなのよね」
「はい」
私は正直なところ、雨具から顔に水がかかるのが鬱陶しかったし、少しずつ首筋から入り込む水、濡れはじめた靴の中も嫌だった。だけど今の言葉でそれが全く嫌ではなくなった。
やがて先方の魔物達が散開するのがわかった。見通しの良かった森野道が背丈の高い草や蔓性の植物に覆われた。それを抜けるとそこにはヘレン先輩、フローラ先輩、ネリス先輩が立っていた。後ろには騎士団の人たちが並んでいる。
ヘレン先輩が言う。
「聖女様、玲子ちゃん、ルドルフ、おかえり」
「うん、ただいま」
「只今戻りました」
「ただいま~!」
聖女様は先輩たちだけでなく、騎士団の人たちにも一人ひとりハグしていく。私は雨に濡れながらその美しい光景を眺めていた。
はじめの方でハグを終えたフローラ先輩がボソッとつぶやくように言った。
「玲子ちゃん、魔法の修行をしてきたのよね」
「はい」
「魔物の使役の魔法も習得したんだ」
「いえ、そんなことは……」
「そうなの? でもさ、多分この国の歴史で、魔物に守られる聖女なんて初めてじゃないかな」




