第66話 進歩
それからも毎日、午前はランニング、午後は念力のトレーニングを続けた。聖女様もランニングに加わり、ほぼ私と同じペースで走れるようになってきた。つまり聖女様も、身体強化系の魔法は進歩しつつあることにあなる。ただ、私も聖女様も念力の方はあまり進歩しないので、私は焦りを感じていた。聖女様はというと、ときたま豆が動くので私よりはマシであった。
日々の生活は魔法の訓練だけではない。掃除、洗濯、畑仕事もある。なかなかに忙しい。時折魔女様が思いついたように雑用を命じてくる。だから夜寝る頃にはまぶたが半分閉じているようなことが普通で、ベッドに入ると即落ちの毎日だった。
ある晩、ふと目が覚めた。すぐに何故目が覚めたかすぐわかった。
足がつるのである。
中学で部活がしんどかった時以来である。
つるのがわかっているので、あきらめの心境で足がつるのを待つ。
予定通り痙攣が始まり、ベッドの上で一人悶絶する。
しばらく耐えていると痙攣はおさまり、ほっとした。
そこで気づいたのだが、部屋のもう一つのベッドに聖女様がいない。
トイレかと思う。私も行っておこうと思い、階下に降りる。
するとテーブルには聖女様がつっぷしており、対面には魔女様が頬杖をついて聖女様を眺めていた。
会釈をしてトイレをすまし、テーブルのところにもどる。
「お茶でも飲むかい?」
「はい」
「ちょっと待ってな」
「ありがとうございます」
なんとなく聖女様の横に腰掛けると、テーブルには聖女様がいつも持っているノートがあった。たくさんの数式が書き込まれているのがわかる。Lという大きな字が見えるから、解析力学を勉強していたらしい。
テーブルにはそれだけでなく、豆もいくつか転がっているから念力の練習もしていたようだ。
魔女様はマグカップを私の前におくと、元の席にもどった。
「いただきます」
と言ってから、一口飲む。ハーブティーが胃にしみる。
私も魔女様も無言のまま、しばらくお茶をすすっていた。
お茶をほとんど飲み終わる頃、
「この子はすごいね」
と、魔女様がボソッと言った。
「毎晩ではないが、ときどき夜中に一人でやってるんだよ。念力の練習はいいとして、何か勉強しているようだな」
「そうですね」
「いろいろとしょいこんでいるんだろう、聖女とか騎士団長というだけでなく」
「はい」
「詳しくは聞かないが、あんたは知っているんだろう」
「はい」
「この子は公務を休んでまでここに来た。しかしここのところ進歩は少ない。体はきついだろうに、あせりが大きいんだろう」
「そうですね」
「しかし、私にできることは少ないんだよ」
「はあ」
「魔法が安定して発動するようになれば、技術的なことを教えることはできる。だが、魔法の発動に関しては自分の問題だ」
「はい」
「とにかく自分でのりこえるしかない」
それは私についても言える。
「あと少しだ、とかいう慰めは言わない。とにかくあがきつづけるしかないんだよ」
「はい」
「聖女様を寝かしてやるか。ふとんをどけといてくれ」
寝室にもどり、言われた通り聖女様のベッドのふとんをどける。すると空中にうかんだ聖女様があらわれ、後ろに魔女様がいる。魔女様はそいのまま聖女様をベッドに降ろし、
「レイコ、あんたも寝な」
と言った。
言われるままベッドに入り目を閉じる。
「おやすみレイコ、おやすみなさい、聖女様」
日頃魔女様は、聖女様をアンと呼び捨てにする。しかし今、明確に「聖女様」と呼んだ。そこには明確な敬意が感じられ、魔女様が心を鬼にして聖女様を鍛えているのが理解できた。
翌朝、魔女様はいつもどおりだった。私達もいつもどおり、魔法の練習、掃除洗濯炊事、畑仕事をする。
午前のランニングの間の休憩の時、私は聖女様と並んで座っていた。体はきついのだが、きつい事自体に慣れてきた。だから考え事をする余裕も出てきて、なんとなくヤニックさんのことを思い浮かべていた。
「玲子ちゃん、手、つないでいい?」
「はい」
私の左手に聖女様の手が触れ、すると不思議なことに私の頭にステファン殿下の笑顔が浮かんできた。
「玲子ちゃん」
「はい」
「ヤニックさんのこと、考えてた?」
「はい、聖女様は殿下のことを?」
「うん」
手を離すと殿下のイメージは消えた。
今度は私から聖女様の手のひらに、私の手のひらを合わせてみた。すると今度は私の顔が大きく見える。あわてて手を離す。
「ルドルフ!」
聖女様が呼ぶと、ルドルフくんはとことこと歩いてきた。
「手を出してみて」
聖女様はルドルフくんの手をとると、目を閉じた。
しばらくして聖女様は言った。
「あんた、ごはんのことばっかり考えてるのね」
「ママはパパのことばっかりだね」
「うるさい」




