第58話 魔女の森への旅(1日め)
馬車が王宮を出発してからしばらく、聖女様は口を開かなかった。眼が赤かったからステファン殿下とのしばらくの別れを惜しんでのことであることはわかりきっていたから、馬車に同乗するネリーさんも私も黙っていた。私としても思いがけずヤニックさんに会えて嬉しい反面、別れが辛くもあった。顔をあげるとそういったことに気を使ってかネリーさんは窓の外の景色を見ているような見ていないかのような微妙な視線だった。
ただ私は気付いた。私はヤニックさん、聖女様はステファン殿下を残して旅立った。つきあわされているネリーさんも、王都に大事な人を残してきているのかもしれない。ただそれを聞くわけにもいかず、結局最初の休憩地まで誰も口をきかなかった。
その最初の休憩地は大きな川のほとりだった。しばらくこの川の北側を遡るように東に進むという。
「川沿いは馬の水の確保が楽でいいわ」
聖女様は騎士団長らしい感想を述べた。続けて、
「来るわ」
と言った。
「あっちね」
聖女様が指差す方を見ると、青空に黒い点が見えた。それはみるみるうちに大きくなり、やがてもう見慣れたドラゴンの姿になった。
ドラゴンはどーんと着地し、同時に白い煙に包まれた。その煙が晴れると子供の姿のルドルフくんになり、
「ママー!」
と叫びながら聖女様に駆け寄り、抱きついた。
一部の騎士たちは動揺していた。私は眼の前で変身するのをみたことがあったのでいいのだが、騎士団全員がそれをみたことがあるわけではない。話では聞いていても、眼の前で起こることは違う。挙句の果てにルドルフは聖女様を「ママ」と呼んでいるのだ。
聖女様がよしよしと頭を撫でてやっていると、周辺からブツクサと何事か聞こえてきた。訓練の行き届いた聖騎士団にしてはめずらしいことだ。ただ、その内容が笑えた。
「私だってママと呼んで欲しい」
「そうだよね、卵からかえった時、私もそこにいた」
「聖女様だけずるい」
すると聖女様はキッっとした顔で、
「聞こえてるわよ!」
と言った。そしてルドルフくんには、
「しょうがないから、ルドルフ、行っといで」
と言った。
ルドルフくんは、女性騎士ひとりひとりのところに行って、
「レギーナママ、ひさしぶり」
とか、
「マリカママ、元気だった?」
とか言って、みんなをメロメロにしている。最後にネリーさんのところに行って、
「ネリーさんも、ママと呼んでいいかな?」
などと言っていた。ネリーさんはめずらしく、
「どうしましょう」
などと言って動揺していた。
だけど私は知っている。ルドルフは聖女様だけを「ママ」と呼び、それ以外の騎士団の女性はフローさんたちも含め、名前のあとに「ママ」をつけるのだ。それをここで指摘しても揉めるだけかもしれないし、女騎士たちもわかっているのかもしれない。
いずれにせよルドルフくんは、女騎士を始めとして一行すべての人員の名前を覚えていた。この辺が彼がモテモテな理由の一つだろう。なお彼は私については「玲子ちゃん」である。
この休憩からルドルフくんは私達の馬車に同乗した。もともと聖女様、私、ネリーさん、護衛のレギーナさんが乗っていたので、ルドルフくんは取り合いになった。ネリーさんは、
「奥様とレイコさんは明後日から一緒に行動されるのですし、レギーナさんは護衛ですから、私の膝の上へどうぞ」
と言う。レギーナさんはレギーナさんで、
「いえいえ護衛など形ばかりです。みなさんごゆっくりしていただいて、私が責任をもってルドルフくんを……」
と言ってルドルフくんへ手を伸ばす。聖女様は、
「もうそれなりにルドルフは重くなってきていますから、なれている私が。第一最終的な保護者は私ですから」
と言って、強引にルドルフくんを膝に載せた。ネリーさんとレギーナさんは不満そうである。それを見て聖女様は、
「足が痛くなったら、お願いしますから」
と言い訳していた。
次の休憩は昼食であるが、ここで問題が発生した。ルドルフくんの食事が足りないのである。通常の騎士1名分を与えたのだがあっという間に食べ尽くし、キョロキョロしている。
「ああルドルフ、私の残り食べていいや」
聖女様がご自身の食事の大半をあげていたが、それでも足りないようであった。しかたがなく、一行のほぼ全員が少しずつ彼に与えていた。
「いやあ、私のミスだわ。もとがドラゴンだからね、めちゃめちゃに大食いなんだよね」
聖女様が申し訳無さそうにしている。
ただ聖女様以外の人々は、食事をほとんどルドルフくんに上げる聖女様を見て、聖女様のルドルフくんに対する愛情を強く認識したようだ。
「あの聖女様が食事をあげるんだからね」
と誰かが言っていた。それを聖女様が聞きつけ、
「私そんなにくいしんぼじゃないもん」
と言っていたが、ネリーさんは声を上げて笑っていた。
夕方になる前に今日の目的地、ヴァルトアインガングという街についた。この街は平原と森の境目の街である。宿から外をみると、街の背後に黒い森が迫ってきているように感じられた。




