第56話 時間よ止まれ
池のそばでヤニックさんのモデルをつとめていると、だんだんと暑くなってきた。
「そろそろ、お昼にしましょうよ」
ヤニックさんの手がとまったタイミングを見計らって、お昼休憩を切り出した。
「そうですね、そう言われるとお腹がすいてきましたね」
ベンチから立ち上がると、長時間同じ姿勢をとっていたためか、ちょっとからだが固まっていた。
「イテテテテ」
つい口にだしてしまい、恥ずかしくて横目でヤニックさんの方を見ると、なんか視線をそらされた。
恥ずかしい気持ちのまま馬車の下を覗きに行く。昼食をつめた荷物には幸い日はあたっていなかった。手で触れると冷たい。初夏の日差しは痛いくらいだがここは北国、日陰は少し寒いくらいだ。その荷物を持ってベンチに戻ろうと振り返ったら、いつの間にかベンチのあたりにタープが張られ、日陰が作られていた。
「マリカさん、ヨストさん、ありがとうございます」
タープの張り具合を調節している二人にお礼を言う。そしてほっておくと二人は私達に気を使ってどこか別の場所で昼食にしそうだから、
「お昼、ご一緒しましょう、ヤニックさん、いいですよね」
と言う。ヤニックさんは、
「もちろんです」
と言ってくれた。
タープの下にマリカさんとヨストさんを呼び入れたものの、二人は遠慮してかほとんど無口で食べている。
「ヨストさん、午前中、お暇でなかったですか?」
と聞いてみたら、
「ええ、暇でした。今日は暇にしていることが仕事になるので、最高ですよ」
と答え、ヤニックさんはそれに対し、
「それはうらやましいですね」
と言って笑っていた。マリカさんはというと、
「私は馬に適当に草を食べさせてましたよ」
とのことだ。
「それにしてもアーノルドは食いしん坊でですね、草ならなんでも食べているんですよ。エドガーは持ってきた飼い葉しか食べないのに」
アーノルドとエドガーは馬車の馬の名だ。悪口を言われたと思ったのか、アーノルドがいななくのが聞こえる。それでみんな笑う。
「アーノルドの名誉のために言うとですね」
マリカさんが話を続けた。
「いざというときは何でも食べてくれる方が、こっちは助かりますね」
それはそうだろう。名誉が回復して、ふたたびアーノルドがいなないた。そしてマリカさんが声を潜めて言う。
「馬は悪口を言われるとわかるんですよ、気をつけないと」
みんなで大笑いした。
午後は少し絵を書き足したところでヤニックさんは筆を置いた。
「どんな絵になりましたか」
私は絵をみせてもらった。
私は池と森を背景に、髪を風になびかせていた。
「黒髪はめずらしいですし、美しいですから」
ヤニックさんはそう言うが、それ以外もかなり美化されて描かれている気がする。それに文句を言えばヤニックさんの技量を疑うような気がして、
「ありがとうございます」
としか言えなかった。
気がついたらマリカさんもヨストさんも絵を覗き込んでいた。
「少し散歩しましょうか」
ヤニックさんが誘ってくれた。
水辺を歩く。立ち止まって水の中をのぞきこんでいると、黒っぽい魚が泳いでいる。
「やっぱり生き物がいるのですね」
「そうですね、あの魚は何をたべているんでしょうね」
「虫ですかね、藻ですかね」
「聞いてみないとわからないですね、あ、言葉通じないか」
「ははははは」
鳥のさえずりが聞こえる。さらには藪の中でガサガサという音がした。立ち止まる。
この世界には魔物がいる。私はまだ見たことがない。はじめて魔物に遭遇したかと思い、体が固くなった。
肩に手が触れる。小声で、
「しばらく動かず待ちましょう。下手に動くと危ないです」
とヤニックさんが教えてくれた。
息を潜めるようにして二人で動かずにまつ。ヤニックさんの息遣いが間近に聞こえることに気づいた。さらには背中があたたかい事に気づいた。見えない魔物に対峙しているのかもしれないのに、安心感を覚える。
このまま時間が止まってしまってもいい気がする。
ガサガサッと音がした。体がまた固くなる。
ヤブから小さな鳥が飛び出し、少し高い枝に留まってさえずりだした。離宮でよく聞いた美しい声が響く。
私はやっぱり、時間が止まって欲しいと思った。




