第55話 モデルふたたび
馬車で小一時間ほど進んだだろうか、馬車は森に入った。
「明日から、シュバルツヴァルトに向かわれるんでしたね」
ヤニックさんの問に私は答える。
「ええ、ヤニックさんはシュバルツヴァルトってどんなところだかご存知ですか?」
「一度だけですが、行ったことがあります。離宮のあるヴァイスヴァルトとちがってですね、木々が陽の光をさえぎってですね、わりと暗いでしたね」
「じゃあ見通しがきかない、うっそうとした感じでしたか」
「それがそうでもないんですよ、下草が少なくてですね」
高木が日光を遮り低木があまり育っていないのだろう。いわゆる一次林なのだろう。
「ではシュヴァルツヴァルトはほとんど人の手が入っていないのですね」
「今の話で、レイコさんはそういうことがわかるのですか」
「ええ、故郷で教わった知識です」
「そうですか……」
危ないところだった。
まほちゃんたちとの勉強のため女学校の図書館でいろいろと自然科学系の書籍を漁ったことがあったが、森林の植生が遷移することの記述等は見たことがなかった。私達の本当の出自は秘密であるから、下手な知識をひけらかしてしまうことはヤニックさんと言えども控えなければならない。
「やっぱりレイコさんは聖女様たちのお仲間なのですね、物事を深いところで理解されている」
「いえいえ、一部の分野に偏ってますよ」
「聖女様もよくそう仰ってます」
私はちょっと気になった。共通の知り合いとは言え、聖女様の話題が多すぎる。少しさみしい。そう思ってしまったせいか、会話が途切れた。
すると珍しいことがおきた。本来なら存在を消したかのように無言を貫くはずの警護のマリカさんが発言した。
「ヤニックさん、レイコさんを褒めるのが恥ずかしいからと、聖女様と比較しちゃだめですよ。聖女様は聖女様、レイコさんはレイコさんですから」
ヤニックさんの顔が真っ赤になった。
どう話を続ければよいかわからず困っていると急に視界が開け、眼の前に水面が広がった。
少し水辺に沿った道を進むと、休憩できそうなくらいな広さの場所があった。ここに来る人はみなそこを利用するのか草も少なく、簡易な木製のベンチとテーブルがあった。日本の大きな公園とかハイキングコースに設置されているのとそっくりだった。
馬車を降りて荷物を下ろす。まだ昼食には早いから持参した昼食は馬車の下にできた日陰に入れる。ヤニックさんは絵の道具をおろし、マリカさんと御者のヨストさんは馬をひいて水を飲ませに行った。
「レイコさん、こちらに座ってください」
私は水面が背景になるようにベンチに座らされた。ヤニックさんはキャンバスを出した。
「どんなポーズがいいですか?」
「そうですね、そのままこちらを向いていただけますか」
「はい」
せっかく見に来た池は背景として私の後ろにあるから眼の前に広がるのは森であり、絵の道具を前にするヤニックさんだ。なにか話さなkればいけないような気がして、
「今日はとっても気持ちいいですね」
と言ってみる。
「ええ、気持ちいいです。いつも仕事として絵を描いていますから、どこか義務感がありますけど、今日は仕事じゃありませんから」
「そうでしたね。でもそうすると、今日の絵はどうするのですか」
「レイコさんに差し上げてもいいんですけど、私自身が持っていたいです」
「それはずるいわ、それだとヤニックさんは私の顔見れるけど、私は見れないじゃないですか」
「そうですね、でも私の絵なんて、だれも描いてくれませんから」
「じゃあご自分で描いてください」
「う~ん、わかりました」
「ふふっ」
日差しが眩しく感じられた。そして今、自分たちがしていた会話を思い出すと、ヤニックさんは私の絵が欲しいといい、私は彼の絵が無いと不平を言った。これってお互い、好きだと言っているようなものではないか。
ヤニックさんはにこやかに手を動かし続けている。
離宮とか騎士団、さらには聖女庁では私とヤニックさんがお互いに思い合っているのはすでに公然の秘密になっている。私は肯定も否定もしていない。ヤニックさんからそのことについて何か言われたことも無いし私から告白もしていない。ヤニックさんがなぜ私に何も言ってくれないかはわからないが、私から言わないのには理由がある。
それはもちろん、私が異世界人だからだ。
同じ異世界人である聖女様たち8人は結婚している。8人は同時にむこうからこっちに来て、同時に向こうに帰り、そしてまた同時にこっちへ来た。向こうに帰ったときにルドルフくんがあっちへ行き、最後にこっちに来た時私、まほちゃん、みほちゃん、あかねちゃんがルドルフくんに呼ばれてしまった。
いつか聖女様が夢でブラックホールに飛び込む時、おそらく私は札幌に帰れる。みんないっしょに帰れる。だけどヤニックさんはどうなるかわからない。もしかして私とヤニックさんが結婚でもしてしまえば一緒に札幌に行けるのかもしれないけれど、それがヤニックさんにとっていいことなのか、私には確信がない。




