第39話 回想
離宮についた私は一行から別れメイドさんの案内で離宮の従業員用通路を歩いていた。行き先はわかっている。工房だ。歩きながら二つの思いがぐちゃぐちゃに脳内を渦巻いている。
一つはヤニックさんに早く会いたいという感情だ。もう長いこと手紙のやり取りしかしていない。手紙はお互いの感情は伝えられるものの、どうしてもきちんとまとめたものになってしまう。その時の表情、声音、しぐさなどはわからないし、それに応じた発言もできない。やはり実際に顔を合わせ、声を聞きたい。
もう一つは、私の気持ちがもうありとあらゆる人に知られているということだ。誰も直接私に聞いてはこない。ただ、気を使ってくれていることはわかる。
実は私は恋愛経験が少ない。
中学の三年生の後半で、ちょっとお付き合いした男子はいた。同じ中学で同じ塾、同じ志望校だった。塾の自習室でとなりあった席で勉強していると集中できた。夏の模試では第一志望校にちょっと偏差値が足りなかった私だが、その自習のおかげで冬の最後の模試では合格圏内に入ることができた。ところが彼は、ぎりぎりのところで志望校を変更してしまった。志望校変更後、彼は私と自習しなくなってしまった。
高校二年の文化祭で、一つ上の先輩から告白された。断る理由もなかったので、友達からということでお付き合いを始めた。問題はデートで、どこへいっても誰かに目撃されてしまう。私としては彼を本当に好きになってから両親とか友達には話したかったが、噂がそれを先回った。それが気まずくて受験が近づく頃にはあまり会わなくなり、彼は内地の大学へ進学してしまった。
大学へ入ってからは、確かに何人かの男子は勝手に近寄ってきた。だけど高校のときのようになるのが嫌で、大学の外で一緒に行動するときは必ず女子の友達を誘った。そのせいかその先には一切進まなかった。
大学の三年で物理に行ったら、同学年に女子はだれもいなかった。男子たちも普通のクラスメートとして接してくれた。それはそれで居心地が良かった。ところが札幌の物理では、修士の院生がたいへんなことになっていた。
東京から四人も入学してきていて、そのうち二名は女子大出身。残りの二名も帝大出身だった。その話を最初に聞いたとき、私は「なんかすごいな」と思っただけだった。
三年生の私にもわかったが、この四人は仲が良かった。仲が良かったのだが内輪で固まることはせず、札幌の人たちをどんどん巻き込んでいった。その中心人物はもちろん、杏先輩である。
下手をすれば学部の授業にも勝手に出席して、質問という名の議論をガンガンする。わからないことがあれば、教授にも同期の院生にも、それどころか学部生にも聞いている。この人は自分の学問のためなら恥も外聞も関係ないのだ。だからあっという間に札幌物理の仲間になった。それについては他の三人も同様だった。聖女様という通称もすぐ三年生にまで馴染んだ。
杏先輩が唐沢先輩を好きなのはすぐにわかった。唐沢先輩が来たときはすぐに表情が明るくなるし、去ったときは露骨にがっかりしている。のぞみ先輩はそれをからかったりせず、そっとサポートしていた。物理のみんなは杏先輩と唐沢先輩を応援していたし、気がついたらのぞみ先輩は岩田先輩、真美先輩はカサドン先輩といい雰囲気になっていた。
杏先輩とそのお仲間の最大の功績は、私のみるところ修士1年時の研究ではない。学会発表も英文での論文発表もしたが、そんなことよりも札幌物理の雰囲気を変えた。まず、議論が盛んになった。三年生がわからないことがあるとその分野の研究室におしかけるし、学生の議論に先生たちも参加するようになった。さらに専門の壁も壊した。面白いと思えば、杏先輩たちはどんな分野でも勉強し、質問し、議論していた。私がのぞみ先輩と同じ研究室に行ったのは、こうした学問に対する姿勢をもっと身に付けたかったからだ。聖女様と唐沢先輩は東海村へ行ってしまったし、宇宙論の岩田先輩の研究室へ行くと岩田先輩の腕の痣が増えそうだった。
そんなことを思い出しながら長い廊下を歩いて工房に入ると、そこにヤニックさんがいた。そこだけ明るくスポットライトがあたっているような気がした。
「レイコさん、お久しぶりです」
「は、はい、お久しぶりです」
とりあえずの挨拶をしたあと、しばらく言葉が出てこなかった。
コトッ、コトッと音がした。先ほど案内してくれた人が二人分のお茶とお菓子をおいて、すっと去っていった。ヤニックさんが身振りですすめてくれるので、まずお茶を一口飲んだ。
「お忙しかったようですね」
「はい、毎日新しい体験ばかりで……」
しばらくは当たり障りの無い近況報告をお互いにしていた。
私からは、騎士団の様子、女学校での授業、ステラ姫の様子などをお話しした。
ヤニックさんは、工房でのお仕事、離宮の冬支度の手伝いなどを語ってくれた。
「今夜、星の観測に出られるのですよね」
「ええ、聖女様のお手伝いに。ヤニックさんは?」
「私もご一緒させていただこうと思っています」
「機材の調整ですか?」
「いえ、レイコさんの絵を描かせていただきたいのです」
ドキッとした。どう答えていいかわからなかったが、
「暗いですよ」
としか声にできなかった。
しばらくヤニックさんは黙っていたが、
「なるべくレイコさんと一緒の時間をすごしたいので……」
と言った。
「私もです……」
自分の顔が赤くなるのがわかった。




