第16話 神話
私は今夜、はじめて離宮の天文観測に参加している。もともと実験物理学の研究室で活動していた私だ、聖女様やヘレン先輩たちが注力している天文観測に協力したい。この世界にやってきてからまだ、何もこの国にも先輩たちにも貢献していない。
一人が機器を操作して目標の星に向ける。別の騎士は小さな明かりを使って機器の示す数値を読み取り、更に別の騎士がそれを書き取っていく。書き取り終わるとその騎士が次の観測目標の星のおおよその位置を伝える。そして最初の騎士が機器でその星を捉える。このように淡々と観測機器を操作し、データを積み重ねていく。なお、同じ星の位置を3回測定し、誤差を抑える。この作業は夜晴れている限り、人員を交代しながら続けるという。ヤニックさんは観測する騎士たちの邪魔にならないよう少し距離を取りながら観測の様子を見ていて、ときどき何事かメモを取っている。
「何を書いているのですか」
「ええ、騎士様たちの動きから使いにくそうなところを探しているんです」
「なるほど」
「交代のときにそのあたりを騎士様に聞いてみて、工房に持ち帰るんです」
「それだけですか」
「ははは、よくおわかりですね。聖女様から装飾を依頼されているのですが、作業の邪魔にならない場所、強度に影響のない場所を探しているんですよ。騎士様が触れるあたりには装飾は入れられませんからね」
「どのような装飾をいれるんですか」
「これが難しいんですよ、聖女様はこの世の真理を表す装飾を、とおっしゃられているんです」
「この世の真理ですか」
「ええ、ですからここの機材から得られた知見を私なりに装飾に活かしたいと思っているんですよ」
「では、勉強しなければなりませんね」
「そうなんです。さらに神話の内容も取り入れられたら、より良いのですが」
「神話ですか」
私はここで考え込んでしまった。
私はこの世界の神話を何も知らない。魔法も普通であるこの世界、学問はかなり立ち遅れたこの世界、人々の暮らしには宗教が深く根ざしている。宗教はもちろん神話と結びついているはずだ。この国の宗教の頂点に立つ聖女様の近くにいる私達がそれと無関係でいられるわけがない。
「レイコさん、どうかしましたか?」
「いえ、ごめんなさい。あの、神話の本は図書館にあるでしょうか」
「もちろんありますよ」
そのあとは交代の騎士が来るまで観測を見学し、少しは手伝った。
翌朝朝食のとき、私はヘレン先輩に話しかけた。
「先輩、離宮の図書室に神話の本ってあるでしょうか?」
「神話、ああ、あるでしょうね。で、なんで?」
「あのですね、この国ってみんな神様信じてるじゃないですか、でも私達それ何にもわかってないので、勉強したほうがいいかなって」
「そっか、なるほど。聖女様に相談してみる」
「いえ、図書室にあるなら自分で読めますから」
もういいかげん、この世界の文字は読めるようになってきていた。
「うん、だけどまほちゃんたちのこともあるから」
「はい……」
その日の午前中も聖女様とステファン殿下が先生になって、私達4人はノルトラントの地理・歴史勉強をしていた。勉強の時間が半分ほど過ぎた頃、勉強していた食堂にヤニックさんが顔を出した。
「ヤニックさん、忙しいのにありがとう」
聖女様は立ち上がってヤニックさんを迎える。ステファン殿下もわざわざ立って聖女様と一緒に動く。夫婦仲がいいのがよくわかるが、二人の出迎えをうけたヤニックさんが恐縮しているのが笑えた。
「みんな、あのね」
聖女様が話し始めた。
「みんな知ってるでしょ、ヤニックさん」
一同うなずく。
「玲子ちゃんから神話の勉強をしたいって話があったでしょ、それでね、この離宮で一番神話に詳しいヤニックさんに来てもらったの」
聖女様の話によれば、工房で装飾担当のヤニックさんに天文観測器具に神話を踏まえた装飾を頼んでいたそうだ。だからヤニックさんは神話を勉強し直したという。
聖女様とステファン殿下が私達と一緒のテーブルについたところで、ヤニックさんが口を開いた。
「聖女様の前で神話のことなど、とても恐れ多いのですが」
聖女様は笑って、
「ヤニックさん、私、正直なところ神話詳しくないのよ。立場的にまずいので、しっかり教えてね」
と言った。
まあ私にはわかる。聖女様の本質は科学者である。神話の世界よりも実際に観測してわかった世界観の方を重視しているのだ。教会の子として育っている間も、おそらく古代の歴史の勉強は適当で、算術の勉強の方に力を入れてしまっていたに違いない。ただこの世界では魔法が存在している。私自身こちらに来た最初の日、体が冷え切ったあかねちゃんを魔法の力で暖めてあげたようだ。聖女様も強力な魔法を使えると聞いている。だから科学者であっても神話の世界と無関係ではいられないのだ。
「世界のはじめ、宇宙は無でした」
ヤニックさんが話し始めた。
「何かのきっかけで無から爆発が起こり、宇宙が広がりました」
まるでビッグバン理論である。私は聖女様がこの世界の神話に付け加えたのかと思って、聖女様の顔を見た。聖女様は私の考えを読んだかのように顔を横に振った。
「はじめの頃の宇宙は霧のようなものにつつまれていました。しかし時間が経ち宇宙が大きくなると、遠くまで見通せるようになりました。霧をつくっていたものたちは、この世界をつくる源となりました」
いわゆる宇宙の晴れ上がりである。
「そして最高神ユピテル様が手を回し、宇宙にいろいろなうずができました。大きな渦、小さな渦、その中の小さな渦の一つが私達のすむこの大地になりました」
天体望遠鏡で系外銀河をみせたら、ここの人たちは納得するだろう。いや、渦は望遠鏡でも目ではまず見えず、写真にしなければならない。
「私達の大地ができるとき、渦の中に濃いところがいくつもでき、それらが惑星になり、神々や女神たちの住処となりました。そしてわたしたちの大地もできたのです」




