第八話 『ルミナ・フルミーネ』
五年たってやっとフラムが帰ってきた。エルフであるあたしにとっては五年なんて短い時間のはずなのだけれど、この五年は今までにないくらい本当に長く感じた。
帰ってきたフラムは傷だらけで右足を失っており、ふらふらになって杖をつきながら歩いていた。
「よお、ただいま。.........久しぶりだな、ルミナ」
「フラム...!その傷、大丈夫なの?」
フラムはそのまま前に倒れこんだ。あたしは自分より圧倒的に大きいフラムの身体を支えようとしたが、そんなあたしを止めて、フラムは自力で座る姿勢になった。
「どこの病院や教会に行っても負傷者がいっぱいでよ、それで俺は半獣で普通の人間より自己回復能力も高いし強いから......自分で治療を受けるのを断ったんだ」
「そんな...フラムは相当深い傷を負っているのよ。そこまで人間に対して謙虚にならなくてもいいのよ。でもよかったわ。私だって簡単な治癒魔法くらい使えるの」
あたしが回復魔法を使おうとすると、フラムは首を横に振って言った。
「いや、たぶん無理だ、この傷はふさがらない。きっと呪いの類だろう。それも相当強いものだ。俺だって簡単なものなら使えるから、それくらいわかるさ」
「それならなんで、なんで教会に行くのを断ったのよ...?」
そうあたしが言うと、フラムは座って黙り込んでしまった。きっと人間どもに断られたのだろう。半獣半人の亜人で、どうせすぐ直るだろうとの偏見から。そんな風に思ったけど、聞かなかった。
「.........なあ、俺はたぶんこのまま呪いで死ぬと思う。悔しいが、俺にもそうわかるんだ」
「いやよ、そんな弱気なこと言わないのよ.........」
あたしはどうしてもフラムがいなくなるという未来を受け入れられなかった。いつかくるであろうこの時が、こんなに早く、突然だとは思わなかった。
あたしが戸惑っている中、フラムは言った。
「だから、そのときまで、お前と話していたいんだ。いろいろなこと」
フラムはそのまま話し始めた。「古い友人に再会できた」「頼りになる優しい新しい友人ができた」「化け物みたいに強いやつがいた」「仲間と食べたご飯がおいしかった」などなど、思い出話をたくさんあたしにしてくれた。つらいこともたくさんあっただろうに、少しも愚痴をこぼさなかった。楽しそうに語るフラムだったけれど、だんだん魔力が薄くなっていき、体も痩せてきていた。
「もう俺の人生の残り時間も少なくなってきたな...。急に話が変わるが、実は、この迷宮の地下で別の遺跡を発見したんだ。そこには八つの扉があってよ、それぞれ別の魔力のものしか開けられないものらしいんだ。その扉の先には”試練”があって、それを全部乗り越えると、あの”時の石”が手に入るらしいんだ。ほら、エルフなら知ってるだろ?」
「知っているけれど、まさかそんなものが本当に実在するなんて...」
”時の石”が実在することを聞いたあたしは、いつもなら冗談を疑っただろう。でも、こんな状態のフラムがそんなことをわざわざ言うとは思わなかった。
フラムが続ける。
「俺はその”時の石”が悪用されないように、俺と信頼できる仲間たちで”試練”を突破して平和のために使おうって考えていてな。”試練”が残っている扉はあと一つのところまでもう進んでいるけど、俺がもう死んじまうから、あとはお前に任せたいんだ。まあ何に使ってもいいけど、悪いことには使うなよ。たぶんお前ならしないと思うけどな。勝手でごめんな」
「別に謝らなくていいのよ......」
「……そうだな」
今の話の中で、フラムが謝る必要がある部分はひとつもなかった。すべて戦争を始めた人間と魔族が悪いのだ。そんな醜い種族なんてなくなってしまえばいいのに。邪念が心に浮かぶ。
少しの間あたしたちはお互いに黙ったままでいた。
「…じゃあ最後にもうひとつ、話そう」
「もう最後なの…?」
「そんな悲しい顔すんなって。俺は死ぬときは笑って死にたいタイプなんだ」
今まであたしの表情を気にしなかったフラムが、あたしの悲しげな顔に指摘してきた。その行動から、もう本当にフラムの命の終わりが近いことを、あたしは悟ってしまった。
「この話は俺からの贈り物のようなものなんだ。ルミナ・”フルミーネ”」
「”フルミーネ”……?」
「エルフも獣人と同じで家名がないって聞いたんだ。人間にはあるのにな。それで、ずっと考えてたんだ。ルミナにも名字があったらいいなって」
「なによ、それ……」
「”フルミーネ”ってのは、獣人族の古代語で『輝くもの』って意味らしいんだ。お前のその髪、ちょっとだけ見せてくれた笑顔、そして一人の俺と一緒に暮らしてきた時間は輝いて見えるんだ」
「なによ、それ……………」
そんなものいらない。ただ、もっと、一緒にいたかった。けれど、その願いは叶わないことがわかっているから、フラムはそれをくれたのだろう。
「俺がいなくなっても俺を忘れないように、寂しくならないように、この名字でいてほしいなって。勝手な俺の願望だよな、ごめん」
「別に謝ることなんてないのよ………」
「そうだな……。そろそろ、俺の人生も、終わりが、近いな」
「待って、まだ全然、話してないじゃない。もっと、もっと………!」
フラムの言葉が、だんだん途切れ途切れになってきていた。
「今まで、ありがとうな。やっぱり最期の言葉は、『ごめん』じゃなくて、『ありがとう』…だよな………」
「フラム………!』
そして、フラムは眠るように笑顔で静かに息を引き取った。
このとき、産声を上げたとき以来だったと思う、涙をこぼした。まして他人の死に対して泣くことなんて、初めてのことだった。そして、人間に対する憎悪が、腹の中から込み上げてきた。
人間は醜い。争い、自分のために誰かを傷つける。
それからあたしは、一人で”時の石”を手に入れることにした。迷宮全体を結界で覆い隠し、この遺跡に迷宮など無かったことにした。
最初は”時の石”をフラムの蘇生に使おうと思っていた。けれど、やっぱり人間への憎悪から、人間などこの世に生まれなかったことにするようにしようと思った。そうすれば、フラムが死ぬこともない。でもそんなことをしたら、フラムとの約束を破り、フラムを悲しませることになるということを、後になって冷静に考え直して思った。だから、今の”時の石”を使う目的は、『人間とエルフと獣人、そしてその他全ての種族が対等な立場で暮らせる世界』にすることにしている。おそらくこれが、フラムが望んでいた世界だろう。
目的はできても、最後の扉を開くことはまだできていない。今日、三百年も待ってやっと開くことができるものが現れた。信じられなくて、つい腕を切り飛ばしてしまったときは、このチャンスを逃すことになると思ってすごく後悔していた。けれど、ソイツはあたしに協力してくれると言った。ソイツは人間だったけれど、どこかフラムと似た雰囲気があった。だから少し、心を許してしまったのかもしれない。
でも、もう来ないかもしれない。来たとしても”試練”を乗り越えられないかもしれない。また何百年も待つことになる。それでも……
「待っていてね、フラム。いくら時がたとうとも、必ずあたしが成し遂げてみせるわ」
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