捨てら令嬢はピンクブロンド
夢の世界には、古今東西の偉人たちがいるという。
だが、どうすればそこへ辿り着けるのか、誰も知らない。
主に貴族の子女が通う学園は、本日卒業式である。会場のそこここに、季節の花が飾られ、卒業式後のパーティが始まった。
宴もたけなわ、花瓶の花が揺れる。
学園の卒業生たちよりは少し年上の男性が、一人の令嬢の前で跪く。
「スぺレッセ・ドロワー嬢、僕と、イテリアス・アーベルと一緒に旅をして欲しい。世界中を。人生を賭けて」
スぺレッセのピンクブロンドの髪が、花びらよりも輝く。
碧色の瞳で令息を見つめながら、スぺレッセは口を開く。
「私でよろしいのでしょうか?」
決して卑下する口調ではない。
ただ、睫毛は揺れている。
「勿論です。あなただからこそ、『捨てら令嬢』と揶揄されながらも、まっすぐに生きている、あなただから!」
「かしこまりました、アーベル令息様。お役に立てるのであれば、諸国漫遊に随伴させていただきましょう」
女子たちの黄色い声が上がる。
イテリアスは大きく万歳をする。
周囲の参加者も、拍手で二人を祝う。
イテリアスの口づけを手の甲に受けたスぺレッセは、風に舞う花と共に、木の葉の煌めきを見上げていた。緑色の葉は微笑むように、光を散らしていた。
これは『捨てら令嬢』と呼ばれたピンクブロンドの少女が、偉人たちの力を借りながら、自分の生き方を見つけていく、そんなお話である。
*一度目の捨てられは、生後すぐ。
スぺレッセ・ドロワーが最初に捨てられたのは、生後一か月にも満たない頃である。
そもそも、スぺレッセを生かす気がなかったのだろう。
スぺレッセの家族も、その周囲の人間も。
後になってスぺレッセが知った、彼女が捨てられた理由はひどく馬鹿らしいものだった。
その理由とは。
スぺレッセの髪の毛の色が、ピンクブロンドだったから、という。
母の実家から付き添ってきた侍女が、両親どちらにも似ていないスぺレッセの髪色に慌てふためいた。母が不貞を疑われたら困る。父も母も茶色の髪色だ。いや、本当に不貞なのかもしれない。伯爵家との提携事業に、支障が出るかもしれない。そうなれば母方の実家や、一緒に来た侍女の責任も問われるだろう。何より、ピンクブロンドの髪色は、このサルート王国では禁色なのだ。
死産もしくは出生後の死亡だったことにしよう。この国の乳児死亡率は低くない。それに五歳の嫡男と三歳の長女が育っているのだから、禁色の髪を持つ次女など必要ないだろう。侍女は赤子を抱え、森へと走った。
ドロワー伯爵家の領地のはずれ、奥深い森の中に、スぺレッセは捨てられた。
大きな樹の根元に侍女はスぺレッセを置く。遠吠えが聞こえる。侍女は耳を押さえて立ち去った。
三日後。
領地内の役場に、ドロワー当主名で新生児の死亡届を出そうと執事がドアを開けた時、執事は仰天した。
木の籠が置かれている。その中には健やかに眠る赤ん坊がいた。
何故だ!
一体誰が……。
朝の光に赤ん坊のストロベリーブロンドは、キラキラと輝いていた。その額には木の葉が一枚乗っていた。
何はともあれ、厳しい環境で生き残った持つ女児に、当主に成り代わり執事はスぺレッセと命名したのだった。
その後、スぺレッセの育児は、若い侍女と執事らが細々と行った。
一年後、歩き始めたスぺレッセは、ストロベリーブロンドの髪も伸び、パッチリとした碧色の瞳を煌めかせるようになる。
お人形のような愛らしさ……。
執事も侍女も、彼女の世話を続けるうちに情が湧いていた。業務の合間をぬってスぺレッセの成長を見守ったのだ。
しかし彼女の両親は、相変わらずスぺレッセに無関心。育児はおろか、スぺレッセに目を向けることすらない。
執事はため息をつきながら、前伯爵に手紙を書く。前伯爵夫妻は情が厚い方々だ。三歳になっても無表情で、ろくに言葉を話すことも出来ないスぺレッセを必ず保護して下さるはず。
離れて暮らすドロワー前伯爵の元に、スぺレッセは預けられた。
*二度目の捨てられは、 三歳の頃。
預けられたとはいえ、スぺレッセは両親から見放され、捨てられたようなものだ。
スぺレッセの祖父母にあたる前伯爵夫妻は、溺愛こそしなかったが、何くれとなく彼女の面倒をみた。二人とも白髪だが、瞳は明るい碧色だ。孫の目を見て僅かに流れる血統を、感じたのかもしれない。
祖父母の邸でスぺレッセは日がな一日、草花を摘んだり、子ヤギと遊んだりして過ごした。時には、祖母が読み書きや算術の手ほどきをする。祖父は一緒に散歩したり、馬や山羊のための牧草を刈ったりした。虫取りや釣りも祖父が教えた。何かあった時に、せめて生き残れるようにと。
スぺレッセの表情は徐々に豊かになり、笑顔が表れるようになる。
時々、領地内の子供らと、スぺレッセは一緒に遊んだ。祖父母と共に生活する、ふわふわとしたストロベリーブロンドの髪と新緑の瞳を持つスぺレッセに、近隣の子供たちが憧れていたことなど、この頃のスぺレッセは知る由もなかった。
その中で一人、子供たちの遊びの輪に入ることがない少年がいた。
体が弱いために、王都から療養に来ていると噂されていた。
風で、はらはら散る花びらを少年は見ていた。
少年の黒髪も、風にたなびく。
光が当たると黒髪が虹色になる。
綺麗な髪だとスぺレッセは思う。
思ったら、言葉に出ていた。
「綺麗な髪……」
少年は驚いたような表情で、スぺレッセを見つめる。
「綺麗? 僕の髪が?」
スぺレッセは頷く。
「君の髪の方が、ずっと、ずっと綺麗だ」
頬を染めた少年は下を向いて言った。
「あ、ありがとう」
スぺレッセの頬も、薄紅色になる。
「あ、あの、食べる?」
スぺレッセはポシェットから、焼き菓子を一つ少年に渡す。
祖母が持たせてくれたものだ。
「いいの? ありがとう」
ふにゃっと笑う少年は、猫みたいだ。
焼き菓子をポリポリ食べながら、二人は同じ場所で、しばらく舞う花を眺めた。
三歳から九歳まで、スぺレッセは、それなりに穏やかな生活を送った。
前伯爵邸の裏庭には、樹齢が百年以上という大きな常緑樹がある。時折、スぺレッセはお気に入りの本を持ち、その樹の根元で頁を捲る。風に揺れる葉の隙間から木漏れ日が落ちる。やがて、すやすや寝息をたてるスぺレッセの側には、リスやウサギ、時には小鹿などの動物たちが集まっていた。
スぺレッセには幸せな時間であった。ぼんやりとした夢を、見ていたような気もした。
そんな日々も十歳の誕生日前に終了する。
生家から迎えが来たのである。
「レッセ」
祖母が帰る支度を始めたスぺレッセに告げる。
「お前の父や母がお前に冷たいのは、決してお前のせいではない」
「そう、なのですね……。では、なにゆえに?」
祖母の話によれば、現国王の祖父にあたる王が王太子だった頃、婚約者を捨て身分の低い令嬢を妃に迎えたという。その令嬢が豊かなピンクブロンドの髪を持っていた。
彼女は王太子妃としての資質に欠けていただけでなく、王太子以外にもたくさんの貴族男性と深い関係を持ったそうだ。よくよく調べたら、彼女はこの国では禁忌の媚薬やら、魔道具やらを使用して男性を虜にしていたのだ。
王子妃の散財で国庫が空になったあげく、彼女が産んだ子供は、全く王太子に似ていなかった。結局、ピンクブロンドの妃は、魔女として処刑された。
以来、ピンクブロンドの髪を持つ女は、この国では忌避されている。
「お前が生家に戻っても、辛いことがあるでしょう」
「はい……」
祖母はスぺレッセを抱きしめる。
「でも忘れないで。お前は素直に育っています。いつまでも私たちの可愛い孫娘よ。これからは、もっとお勉強して知性を磨きなさい。そして理性を保つことを覚えるのです。そうすれば、きっと素敵な女性になれるわ」
祖母は三枚の葉をスぺレッセに手渡す。
「光と樹の精霊のお守りよ」
「ありがとう、お祖母様」
祖母はスぺレッセのお気に入りの本と、何冊かの本を入れたバッグを馬車に乗せた。
祖父はスぺレッセの頭を何度も撫でた。
じわり、スぺレッセの瞳は潤む。
「今までありがとうございました! 行きます」
馬車はガタガタ走り出す。
軽く目を擦るとスぺレッセは考える。
知性って、お勉強したら身につくのかしら。
理性って何だろう。
この髪の色でも、持てるようになるのだろうか。
答えは見つからなかった。この時は。
十歳になると、貴族の子女は王都の学園に通うのだが、その前に神殿に詣でることになっている。スぺレッセの生家、ドロワー家も学園や神には逆らえない。捨てた子供でも仕方なく呼び戻し、入学の手続きもした。
スぺレッセと久しぶりに会った両親や兄と姉は、ふわふわのピンクブロンドが伸びた末女に、やはり冷たい視線を投げる。
体を小さくしてスぺレッセは神殿に向かった。神殿の敷地には、初春の花がほころんでいる。
「きれい……」
特にドルチェスは蝶のような花びらを持ち、白や赤、薄紫と彩りを重ねている。中にはスぺレッセの髪色と同じような、薄紅色の花もある。
スぺレッセの母や姉も、花々に目を細めている。
(花なら、どんな色でも愛でられるのね……)
手を繋ぐことはもとより、目を合わせることもなく神殿に進む家族の後を、スぺレッセは遅れながら歩く。ふと、神殿前の池に、何かを投げ入れる人たちが見えた。
「神殿の池に浄財を捧げると、願い事が叶うって」
投げ入れている誰かが言った。
生憎、スぺレッセは手元不如意だ。
出かける時、祖母から貰った葉っぱだけは、ポケットに入れてあった。
(お守り代わりの葉です。お金は持っていないので、神様に捧げられるのはこれだけです。神様、どうか私に知性と理性を与えてください。私が生きていくために)
スぺレッセがそっと水面に葉を浮かべると、どこからか風が吹いてきた。
葉はくるくると回りながら、流れて行った。
邸に帰ると、使用人たちが庭で集まっている。
「何を騒いでおる」
ドロワー伯爵が執事に訊く。
「どうやら子猫が捨てられていたようです」
スぺレッセの耳にも、子猫の鳴き声が届く。
「お前の方で適当に処分しろ」
「それが……」
執事は恐る恐る伯爵に言う。
「一匹は黒猫ですが、もう一匹が三毛猫、なのです」
「雌か?」
「いえ、雄ですね」
「ならば庭の片隅にでも置いておけ。雄の三毛猫は幸福を呼ぶそうだ。黒いのは捨ておけ」
父である伯爵はそう言うと、ぎろっとスぺレッセを睨む。
「猫ですら、幸運な毛色もあるというのに、な」
父の言葉にスぺレッセは全身が冷えた。
なんで……。
何の色でも花は愛でられるのに……。
幸運な毛色の猫もいるというのに……。
ああ、だけど不吉な毛色の猫は、捨てられたのね……。
その夜、スぺレッセに与えられた別邸という名の小屋の中で、彼女は寝付けなかった。
祖父母の邸では、日当たりの良い一室を与えられていたのだが。
硬いベッドに小さなテーブル。食事は本邸から朝晩届けられる。
カリカリ……カリカリ……。
「何の音?」
恐る恐るドア近づくと「みゃあ」と鳴き声がした。
猫!
そっとドアを開けると、ターっと走りこむ一匹の子猫。
先ほど庭にいた黒猫だ。三毛猫の方は邸に連れて行かれたのだろうか。
スぺレッセは子猫を抱いてベッドに入る。
黒い毛並みは、なんとなく、あの時の少年のようだ。
この別邸に来て初めて、温もりを感じたスぺレッセは、眠りに落ちていく。
…………
「にゃあん……にゃん!」
子猫の鳴き声がする。
スぺレッセは、起き上がり声を探す。
ベッドからドアに向かう小さな黒い影。
慌ててスぺレッセも後を追う。小屋から出たら、今度は遠くへ捨てられてしまうかもしれない。
子猫が頭をドアに当て、くいっと開ける。
子猫の尻尾がピンと立つ。
柔らかな光が見えた。
緑の風が流れ、光の中に、枝を鳳の様に広げた、大きな樹が見えた。
「わあ。大きな樹」
なんとなく、祖父母の裏庭にあった樹に似ている。
スぺレッセは小走りに子猫の後を追う。
「にゃあん」
黒い子猫はくるりと振り向いて、スぺレッセを誘う。
子猫はスタっと、樹の下で優雅にお茶を飲む男性の膝に乗る。
「おや、珍しいお客さんだね」
眼鏡をかけた男性は、スぺレッセの父よりも上の年齢だろうか。神殿の司祭のような姿をしていた。
「ご、ごきげんよう」
スぺレッセは最大限、丁寧なお辞儀をする。
「これはご丁寧に。まあまあお嬢さん、一緒にお茶でも飲もう。私はグレゴール。この黒猫ちゃんは君が飼っているの?」
「ええ、まあ」
「可愛いね」
黒猫はゴロゴロ喉を鳴らす。
「か、可愛いけど、不吉じゃないですか? 黒猫って」
グレゴールはくすりと笑う。
「それは単なる迷信さ。猫の毛色を決めるもの、遺伝子って言うものだけど、四つあってね。黒の毛色はそのうちの一つ。この子猫ちゃん、ええとメスだから、お父さん猫が黒猫だったんだろうね」
そうなのか。
親から子へ、毛色は引き継がれるんだ……。
「それでは、三毛猫が幸運を呼ぶって言うのも、迷信?」
「三毛猫の毛色は、珍しいからね。特にオスは」
「へえ……」
スぺレッセの瞳が大きくなる。
グレゴールはカップを置く。
「君が気になるようだから、僕よりも動物に詳しい人に訊いてみようか。ヘイ! チャールズ」
グレゴールが片手を上げると、真っ白な顎ひげを垂らす男性が現れた。
「何々。三毛猫と黒猫の違い? 単なる配合の差であろう? なあ、グレゴールよ」
グレゴールは軽く頷く。
配合?
混ぜ合わせのこと?
「親から子へ、生き物の形質は伝わっていくのだ。形質の元になる物質が組み合わさると、親達とは違う色やら形やらが生まれてくる。毛色も然り。それが自然の摂理の一つ。そもそも、生き物が何代も何代も生き残るために、何が必要か分かるか、お嬢さん?」
スぺレッセはたどたどしく答えた。
「ええと、強さ、でしょうか?」
「うん、確かに強さも必要だ」
強さ以外、何が必要なのだろう。まさか、運とか?
首を傾げながら考えるスぺレッセに、チャールズはしたり顔で語る。
「変化を恐れないことだ。生々流転。万物は変化し続ける。それを恐れずに、変化に取り残されない生き物だけが、生き残れるのだ」
チャールズの言っていることが全部分かったわけではないが、スぺレッセは思わず声を出す。
「それは、それは人間もですか?」
グレゴールとチャールズは、声を揃えて答える。
「もちろんだ!」
そうか、変わっていけば良いんだ。
グレゴールから猫を受け取り、スぺレッセは思った。
「お嬢さんは、何か変えたいものがあるのかな?」
グレゴールの優しい声に促され、スぺレッセはポツポツ、ピンクブロンドの髪色のため、家族から疎まれていることを話した。
出来るなら、髪の色を変えたい。
両親や兄姉との関係も……。
「まあ確かに、ピンクブロンド髪の女は、アホッぽい。だからこそ可愛いという俗説があったな」
チャールズが苦笑する。
グレゴールはため息をつく。
「お嬢さんの父上母上は、何色の髪をしているの?」
「二人とも茶色です」
「御祖父様や御祖母様は?」
「白髪だったから、分かりません」
グレゴールは眼鏡をかけ、ぶつぶつ言い始める。
「茶色の髪はおそらく、どちらも純系ではない。祖父母が赤色と金色を持っていたら、孫の代でピンク色が表れたか……」
スぺレッセはグレゴールの言っていることが、全然分からない。
その顔色を見たチャールズが、軽くスぺレッセの肩を叩く。
「お嬢さん、分からないでしょ」
「はい」
「うんうん。分からなくても良いんだよ、今は。私ですら、半分は分からない話だ」
分からなくても、良いんだ。
スぺレッセは少し安心する。
「今は、分からないことを楽しみなさい。分かるようになったら、もっと楽しくなるからね」
ハッとしたグレゴールが頭を掻く。
「そうだね、チャールズの言う通りだ。髪の色が気になるなら、髪の色と人生の運、不運の関連でも調べてみると良い」
「はあ……」
関連を調べる?
それこそスぺレッセには分からない。
「僕はいっぱい調べたよ。エンドウ豆の花の色を数えまくって」
「君はエンドウ豆の花を数えただけだろう。私なんて、生命はどこから来たのか探るために、世界中の海を駆け回ったけどね」
おじさんたちは、過去の自分語りを始めた。
スぺレッセには、半分どころか一割も分からない話だったが、なんとなく楽しくなった。
父も母もスぺレッセという存在を認めていないけれど、祖父母は確かに可愛がってくれた。
たった一人だったけれど、スぺレッセの髪を「綺麗」と言ってくれた人もいた。
そして世の中には変わった人たちがいて、髪の色を気にすることなく、励ましてもくれる。
それだけで、スぺレッセは救われた。
知らないことがたくさんある。
分からないことだらけだけど。
取り合えず、分かることを増やしていこう。
そうしたら、いつか変わっていけるかもしれない。
「君は此処へ来ることが出来た。それは特別なことなんだよ。何かあったら、またおいで」
「はい!」
おじさんたちとスぺレッセの、初めての出会いだった。
お読みくださいまして、ありがとうございます!!
誤字報告、感謝申し上げます。