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お花の先生

作者: 山三独瑞

お花の先生


 仲間の男たちが、といってももうみな老人なのだが、さかんにP何とかという名の女性のことを噂している。

 言い出しっぺがニコニコしながらその女性の美しさを褒めあげると、だれかがそれに賛同して美しさの上塗りに励む。

かと思えば、こうした崇拝者をからかって「あんたじゃPさんの気持ちを惹きつけるのは無理だ」などと茶化す(あい)の手が入り、みんなで大笑いするのだった。

 こうした他愛もない男同士の会話の中で口の端に上るタームは、美人だ、美形だなどというごく平凡な言葉のほか、妖艶などという色っぽさを強調する表現も含まれていた。

あきらかに、ここにいるみなが知っている女性のようだ。

どういう人なのかと思っていたら、プロでありながら地域の小学校や中学校で子供達に華道の指導をしたりしていて、どうやらこの町でよく知られたお花の先生らしいのである。

 だからというわけでもないのだが、これだけ大勢に噂されるとさすがにそのお花の先生のことが気になってくる。

 こちらも彼らに負けない程度には女性に、美女となればなおさら興味があるのである。

 一方でその好奇心には、諸君はちゃんと女の美しさを理解する審美眼を養ってきたのかなと、皮肉めいた疑念もまじっている。

 他人の眼力などあてになるものか。ことに女と男の間のことに関しては、いつしか知らぬ間にたいていは母親を土台にして形成されてきた自分の好みが判断の基準になっているだけだ。

そんなふうに思っているから、雑談の話題が別の方向に向かうと未だ見ぬ美女のことなどスーと念頭から消し飛んでしまい、酒が入り、さあそろそろ引き上げようかという頃にはさきほど聞いた名前の残響も頭の中には残っていなかった。

しかし噂の美女のまぼろしはそのままわたしの頭から完全に霧消してしまいはしなかった。

男たちの噂話の日から間もなく、ある会で偶然噂の美女と相対する機会があったからである。

相対すると言っても、楕円形に伸びた二、三十席の長径の両端に座ることになったので、目が悪いわたしには噂の美貌の真偽を確認することができない。

人に悟られないように()めつ(すが)めつしても顔の輪郭をとらえることができず、ただぼんやりと全体像が目に映るだけなのだ。

だがたしかに美人のようには思えた。

そもそも人間の視覚的判断はそれほど緻密なものではなく、とてもアバウトにおこなわれるらしい。

それでも全体像の把握にかんしてはかなり正確らしいからおもしろい。

実際それはわたし自身が日常生活の中で幾度となく経験したことでもあった。

この日にさいわい噂の美女の姿かたちを知ることができた。

だが一方で名前の方はあいかわらずわからずじまいで、P何とかさんのまま進展をみるにはいたらなかった。

せっかく姿かたちを知ることができたのに、名前がわからないと相貌までまたぼやけてしまうように感じる。

不思議なことだが、世の中のすべてのものに名があり人が名をつけたがるのは、きっと経験した事物をしっかりと把捉して逃すまいとしているためなのだ。

ともあれ、弱々しくても噂の美女の錨がわたしの中に打ちこまれたのは確からしい。

ある人物が心のなかにいちど痕跡を残すと不思議と再会の機会が遠からずめぐってくるのは、無意識のうちにそのような場面をつくりだそうと自分で自分を仕向けているからにちがいない。

実際最初の出会いから数日後、駅へとむかう途中のゆっくりとした坂道を日傘をさした和服の女性が下ってくるのが目に入ったとき、距離も傘も邪魔にならないかのように、わたしはそれが例の女性であることを確信していた。

すれ違う直前に「あのぉ、お花の先生ですか」と声をかけたとき、わたしは自分の行為がすこし大胆すぎるように思った。

と同時にずいぶん子どもっぽい呼びかけ方をしたものだと苦笑していた。

しかしそんな私の気持ちなどお構いなしといったふうの明るい声で、彼女は日傘をちょっと上げわたしを真正面から見つめて「あっ、この前のサロンのときわたしの向かい側にいらした方ですね。失礼いたしました。お帽子を被っていらしたのでわかりませんでした」、とニコニコしながら非礼にならない非礼を詫びて、「お名前はなんとおっしゃるのですか」と聞いてきた。

彼女の立ち居振る舞いのすべてがこうした場面でのやり取りに慣れているようだったが、だからといって既成の形式にはまっているわけではなく、とても爽やかな反応だった。

その伸びやかな態度は好感がもて、気になっている女性とやっと言葉をかわすことができたときの高揚感よりも、気持ちのよい大人の女性と知り合いになれたことの方にうれしさを感じていた。

お互いに名前を名のり、そしてふた言み言言葉をかわして別れたあとも、めずらしく新鮮なこの出会いの喜びにわたしは晴れやかな気持ちになって駅への道を歩いていた。

彼女の名前も本人からP・・・・ですと聞くことができ、宙ぶらりんだったものがこれでやっとあるべきところに固定された安心感のようなものもあった。

その日わたしは夢を見た。

広々とした緩い傾斜地の草原が目の前に広がっていた。

背の低い草の緑に混じって左手には赤いひなげしがびっしりと咲き乱れていた。

ルノアールだったかモネだったか、どこかで見たことがある絵とそっくりの風景で、そのひなげしの野原に斜め下に横切るようにつけられた小径を貴婦人然とした身なりの女性が、日傘をさして歩いている様も絵の情景と同じだった。

そう思いながらも、絵の中とはちがいここではすべてが動いていた。

草や花が風に揺れている。

立ち止まっているように見えた日傘の女性はわたしの方に向かってゆっくりと坂道を下ってくるように見えたが、次の瞬間にはもうわたしのすぐ横にいた。

一瞬顔が見えたように思えたが、日傘の女性はわたしを避けるように目を合わせまいとして顔をそらせた。

美しい人だった。

よく知っている人のようでありながら、だれだか思い出せない。

朝目覚めて夢を思い出したとき、夢が前日の昼の場面をなぞっていることはすぐにわかった。

一方でその女性がPさんでないこともはっきりしていた。

誰なのだろうと顔の輪郭をさがしに記憶の奥の方をのぞこうとしているうちに、夢の中の女性は、昔とても後味の悪い別れ方をしてしまったかつての恋人の節子であったように思えてきた。

そうに違いなかった。

別れたあと一度偶然に出会ったときの目のそむけ方と同じだった。

すると、遠い過去の出来事、本気で節子に惚れ家族とは絶縁ということになったとしても一緒になりたいと思ったこと、だが節子が自分の身に降り掛かった些細な事件をきっかけに去っていったことなど、当時の辛い思いがいまだに苦味を伴って思い出された。

しかしそれは一瞬だった。

流れ去った多くの時が、朝目が覚めると活力に満ちた自分でいられるようにと、苦味をじゅうぶん薄めてくれていた。


月に一度集まるご近所サロンの案内が次回はPさんを講師に招いてお茶会を開きますと伝えていた。

あれ、Pさんが茶会の講師なの、と不思議に思ったが、案内文を読み進めると彼女は華道と茶道の両道で指導員の資格を持っていると書かれている。

へえーと感心しつつ、その日を待つこと一ヶ月、市民団体が借り上げてこうした催事に利用している空き家にいってみると、床の間の左側には黄瀬戸らしい花器にノギとフジバカマが活けられている。

床の間の壁には?水月在手の五字の揮筆のある掛け軸がかかっている。

しかし最初の字は後にPさんが掬という字だと教えてくれるまで、拝という字だとばかり思っていた。

花といい掛け軸といい、しっかりと秋を意識しているのだから、おそらくPさんが着ている今日の笹緑色のきものも木々の立ち枯れが始まる今の季節を意識しているにちがいない。

老人の仲間入りをしたいまでは、こういう雰囲気も嫌いではない。

だがいわゆる作法と呼ばれているものは形式張っていてずっと馴染めないでいた。

この日Pさんがいくつかの所作を素人でもわかるように解説してくれなければ、これからもわたしにはまったく縁遠い意味の見いだせない行為でしかなかったろう。

考えてみれば、茶道の作法のような形式に沿った所作というのは数百年の時間をかけて作り上げられたものだ。

そのことだけをとっても、そのもっとも基本になる動きは合目的的な合理性をもっていると推測できる。

それは落ち着きであり、集中であり、余計なものを削ぎ落としたという意味の簡潔であり、それを求めた結果の行為であるように思えて、なんとなく形式の意味がわかったような気がしたのだった。

市民のお遊びの茶会とはいえ、会は作法にしたがって進行していたから、無駄話を叩きあうような雰囲気からはほど遠く、Pさんとも他の人ともほとんど口を利かないまま茶会はお開きとなった。

しかしその分、そこにある物、そこで展開する事、そしてなによりもPさんの一挙手一投足に視線が集中した。

すると突然Pさんと、夢をきっかけにひさしぶりに思い出された節子とがどこか似ているような感覚になった。

そういえば節子が渡独するまえのある日、次にいつお会いできるかわからないのでこれまでお世話になったお礼と誕生日のお祝いにと言ってもてなしてくれたとき、彼女はきもの姿で現れた。

その動作も性急になりがちないつもの素早い身のこなしとは違い、すこしゆっくりとして落ち着いていた。

あのときの節子は綺麗だった、何かの拍子にちょっと拗ねたときの様子は不意打ちにあって慌てたようにみえて愛らしかった。

この日わたしたちは、自制もモラルも忘れて、一夜を過ごしたのだった。


この茶会はわたしにとっていままで敬遠していたものをすこし身近に感じさせてくれたが、この日はさらにもう一つ愉快な出来事が待っていた。

直前までキリッとした立ち居振る舞いでつけ入る隙を与えないといったふうのPさんだったが、このあとの飲み会ではそれとは別の、ある意味では正反対の、自由闊達で無邪気な現代の女性に変身していたのである。

茶会のときの和服のPさんと、普段着の洋服に着替えて仲間と酒を愉しむPさんとのあいだの大きなギャップはその意外さゆえに新鮮な驚きだった。

と同時にわたしはほっとしもした。

素直な言い方をすれば、このときのPさんは話し方も体の動かし方もどこにでもいそうな町のお姉さんといったふうで、気楽に接することができそうだったのだ。

そのためだろう、Pさんとわたしとの間にはひとり仲間が座っていてしきりと彼女に話しかけていたが、わずかな隙を突いて彼の背中越しに声をかけ、わたしが彼にとって替わることに抵抗はなかった。

床の間の花は何だったか、花器は黄瀬戸ではないか云々とありきたりの仕方で話の糸口を探った。

わたしが覚えている花の名前の数などたかが知れているので、スタートしたもののこれはたちまち立ち往生してしまった。

陶器の話の方は、わたし自身趣味で集めていることもあり、無理なところがない。

正直が一番苦労がないのだろう。

気づいたら酒好きが高じて酒器を集めていたと言うと、「そうかと思いました。この前みなさんが食べ物などいろいろ持ち寄って酒宴を開いたとき、そちらだけ自分の徳利と猪口を持ってきていて、やってらっしゃいましたから。あれは備前でしょうか」とニコニコしている。

「今度の宴会はマイ猪口でやりませんか。わたしの好きなのは唐津のですが、備前がお好きなのですか」

宴会でのとりとめのない会話なのだが、どこか生き生きとした声の調子がその場かぎりの言いっぱなしには聞こえなかったので、「いいですね、次回さっそくやりましょう」と答えてこの日の二人の宴会は終わった。

そしてまたひと月が経ち、ご近所サロンの日が来た。

その日わたしは好きな志野の猪口と大ぶりの徳利に愛飲している酒をたっぷり入れて出かけていった。

参加者は少人数でPさんの姿もない。

遅れて参加する人のリストの中に入っていた。

だがわたしはその日に限って翌日の都合のため長居ができないので、マイ猪口デートはおあずけだなとあきらめていた。

すると、Pさんが来たとしても自分の猪口を持ってくるかなんてわからないじゃないかと横槍が脳裏をよぎり、自分が妙な期待をしていることに苦笑した。

それが原因か、その日の酒のすすみ方ははやく、帰宅を予定していた時間には三合徳利がからになっていた。

さあ帰って明日のドイツ旅行の準備を終わらせようと、挨拶をすませガラス戸の玄関の外に出て一歩踏み出すと、玄関先の街灯の下にきもの姿のPさんが突然ぬうっと現れた。

「ついさっきまで仕事があってこんな・・・」と言い終わらないうちに、「マイ猪口を持ってまいりました。約束ですもの。もうお帰りになるのですか」と言いながら満面の笑みを浮かべて立っていた。

そして暗がりでもわたしに見えるようにと、近寄ってきて抱えていたバッグの中にあった小箱から布に包んだ小さな猪口をとりだした。

それは例の唐津焼であった。

立ち話なので落ち着いて眺めることもできない。

それでもこうなればこちらも見せないわけにはいかない。

紙袋から紙のクッションに包んださっきまで飲んでいた猪口を、次に徳利を出してPさんに見せたが、結局、今度ゆっくりマイ猪口会をやりましょうと言葉をかわして、そそくさとまたしまいこんでしまった。

わたしは満天の星の夜道を歩きながら、「なんて可愛い人なんだろう」と、玄関先で鉢合わせしたときの笑顔と、これを見てほしいと言わんばかりに、子どもが大事なものを大人に見せたがっているかのようにすぐ目の前まで近寄ってきた屈託のなさを思い浮かべて、Pさんの魅力がどこにあるのかを知ったように思った。

それはたぶん、あのギャップにあるのだ。

茶会の席でのある種の厳しさと、日常の中の屈託のなさ。

単なる美貌にあるのではない、少なくともわたしにはそう思えた。

そういえば節子の魅力もそうではなかったか。

わたしは時々ふざけて彼女を小田原のお姫様と呼んだ。

武家に生まれ育ったような慎み深さが取り澄ましていると勘違いされることもたまにあった。

それが拗ねたとき、からかわれたときなど、何かの拍子に見せる子どもっぽい慌てようと好対照をなしていた。

そういえば妻にも、という考えが浮かんできたときにはすでに眠気のほうが勝っていた。

瞼の裏にたくさんの薄赤いひなげしが見えたり消えたりするように思えた。

わたしはドイツに向かう飛行機の中で疲れきって窮屈な姿勢のまま寝入ってしまった。


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