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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign01 アンドロメダ ダムゼル・イン・ディストレス
8/16

初詣

 元旦の朝、部屋を出ると、凍った空気に身が縮んだ。

 比叡の山並みは、蒼穹の下にくっきりと稜線を描いていたが、目を西に向けると、北山の彼方には灰色の雪雲がかかっていた。


 天水先輩との約束には、じゅうぶん間に合う時刻だった。

 僕はまず、高橋先輩の下宿を訪れた。

 ピンポンには反応がなかったので、電話をかけると、「ああ」という、まさに寝起きという高橋先輩の声がかえってきた。

 部屋に入ると、奥のリビングで真優理先輩が、目をこすりながら起き上がるところだった。

 僕は、咳ばらいをひとつした。


「これから路子カフェで、お雑煮が出ますよ。一緒に行きましょう」


「いや」、と高橋先輩は酒臭い息で誘いを断った。


「やめとくわ。天水が作るんやろ? あの雑煮は、重いで」


 重い、という形容詞の本意も分かりかねたが、それ以上に、聞き捨てならないフレーズが含まれていた。

 真優理先輩も同じことを感じ取ったようで、黒い瞳がきらりと光った……ような気がした。


「ちょっと高橋、いまのって、なに? あんた、春花と同棲でもしてるん?」

「なんで、そないなるねん。そんなわけないやろ」

「そやかて、元旦から春花の手料理を食べたってことやろ?」


 高橋先輩は、顔をしかめて頭を掻いた。


「去年の元旦にな、小西先生に呼び出されたんや。天水が雑煮を作ったから、食べに来い言うてな。腹が減っとったから喜んで行ったんやけど、とんでもなく重い食いもんやったんや。甘い白味噌は濃すぎるわ、餅のほかに根菜が山盛りで入ってるわで。あんなもん、二日酔いのときに食えるかいな。パスや、パス」


 高橋先輩の事情説明は、その場面がありありと思い浮かぶほどリアルだった。

 真優理先輩も、「なんや……」と肩を落とし、うらめしそうに僕を見た。


「行きたいとこやけど、ウチも無理やわ。いま、そんな重いもん、絶対に食べられへんからな」


 かくして僕は、ひとりで定休日の看板を掲げた路子カフェの暖簾をくぐった。

 ちりんという風鈴の音がして、味噌と出汁の香りとともに、割烹着姿の天水先輩が顔を出した。

 高橋先輩と真優理先輩のことを謝ると、天水先輩は「しかたないですね」と、あっさり受け流した。


 坪庭に面したいつもの席に案内され、壁一面を埋める文学全集に目を走らせる。

 川端康成を手に取ろうとしたとき、天水先輩が黒の半月盆をふたつ運んできた。家紋が入った黒と赤の雑煮椀と、湯呑、それに塩昆布の小皿が添えてあった。

 盆を机に置いた天水先輩は、割烹着を脱いで席に着いた。白い無地の割烹着の下には、青い着物を着ていた。

 椀の蓋を取ると、少なめの白い味噌汁に丸餅が頭だけを残して沈み、子芋と大根が盛られ、金時人参が紅一点を添えていた。


「いただきます」


 二人で同時に手を合わせ、雑煮に口をつける。

 甘くて濃いけれど上品な味噌の味が、口いっぱいに広がる。餅をかじり、芋と人参を食べた口に、大根のしゃきっとした食感がじつにありがたい。

 お世辞抜きに、すごく美味しかった。高橋先輩が言っていたものとは、ずいぶん違っていると思った。


「四人分作ってあるので、いっぱい食べていってくださいね」


 天水先輩は、とろけるような声でそう告げた。

「重い」と高橋先輩が言っていた意味が、このときわかった。


 子芋を食べながら、僕はそれとなく天水先輩の装いに目をやる。

 このためだけにしては、さすがに気合が入りすぎていると思う。たぶん、これから誰かと初詣にでも行くのだろう。

 ちょっと残念な気分で雑煮の味噌汁を啜っていると、天水先輩から「あの」と声をかけられた。


「星河くん、このあとはとくに予定ないんですよね?」

「はい。あとは寝正月です」


「じゃあ」と、天水先輩は瞳をうす緑に輝かせた。


「叔母さまが来る前に、初詣にいきませんか」


 なるほど、そういうことかと思った。

 小西先生が来るとなれば、長居は無用というものだ。断る理由などなかった。



 路子カフェから東へ歩き、角を左に曲がると、今宮神社まではだらだらとした登り坂が続く。

 天水先輩は、和装に草履履きだというのに、スラックスにスニーカーの僕とあまり変わらない足取りで歩く。

 明るい場所で見ると、彼女の着物は鮮やかな水色で、カラフルな花がいっぱい描かれている。花のあいだには、小鳥が遊んでいた。よくわからないが、幼馴染が初詣のときに着ていた振袖よりも、高価な着物のような気がした。

 僕の視線に気づいたのか、天水先輩は、着物の合わせと裾を整えた。


「これ、母が若いころに着ていたものなんです」

「なんだか、高そうな着物ですね」

「手描き加賀友禅の一点ものだそうです」


 説明を聞いてもやはりわからなかったが、とりあえず彼女の横に並ぶには、僕の恰好ではかなり不釣り合いだろうことは理解できた。


 大きな破魔矢が飾られた今宮神社の門をくぐり、境内の手水舎で手と口を清める。

 じゃぶじゃぶと柄杓で水をすくっていると、天水先輩に「だめですよ」とたしなめられた。「こうやって……」と、彼女は柄杓を左右の手で持ち替えながら、一杯の水で両手を清めて口をすすぎ、最後に柄杓の柄まで洗い流してみせた。

 その仕草はあまりに優雅で、僕は「へえ」と口にしていた。


「神社の参拝、よく行くんですか?」


 天水先輩が首を横に振る。


「いえ、それほどでもないと思いますよ。行きたい神社にも、まだ行ってないくらいですから」

「どこですか?」

「貴船神社です」


 伊勢神宮とか出雲大社とか、そんな神社が出てくると思ったら、ここから一時間もかからないところだった。なんなら、いまから出向いてもいいくらいだ。


「どうして、行かないんですか?」


「そうですね……」と、天水先輩が眼差しを北の空に向ける。

 ワンサイドアップのミルクティー・ベージュの髪が揺れて、白檀の髪飾りから、ほのかに芳香がした。


「……しかるべき時に、ちゃんとお参りに行きたいから、ですね」

「そんなものですか」

「そんなものですよ」


 掛け合いのようになり、笑いあった途端に、天水先輩の顔が曇った。

 その視線の先には、スーツの上にネイビーのダッフルコートを羽織った、三十すぎくらいの男性が立っていた。きちんと整えられた髪に彫の深い顔だちは、ニュースキャスターのような印象だった。

 意思の強そうな大きな目が、天水先輩から僕に向く。

 僕の足先から頭までを、検分するかのように見まわした彼は、一分の隙もないほど完璧な笑顔を浮かべて会釈をした。


「あけましておめでとう、春花ちゃん」

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