冬木立
高橋先輩の言葉は図星で、僕は認めるしかなかった。
「悔しいですけど、そのとおりです。でも、答えはまだ見つからないけど、自分がやりたいことって、誰かが用意してくれたり、誰かから押し付けられたりするものじゃなくて、自分で決めなきゃいけないと思うんです。だから、卒業するまでに結論を出したいんです」
答えながら、理屈っぽくて言い訳がましいな、と思う。だから、その言葉は誰にも届かず、最後は白い息とともに夜空に消えていったように思えた。
けれど。
僕の真横で、天水先輩が息をのむ気配があった。そして、「わたしも……」となにかを言いかけた、そのとき……。
ひとすじの光が、アンドロメダ座をかすめて夜空を走った。
「お……」と真優理先輩が声をあげ、流星が消えるより早く「男、金、幸せ」という三つの単語が早口言葉のように続いた。
「よっしゃ、言えたで。これで勝ち組、確定やな」
「なんやぁ」と、なかば呆れた口調で高橋先輩が突っ込みを入れる。「いまどき、まだそんなことしとるんか。真優理も案外、乙女やな」
「案外、が余計やわ。ウチは普通に乙女やし」
真優理先輩の軽口に応じるように、大きな光の塊が夜空をゆっくりと横切る。
「あっ」と天水先輩が声を上げ「えっと……」と言葉を継いだところで、火球は夜空で残光となった。
はう、と天水先輩がため息まじりに言葉を漏らす。
「だめでした」
ははは、と高橋先輩が笑う。
「乙女だらけやな、ほんまに。そもそも流れ星っちゅうのはな……」
彼が言おうとすることは、僕にも想像ができた。だから僕は、「高橋先輩」と呼びかけて彼の言葉を遮った。
なぜそうしたのかは、わからない。でも、そうしなければならないと思ったのだ。
「いいんじゃないですか、流れ星に願いをかけるっていうのも。口にできる願いがあるってことですよね」
「へええ」と真優理先輩が、感嘆を声に出した。そしてリクライニングチェアから立ち上がると、こちらを向いた。
彼女の背後には、川端康成が『古都』のなかで「冬の花」と称賛した北山杉の林があった。枝打ちされた幹は、凍てつく寒さにもちぢこまることなく、まっすぐに天を差して伸びている。梢のこんもりと丸い杉葉が、うっすらと雪化粧をしている。たしかに漆黒の夜空に咲いた花のようだと思ったとき、真優理先輩のうすい唇が開いた。
「オン、マカシリエイ、シベイ、ソワカ」
チェロの独奏を思わせる朗々とした声でそう告げた真優理先輩の顔に、おだやかな微笑みがうかぶ。うっとりと満足げに、けれど何かに思い悩むように、そしてそう、まるで誰かのために祈るように。
僕は広隆寺の弥勒菩薩像のような、真優理先輩の顔に問いかけた。
「なんですか、それ」
真優理先輩は、表情を変えずに答えを返した。
「妙見様の真言や。願いが星に届くようにって、まあそんなおまじないや」
「ご利益、あるんですか」
再びの僕の問いに、彼女は「いいや」と首を振った。
「そんな都合のええもんやないよ。けど、星河がめずらしくええこと言うたからな。願い事っちゅうもんは、漠然としたもんやったらあかんねん。具体的に思い描いたり言葉にできることしか、仏様も神様も、お星さまも叶えようがあらへんからな」
真優理先輩の言葉に、僕のなかでまた彼女の姿が重なる。
彼女は、いつも明確な目標を口にして、それを叶えるべく努力をしていた。そして高校を卒業すると同時に、大きな夢を追うためにアメリカに留学した。
その姿は、いまでもまぶしくて、そして……。
僕は「そうですね」と答えた。「真優理先輩みたいに、いつも前向きで強い人って、僕は好きです」
「へっ」と、真優理先輩が目を丸くする。
高橋先輩はこめかみを押さえて顔をしかめ、天水先輩は責めるように僕を睨んだ。
真優理先輩のまなざしが、つかのま宙をさまよい……。強烈なデコピンを見舞われた。
「話のついでにコクるとか、ありえへんわ。ウチには、その程度でええってことかい」
コクるとか、どうしてそういうことなるのか、僕にはわからなかった。返す言葉がなく黙りこんだ僕に、高橋先輩が深いため息をつく。
「無自覚というか、なんというか……。やっぱり星河は、女の敵やな。あの子らも、苦労したやろな」
四面楚歌ってこういうことを言うのだろうかとを思ったら、小西先生だけは満面の笑みを浮かべていた。
やがて極大を迎えた流星群は、夜空のあちこちに向けて次々と光の矢となって流れた。
これなら、適当に願いを口にしても、届いてしまうかもしれない。天水先輩も、あきらめずに言ってみればいいのに。
僕はそんな、埒もないことを考えた。
年末が近くなると、千年の落ち着きを持つ京都の町ですら、どこか浮足立った雰囲気になる。
祇園の芸妓や舞妓が揃ってあいさつ回りをし、東寺と北野天満宮に賑やかな終い市が立ち、東本願寺と西本願寺では一年の埃と煤を払い、知恩院の巨大な鐘をお坊さんたちが力を合わせて撞き鳴らす。
僕はといえば、今年は帰省せずに下宿ですごすことになった。妹が入試を控えていて、勉強の邪魔になったり、病気を持ち込むことになったりしないように、家族で話し合って決めたことだった。
大学の講義が終わり、クリスマスには天水先輩が作ったビュッシュ・ド・ノエルをメンバーで分け合い、アルバイト先の塾が冬休みに入る。
そうして迎えた大晦日。
小西先生から同好会メンバーに、路子カフェに集結するようにメッセージが届いた。
『午後から、店の煤払いをする。参加するもしないも自由だが、信賞必罰という言葉を心に留めておくように』




