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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign01 アンドロメダ ダムゼル・イン・ディストレス
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未来

 小西先生が運転するレクサスRXは、真っ暗な周山街道を北上していた。

 助手席に天水先輩が、二列目には高橋先輩と真優理先輩が座り、僕は全員の防寒着とともに最後部のシートに押し込まれていた。

 ずっとカーオーディオから流れていた昭和メドレーが、ユーミンの『卒業写真』で終わったところで、クルマは山間にぽつんとひらけた駐車場に停まった。


 ヘッドライトが消えると、闇が辺りを閉ざした。

 天気予報では、夜半の気温は氷点下だった。ファスナーを閉じ切ったダウンジャケットを通してすら、寒さが沁みてきた。

 けれど……。

 見上げた夜空には、満天の星々があった。

 西に傾きはじめたペルセウス座とアンドロメダ座を結ぶように、天の川が白く流れている。目を凝らすと、アンドロメダ銀河が白い楕円の広がりを見せていた。

 僕は、先日の星空教室を思い出した。あの子たちに、この星空を見せてあげられたら、あるいは……。


 同じように天を仰いだ高橋先輩は、「まだ始まってへんな」と言って、折り畳み式のテーブルやリクライニングチェアをレクサスの荷室から取り出す。僕は、テーブルをまんなかにして、その周囲をリクライニングチェアで囲むように設置していく。

 真優理先輩はテーブルの籠に洋菓子を盛り、天水先輩はマグカップを並べて、大きな水筒から湯気のあがる液体を注いだ。


「はい、星河くん」


 手渡されたカップを受け取ろうとして、目測を誤り、カップが落ちそうになる。

 思わず差し出した僕の掌が、カップを持ち直そうとした天水先輩の手を包み込む。ひややかで、けれどわずかなぬくもりを持った柔らかさに……。


 僕は不意に、いつも繋いでいた彼女(・・)の掌を思い出した。

 そう、彼女とは、もう二年も会っていない。

 波打つようなカーブを描く関西国際空港の巨大なドーム天井の下、セキュリティチェックに消える背中を見送ったあの春の日が、離してしまった手が、いまさらのように僕の心を締め付けた。


「……えっと、星河くん?」


 フルートの音色が、ふわりと耳をくすぐる。

『智之ちゃん』でもなく、『智之くん』でもなく……。


 あっと、思った。

 目の前には、ほのかに赤く染まった頬と、戸惑った眼差しを向けるペリドットの瞳があった。


「ごめんなさい」


 僕は、あわてて彼女の手を離す。

 天水先輩は、改めてマグカップを僕に差し出した。


「ううん、いいんですよ。こぼれて手にかかったら、火傷しちゃうところでしたから。……今夜の茶葉はウバです。クローバー牧場の特別牛乳で淹れて、ジンジャーとメープルシロップを加えてます」

「チャイですか?」


「はい。温まりますよ」と天水先輩が微笑む。

 口をつけると、ほのかな紅茶の香りを、メープルシロップの甘い香りが押しのけた。コクのある牛乳にジンジャーの刺激とシロップの甘さが絡んで、飲み物というよりも、それ自体がスイーツのようだった。


 リクライニングチェアにもたれた真優理先輩は、マグカップを両手で包みながら口をつけた。そして、『卒業写真』の一節を口ずさんだ。

 時の流れのなかで変節してしまう自身を叱咤してほしい、そんな詞を歌う真優理先輩のうすい唇から、白い息が立ちのぼって楕円をかたちづくる。まるでアンドロメダ銀河のようだと、他愛もないことを僕は思った。

 その歌詞がきっかけになったのだろう、高橋先輩がぼそりと呟いた。


「来年の採用試験、どこで受けよかな」


 歌をやめて「なんや、それ」と応じた真優理先輩が、「高橋は実家に帰らなあかんのとちゃうんか?」と聞き返す。

「いや」と高橋先輩は否定した。


「俺は次男坊やから、継ぐ家もないし身軽なもんや。それに朝陽市の教員採用枠、毎年えらい少ないんや。就職浪人とか、したないし。真優理はどないするん?」

「ウチは採用試験なんか受けへんよ」


「ええ」という声が、当人を除く全員から一斉に起きた。

「なんでやねん」と、真優理先輩が右手の甲で高橋先輩の胸を打つ。


「ウチは家が寺やて、みんな知ってるやん。で、幼稚園やってるから、そこを手伝うんや。春花はどうするん?」


 唐突に話を振られた天水先輩が、「わたし……」と口ごもる。ややあって、天水先輩はぽつりと告げた。


「……わたしは、教師になれれば、それでいいから」


 暗いのではっきりとはわからないが、僕は彼女の声色から、きっとペリドットの瞳を曇らせていると思った。ほんとうに、なんの確証もなく、そう思えてしまった。そして、それを訊かなくてはならないとも。


「天水先輩は、どんな教師になりたいとか、ないんですか?」


「へえ」と感心したような声が、またしても当人たちを除く全員から起きる。

 真優理先輩は、僕の顔を確かめるようにのぞきこんでから、「なあ」と言った。


「星河がそんなん訊くなんて、めずらしいやん。なら、あんたはどうなんや?」


 心外で無遠慮な物言いに、僕はいささかむきになって答えた。


「僕は、天文の知識で人と関わる仕事をするって、大切な人たちと約束したんです。彼女たちには負けたくない、負けるわけにはいかないんです」


 僕の言葉がどう伝わったのかわからないが、真優理先輩はそれで口を噤んだ。

 高橋先輩が、ふうんと唸る。


「カノジョ、か。そういうことか。なるほど、ね」


 なるほどのあとの「ね」が、なんだかひっかかるが、それをどうこういう前に高橋先輩の言葉が僕を撃ち抜いた。


「それやったら、高校の地学系の教師にでもなって、天文部の顧問をするのが唯一の選択肢やな。でも、それは星河のやりたいことやない。違うか?」

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