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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign02 ペルセウス プリンス・チャーミング
17/19

此岸(前)

 雛祭りから二週間が過ぎ、大学は長い春休みに入っていた。


 僕は帰省せずに、学習塾のアルバイトに明け暮れていた。そして相変わらず、ランチを食べに路子カフェにも通っていた。


 あれから春花とは、なんどかデートに出かけた。けれど、手を繋いで歩いても、向かい合って食事をしても、気持ちはどこか遠くにあった。

 小西先生はいまの僕たちの状況を察知しているようだったが、無関心を装っていた。


 そんな状態で、この日を迎えることになるとは、約束したときには想像もしていなかった。


 京都駅の改札口は、春の観光シーズンを迎えて、観光客でごったがえしていた。

 待ち合わせの時刻ちょうど、彼女は大勢の乗降客にまぎれることなく、けれど目立つこともなく、ゆっくりと歩いてきた。

 どこかのスピーカーから、グノーの『アヴェ・マリア』が流れていた。

 自動改札機の扉がバタンと開き、ふわりとした足取りで彼女が出てくる。

 axes femmeの白いワンピースには、オレンジや黄色の小花がいっぱいに咲いていた。

 赤みを帯びたロングヘアが揺れて、白い顔の中で琥珀色の瞳が僕を映す。その瞳が光を帯び、頬に色が差し、桃色の艶やかな唇が開く。

 彼岸の陽光のような、おだやかで澄んだ声がした。


「ひさしぶりね、智之くん」


 僕の心が、一瞬にして三年前の秋の日に呼び戻された。

 あの日、高校生活の最後の文化祭を、いや高校生活そのものを全うできずに、彼女は僕たちのもとから去った。いや、去らざるをえなかった。


「そうだね」と答え、そして、あのとき手放してしまったものの名を、僕はもういちど呼ぶ。


「詩織」



 地下鉄と嵐電を乗り継ぎ、一時間ほどで嵐山に着いた。

 京都駅から来るのであればJRの嵯峨野線が便利だが、民家の軒先をかすめながら路面電車にゆられて行くのが、僕は好きだった。


 お昼にはすこし早かったが、僕たちは渡月橋のたもとの茶屋に入り、鴨と九条葱のうどんを食べ、甘味に桜餅を注文した。

 この茶屋の桜餅は、白い道明寺餅を桜葉の塩漬けで巻いたもので、餡は入っていない。餅のほのかな甘味が、桜葉の香りを引き立てていた。


 お腹を満たした僕たちは、バスで鳥居本まで登った。

 道路を潜って家並みを抜け、ゆるやかな石段を登ると、念仏寺に着いた。

 京都に遊びに来ることが決まったとき、詩織が唯一希望した行き先だった。


 本堂前の西院の河原には、いつの時代のものともしれない、そして石仏とも石塔ともしれないものが、四角く囲われた敷地にびっしりと並んでいる。そのひとつひとつが、かつて葬送の地であったここに眠る、幾多の無縁仏を弔うための墓標たちだ。寺の案内によれば、八千体ほどあるという。


 詩織はスケッチブックに手早く素描を起こすと、歳月を経て丸まった石仏の前にしゃがんで手を合わせ、軽く目を閉じた。

 淡い桃色の唇がちいさく動き、なにかを語りかけている。

 ここに詩織の縁者が葬られていることは、ありえないだろう。僕には、その姿が、つながってはいけない者との交信のように思えた。


「ねえ、詩織」


 僕の呼びかけも、いまの彼女には届かなかった。

 思わずさしのべた手が詩織の肩に触れる寸前に、彼女はゆっくりと振り返った。

 その琥珀色の瞳には、たしかに僕が映っていた。けれど眼差しの焦点は、僕にはなかった。

 詩織はゆっくりと立ち上がると、その顔に薄い笑みを張りつかせた。


「『住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し』。生きていれば、汚れていくばかりなのね」


 僕は後悔した。

 いくら頼まれたからといって、詩織をここに連れてくるべきではなかったのかもしれない。

 せめて僕は、彼女の言葉を否定しよう、と思った。


「そんなことないよ。きっといいことだって、あるはずだから」


 僕の言葉は心からのものだった。

 けれど、それは詩織に届くこともなく、西院の河原から彼岸に渡る白い風に運び去られていったような気がした。

 その風の行方を見届けるように、詩織は青空を仰ぎ見た。


「そうね。でも、わたしは自己満足のために、ある人の末期を利用してしまった。その罪を赦してくれる人は、もういない。だから、それを背負っていくしかないの……」


 自己満足のために、誰かを利用した。

 そんな懺悔を詩織から聞くとは、思いもしなかった。

 なにがあったのか、それはまだ訊くべき時期ではないような気がした。

 ただ……。


 詩織の言葉は、僕のなかにできてしまった春花との距離に、明確な解答を与えた。

 そう、利用されたと、僕は感じてしまったのだ。

 僕も軽率だったし、春花だけが悪いわけでなないことはわかっていたが、それでも裏切られたような不信感があった。

 あんなに近づけたと思っていたのに……。

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