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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign01 アンドロメダ ダムゼル・イン・ディストレス
14/19

花競

 節分が過ぎても、京都の春はまだ遠い。

 ダウンコートを着て厚手のズボンを履いても、足元からの冷気で身体が震える。暖房が恋しくて、学校と下宿と、そして路子カフェが居場所になる。


 その日は日曜だったから、下宿にこもっていようかと思ったところに、春花からメッセージが届いた。

 午後三時に路子カフェに来て欲しい、という内容だった。


 路子カフェにのドアには、「本日貸切」の看板が出ていた。

 ちりりんと風鈴を鳴らしてドアを開くと、店内にはチョコレートの香りが充満していた。それで僕は、今日が二月十四日だということに気づいた。


「いらっしゃい」


 いつもどおり、春花の声が出迎えてくれた。

 けれど。

 坪庭の席の近くには、ひらひらふわふわした黒いドレスを着た髪の長い女性が、こちらに背を向けて立っていた。

 さっきの声は春花のものだったが、その後ろ姿は彼女のものではなかった。


 カラヤンの『G線上のアリア』の旋律に合わせるように、その女性がゆっくりと振り向く。

 たっぷりと膨らんだシフォン生地のティアード・ジャンパースカートには、レースとリボンがふんだんにあしらわれている。白い長袖のフリルブラウスの首元には、修道女のような赤い十字架が刺繍されていた。

 彼女の長い髪がゆらりと揺れたあと、さらりと胸元に流れて落ち着いた。

 こげ茶色の瞳の切れ長の目と、まっすぐに通った鼻筋。彫像のような顔のなかで、ルージュに彩られた唇が、つんと尖ったあとでふっと嗤った。


「なんや、その顔は」


 声と言葉づかいは、たぶん真優理先輩だ。推定、真優理先輩は、唖然とする僕に、「で」と続けた。


「どうや」


 どうか、と問われても含意が広すぎて困るが、察するに、今日の服装に対する感想を求められているのだろう。

 広隆寺の弥勒菩薩像に、ビスクドールの衣装を着せたようなものだと思う。

 僕は見たままの感想を口にする。


「ゴスロリ弥勒……」


 言いかけた僕の言葉に、真優理先輩の眉間がきゅっと寄る。

 僕は咳ばらいをして、言葉を継いだ。


「……似合っていると思います、すごく」


 追従ではなかった。着こなしの難しそうな衣装だが、まったく違和感がなかった。違和感がないどころか、ずっと見ていたいとすら思えた。


 僕の返事に、ふふうんと満足げに微笑んだ真優理先輩は、ウエストをひねって、くるりとひとまわりする。

 広がったスカートの裾が、僕の足をくすぐる。

 こちらに向き直った真優理先輩は、スカートを両手でつまみあげると、かるく膝を曲げて、右足のストラップシューズのつま先で、床をこつんと叩いた。


 ちょうどそのとき、ちりりんとドアが開いて、高橋先輩が入ってきた。

 ポーズを決めた真優理先輩に目を丸くしたあとで、高橋先輩は「へえ」と腕を組んだ。


「なんや真優理、柄にもなく可愛らしい恰好して」


 真優理先輩の頬が染まるのを、初めて見た。


「な、なんで、あんたまで来てるんや」

「え、天水に呼ばれたんやけど」


 はあと真優理先輩がため息をもらし、厨房に向かって声を上げた。


「なあ春花、忠告しといたるわ。博愛精神もええけど、時と場合によるで」


 その声に誘われたように、厨房から春花が出てきた。

 曲がヨーヨーマの『無伴奏チェロ組曲』のプレリュードに変わる。

 給仕のトレイを捧げ持って目前に立った春花の姿に、目が釘付けになった。

 初詣のときと同じ、青い加賀友禅の着物だった。だが、ミルクティー・ベージュだった髪が、つややかな黒髪になっていた。アンティークランプのアンバーの光を、吸い込むようにも反射するようにも見える。ストレートのおろし髪は、純白の和紙の元結で束ねられて背中に垂れていた。

 黒髪に縁どられたあどけない顔の中で、ふたつのペリドットの瞳が異彩を放っている。

 巫女のようだな、と思った途端、小西先生の声がした。


「これが、ほんとうの春花だよ」

「でも、春……天水先輩、どうして」


 僕の呼び間違いと戸惑いに、小西先生は含み笑いで応えた。


「私はこっちの方が、好みでねぇ。星河君も、同意見かい?」

「叔母様……」


 めずらしいな、と僕は思う。春花が小西先生をたしなめるのも、小西先生がそれを素直に受け入れて「すまないね」と謝るのも。

 こくんと頷いて、春花は紅茶のカップを皆の前に並べた。


「今日の茶葉は、ダージリンのファースト・フラッシュです」


 その声は、そしてほのかな白檀の香りは、まぎれもなく春花のものだった。けれど僕は、そこにいるのが天水春花だという実感が、どうしても得られなかった。

 春花は、紅茶に続けて青色のマカロンを盛りつけた皿を、まず僕に差し出した。


「ホワイトチョコのマカロンだよ。青い色はバタフライピーでつけたの」


 真優理先輩に睨まれながら、僕はマカロンを口に運んだ。

 さくりとしたあと口の中でとろけるマカロンと、挟まれたガナッシュは、まろやかなホワイトチョコレートの甘さだけを感じた。

 マカロンがなくなると、今度は真優理先輩がしっとりと艶のある黒いケーキのようなものを切り分け、僕と高橋先輩の皿に盛り付けた。


「ショコラ・テリーヌや。リキュール入りやから、がつんとくるで」


 口にすると、真優理先輩の言葉通り、濃厚なチョコレートの味とともにオレンジ風味の酒が口に中に広がり、一瞬で顔が熱くなった。

 にやりと笑った真優理先輩が、「ああ、そうや」と声をあげた。「三月のな……」


「はい」と僕は応じた。そろそろ、時期だと思っていた。


「星空教室ですよね。新月が……」


「はあ」と、真優理先輩が語尾を上げた。


「なに言うてるねん。三月といえば、桃の節句のひな祭りに決まってるわ。春花の誕生日やねんから、今年も白酒パーティやるで」


 紅茶のカップをソーサーに戻した春花が、「すみません」と頭を下げた。


「その日はちょっと予定があって」

「なんや、デートか?」


 真優理先輩はそう言いながら、なぜか僕をまた睨んだ。

 春花が、ふるふると首を振る。


「そうじゃないんだけど……ちょっとお断りできない予定で」


「怪しいな」と言って、さらに詮索しようとした真優理先輩を、小西先生が制した。


「春花はね、下鴨神社の『流し雛』で、お雛様の役が決まってるんだよ。黒髪に戻したのは、そのためさ」


 その言葉に、真優理先輩は「ああ、そうか」とあっさり納得した。

 よくわからないが、「そうか」の一言で済むような話ではないと思う。それは高橋先輩もおなじだったようで、「いやいや」と真優理先輩に食いついた。


「なんで金沢出身の天水が、そんな役に当たるんや。普通は、京都のいい家のお嬢様がやるんもんやろ?」


 真優理先輩は、テリーヌを口に運びながら、ふふんと笑った。


「そやから、その、いい家のお嬢様なんや、春花は。お母はんは、若いころに葵祭の斎王代をやった人やで。いずれ春花もそうなるやろな。まあ、ウチらとは住む世界が違うっちゅうことや」


 春花は、僕を見て、ほっとちいさくため息を落とした。


「そんなのじゃないの。いろいろあって、しかたなくなの」


「そうなんだ」と答えた僕に、春花はすこし間をおいたあとで、こくんと頷いた。

 その瞳が、唇が、まだなにかを伝えたがっているように、僕には思えた。それがなにかはもちろんわからなかったが、僕はふとした思い付きを口にした。


「見に行ってもいい?」


「ううん」と首を横に振った春花のペリドットの瞳が、けれどほんのわずかに明るくなったような気がした。

 そして彼女は、「あのね」と付け加えた。


「星河くんに、頼みたいことがあるの」



 帰り道の足取りが軽かったのは、チョコレート菓子でカロリーをとったせいではない。春花の依頼が、僕を有頂天にさせたのだ。


 路子カフェから部屋に戻ると、三つの宅配便が届いていた。

 ひとつは実家から、もうひとつは吉祥寺から、そして最後のひとつはニューヨークからだった。


 しばらくはチョコレートを買わなくて済みそうだと、僕は上機嫌でそう思った。

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