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その夢を、星空に -Star Observation Society KYOTO-  作者: TOM-F
Sign01 アンドロメダ ダムゼル・イン・ディストレス
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追儺

 月が変わり、二月になった。

 路子カフェのドアに、今年も柊鰯が飾られた。

 店に入ると、店内には生姜と醤油の匂いが満ちていた。高橋先輩と真優理先輩がすでに座っていた。

 膳を運んできた天水先輩は、頭を落とした鰯の煮つけを指さした。


「丹後産のカタクチイワシが手に入ったの。骨まで食べられるから」


 鰯にかぶりつくと、身はふっくらとしていて、骨も柔らかかった。

 高橋先輩は「旨いな」と言ってから、言葉を続けた。


「ところで、星河。今月のトピックは?」

「えっと、たしか月末に水星が西方最大離角です。それくらいかな」


 あの、と天水先輩が、僕に助けを求めるようにペリドットの目を向けてきた。


「せいほうさいだいりかくって、なに?」

「水星は地球より内側にある惑星なので、火星や木星みたいな外側にある惑星とちがって、明け方の東の低空か夕方の西の低空でしか見えないんです。そのうち、西の空でいちばん高い位置まで登るのが西方最大離角といいます」


 お盆を胸に抱えた天水先輩は、小首をかしげた。


「水星って、どんなふうに見えるの?」

「表面は月に似ていますけど、太陽に近くて光の反射が強いので、望遠鏡で観望しても白っぽい半円にしか見えません」


 鰯をすっかり平らげた高橋先輩が、「まあな」と口を挟んだ。


「近くにあるからというて、ちゃんと見えるというもんでもない、ということや」


 箸で鰯を切り分けて食べていた真優理先輩が、ふんと鼻で笑う。


「なんや高橋、ええこと言うたったでって顔やな。そんなことより……」


 言葉を切った真優理先輩は、「なあ星河」と僕に目を向けた。


「明日やけど、ちょっとでかけへんか?」

「どこですか?」

「吉田神社や。節分祭の追儺を見に行きたいんや」


 誘われた僕より先に、高橋先輩が「ええな」と参加を表明した。

 僕は、お盆を持って立ったままの天水先輩に声をかけた。


「天水先輩も、行きますよね?」


 ペリドットの瞳が、驚いたように僕に向く。その瞳に僕が映った途端、彼女の眼差しは他所をさまよい、そしてなぜか真優理先輩に向いた。

 ほぼ同時に、僕の額に痛みが走る。前の席から、真優理先輩の手が伸びてきて、デコピンをくらっていた。


「春花はあんたにはやらんと、なんべん言うたらわかるんや」


 そういうつもりじゃ、と反論しかけて、僕は言葉を飲み込む。ならば、どういうつもりだったのだろう。

 口を噤んだ僕の代わりに、高橋先輩が「四人で行く、で決まりやな」と締めた。

 真優理先輩が、聞こえるか聞こえないかというくらい、ちいさく舌打ちした。



 京都の鬼門を鎮める吉田神社の節分祭は、節分の前後三日間にわたって行われる。

 僕たちは、二月二日宵の追儺式を見に行った。ふだんは静かな参道に、この日は多くの露店が並び、見物客が押し掛ける。


 日が暮れた午後六時すぎに、追儺式は始まった。

 着ぐるみの赤と青と黄の三体の鬼が、金棒を杖代わりにして境内をよろめきながら練り歩く。群衆に向けて苦しげに叫びを上げ、最後には地面に倒れ伏すように拳を打ち付ける。

 そこに、金色の四つ目の仮面を付け派手な装束を身にまとった方相氏が、稚児たちを引き連れて颯爽と現れ、盾と鉾で鬼たちを境内の外に追いやる。

 重い足を引きずるように逃げていく鬼たちの背後から、殿上人たちが矢を放って追い打ちをかける。

 鬼たちが境内から姿を消し、追儺神事は終わった。


 露店のたこ焼きを頬ばりながら見物していた真優理先輩が、眉をひそめて不思議な言葉を三度呟いた。


「オン、カカカ、ビサンマエイ、ソワカ」


 そんなふうに聞こえた。


「今日は、何のご真言ですか?」


 僕の問いに、「ああ」と真優理先輩は髪をかきあげた。


「地蔵菩薩さまのご真言や。まあ、罪滅ぼしみたいなもんやな。うちなんぞが唱えても、功徳はないやろうけどな」

「前から気になってたんですけど、どうしてそんな言葉を唱えるんですか?」

「ウチはお寺の子やから、小さいころから、そういうのに親しんでるねん。それに親父は、ウチみたいな子を男手ひとつで育ててくれたから、ちゃんと恩返しはせなあかんと思うてな。それで、仏道の修行してるんや」


 真優理先輩の孝行心には感心しかなかったが、逆にそんなにいい親なら娘に跡を継いで欲しいなどと思うだろうか。ましてや、宗教の後継者ともなれば、容易いことではないだろう。

 僕は疑問を素直に口にした。


「真優理先輩が尼さんになるって、そんなことお父さんは望んでいるんですか?」


「はあ」と真優理先輩は、言葉尻を上げて、ついでに眉を寄せた。


「親父がどうこうやない。これは、ウチの気持ちの問題や」


 そう言い切った真優理先輩に、なぜか天水先輩が顔を曇らせた。真優理先輩はそしらぬ顔で「それより」と話を続けた。 


「あんたも見たやろ、さっきの追儺神事。どう思った?」


 話をはぐらかされたような気もしたが、もともとそんなに興味があったわけでもないので、僕は新しい話題についていくことにした。


「なんだか、鬼たちがかわいそうになりました」

「そやろ。あれは退治やなくて隔離や。打ち勝って克服するか、敗北を認めて受容するか、ほんまはそうせなあかんのや。そやのに、克服も受容もせんと、遠ざけるだけやなんて。あんなん、意味ないやん」


 僕と真優理先輩の会話を、遠い眼差しで見ていた天水先輩が息を飲んだ。


「そうなんですか?」


 だまってたこ焼きを食べていた高橋先輩が、「そうやで」と相槌を打った。


「嫌なことをぜんぶ鬼におしつけて、目の前からおらんようにしただけやからな。見えんようになったからというて、なくなったわけやない。まあ、根本的な解決にならんでも、とりあえずはそれでええってことやろ」


 はあ、と息をはいて、天水先輩は肩を落とした。

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