第345話 颯姫の決断
たっぷりとした沈黙が100層を支配していた。ただし、颯姫さんと上野さんの間では視線で「え、マジで?」「マジです」みたいなやりとりを感じられたけど。
……上野さん、10年の間は幸せな夢で颯姫さんとの高校生活とかエンジョイしてたっぽいから、現実の颯姫さんがこんな対応をするとは思わなかったんだろうな。
突然だぱっと泣き出して、本来颯姫さん側の人間であるはずのライトさんとタイムさんに慰められている。
「う、上野さん、10年はさすがに長いから姫の感情も色々変わってるだろうし!」
「そうですよ! さすがに遠距離恋愛でも10年は保たせられないですって!」
「そ……そうか、じゃあ、お付き合いから」
「お付き合いとかそういうレベルでもないです。それ以前に私と上野さんは1から再スタートですよ。よくよく振り返ると、私ってあなたのことをほとんど知らないです。10年間この世にいないも同然だった人といきなり結婚とか、あり得ません」
「ウワーオ、アネーゴってば現実的ー」
私たち高校生組は一歩引いて見てるけど、蓮とか思いっきり頬が引きつってるね。まあ、目の前でプロポーズして瞬殺された人を見たらそうなるか。
「私は」
呆然としてる上野さん側に回ったライトさんとタイムさんへの説明も含めてか、颯姫さんが一際大きい声を出した。
「上野さんを助けたし、やることやったから冒険者やめます。勉強して、やるはずだった大学受験からやり直すの。私が大学行かなかったから、うちの学年だけ進学率99%だったんですよ。――これが、私が考えて決めた未来のことです。上野さんのことがなかったら、私は冒険者になってなかったので」
颯姫さんの宣言に、その場の全員がまた驚いていた。思い切りがよすぎるし、大学受験するんだ、とか私も驚きだよ。
だけど、ライトさんとタイムさんは驚きつつも納得してる感じに頷いてる。
「俺も引退する。金は十分貯まったし、家買って生活の心配はなくした上で社会人やり直すのもいいかなって思ってたから」
「ああ、僕も同じようなこと考えてた。じゃあ、ライトニング・グロウは解散かな」
「待って!? そしたら俺どうしたらいいの!?」
颯姫さんに続いてライトさんとタイムさんもまさかの引退宣言をするし、事前に一切そんな打ち合わせがなかったらしくてバス屋さんは大慌てだ。
「バス屋は若いし強いし、今から他のパーティーに入ってもいくらでも重宝されるよ」
「えええー、そんなー! 引っ越しで捨てられた犬の気分! 装備作った借金分返し終わって、やっと金が貯まるようになったと思ったのにー」
地面に手を突いてバス屋さんも半泣きになってる。
上野さんは泣いてるし、バス屋さんは断続的に悲鳴を上げてるし。スッキリした顔をしてるのは颯姫さんとライトさんとタイムさんだけで。
「――とりあえず、部屋に戻りません?」
聖弥くんがそう言い出さなかったら、収拾付かなかったかもしれない。
「うわー、なんだこれ」
居住区域に入った上野さんの第一声はそれだった。
なんだこれって、自分でプログラム作ったんじゃないのかな!?
「ここ作ったの上野さんですよね!?」
「そうだけど、この辺のUIは赤城さんに任せたから」
颯姫さんにツッコまれつつ興味津々といった感じで上野さんはあちこちを覗いて、その度に驚きの声を上げていた。
この人、結構言動が軽いなあ。バス屋さんとはまた方向性が違うんだけど、10年眠ってて歳を取ってないとして、同じ年頃のはずの颯姫さんやライトさんたちよりも若く感じる。
「とりあえず、血も付いてるしお風呂どうぞ。その間にお昼ご飯作りますから。その後落ち着いたら、10年前の事情を説明してもらいます」
「は、はい」
颯姫さんは事前の緊張が嘘みたいに落ち着き払っていて、逆に上野さんの方があわあわしている。これが、覚悟の差か……。
ライトさんがアイテムバッグから服を出して上野さんに貸していて、上野さんはおとなしくお風呂に消えていった。
「上野さん、いきなりご飯食べられるんですかね」
「内臓はこれ以上ないほど健康なはずだけど。リザレクションの効果からいって」
「レトルトのお粥も用意してますよ、当然お腹いっぱいは食べさせません。三木の干殺しじゃないんですから、こんなことで死なれたら困りますし」
聖弥くんの心配にママと颯姫さんの答えが厳しい。三木の干殺しって……。確か、秀吉に兵糧攻めにされた話だよね? 戦が終わった後、飢餓状態から急に食べ物を食べたら死んじゃったという。
レトルトのお粥用意してたって、さりげなく準備いいな。
お昼ご飯はチャーハンと餃子と中華スープだったけど、上野さんはしょんぼりとお粥を食べていた。そして、食べ終わってからコーヒーを飲みながら説明に入る。
「10年前、颯姫さんがお見舞いに来てくれた日、俺はすぐ赤城さんに連絡をしたんだ」
多分、上野さんにとってはちょっとしか前じゃない、颯姫さんにとっては10年以上前の、全てが始まった時のこと。
「その時まで俺は、自分の命をほとんど諦めてた。あの時急に死ぬのが怖くなって、生きたいと思えた。その時に縋れたのは、赤城さんしかいなかった。あの人はとんでもなくいろいろなことを知っていて、何か方法があるんじゃないかって俺には思えたから」
上野さんは一度息を継ぐと、驚くべきことを私たちに打ち明けた。
「ダンジョンのマナ溜まりからアカシックレコードに接続できて、そこから得られる知識の中に打開策があるかもしれないって俺に教えてくれたのは、赤城さんなんだ」