第344話 リザレクション
上野さんは生きてる。そう結論づけられたところで、颯姫さんが深呼吸をしてサブ武器にしているダガーを取り出した。
「色々考えたの。上野さんが私に生死の鍵を預けたのは、ゆ~かちゃんが言ったとおりに甘えかもしれないけど信頼でもあると私は思った。私たちが一緒に過ごした時間は長かったわけじゃない。でも、信頼してくれたからにはそれに応えないと。少なくとも10年前の私はこの人にとって、命を預けても大丈夫と思える存在だったはずだから」
10年の間に颯姫さんの中で変わった部分もあるんだろう。
でも颯姫さんは、10年前の自分を信じることにしたんだろうな。
リザレクションは「死んですぐなら健全な状態で蘇らせることができる」魔法。――つまり、発動の前に一度上野さんは死ななきゃいけない。
颯姫さんが握って上野さんの胸の上に翳したダガーは、ぶるぶると震えていた。
そして、颯姫さんの手もなかなか動かない。
当たり前だよね、いくら蘇生魔法があるからって「だから人を殺せるか」は別の話――って、彩花ちゃんが自分のサブ武器のダガーをさくっと上野さんの胸に刺したー!!
躊躇ない! なさ過ぎでしょ!!
「きゃああああああああ!! あ、彩花ちゃん!」
「颯姫さんには無理だもん。こういうのは慣れてる人間にやらせりゃいいの。ほら、リザレクションしなきゃ」
彩花ちゃんがダガーを刺したままにしてるので、上野さんの服にじわりと鮮血が滲み出てきた。ひえっと思う自分と、「やっぱり生きてた、よかった! 今死んだけど!」って思う自分がいる。
颯姫さんは半泣きになりながらダガーを引き抜き、その瞬間に「リザレクション!」と叫んだ。一瞬だけ血がしぶいたけど、すぐにそれは止まる。淡い紫色の光が上野さんを包み込み、体中に吸い込まれるように消えた。
「血が止まった」
「まあ、刺されたところが修復されたんだよね、リザレクションで」
掠れた声で呟いた蓮に、当たり前という調子で彩花ちゃんが答える。
私たちが息を詰めて見守る中、横たわったままの上野さんは段々と顔色がよくなり、1分ほどした頃にゆっくりと目を開けた。
「上野さん」
横たわったままでぼんやりと辺りを見回した上野さんに、颯姫さんが震える声で呼びかける。その声で、まるで白雪姫が生き返ったときのようにゆっくりと上野さんは起き上がった。
「颯姫さん」
あ、この声だ。間違いない。
ダンジョン5層で「お帰りなさい、颯姫さん」と毎回言う声。本当に上野さんの声だったんだ。
颯姫さんは上野さんの声を聞いて、マナ溜まりの横にへたりと座り込んだ。その颯姫さんに、上野さんがそっと手を伸ばす。
「大人に、なったね」
「……当たり前ですよ、10年掛かったんですよ。今の私はあの時の上野さんと同い年です」
「10年か――大変な思いをさせてしまってごめん。でも、俺を助けてくれてありがとう。10年間、幸せな夢を見たよ。高校生に戻って、同級生の君と一緒に学校に通って、大学生をやり直して、それで」
上野さんはそれ以上言葉を続けられなかった。――ママのチョップが脳天を直撃したので。何やってるのママー! また上野さんが死んだらどうするのー!
「か、果穂さんっ!」
「颯姫ちゃんは恨み言を言えないタイプだから、私が代わりに言ってあげるわ! ほんっとうに大変だったんだからね!? 私が初めてダンジョンで出会ったときは、思い詰めた顔でひとりで戦ってて!」
あ、そうか、ママは颯姫さんがダンジョンに潜り始めたばかりの頃を知ってるから。だから余計怒るんだ。颯姫さんを危ない目に遭わせた張本人が上野さんだから。
「なーにが『幸せな夢を見た』よっ! あなたはこの子の10年間を埋め合わせできるの!?」
「……まるで自分が10年一緒に戦ったみたいな言い方してるけど、半分以上は俺たちと一緒に戦ってますからね?」
ママが激昂してるので、逆に冷静になったらしいライトさんがぽつりとツッコむ。
「ライトさんもタイムさんも、何かこの人に言ってやりなさいよ! 人生変わっちゃったでしょ!?」
「まあ、入ったばかりの会社やめて冒険者になったし、変わりましたけど」
「でも僕たちは少なくとも、藤さんの口車には乗ったけど自分の意思で冒険者になったから」
「私も……普通に大学出て就職したんじゃあり得ないくらいの貯金ができたから、まあその辺は」
ああ、もしかしたら、心構えが本当に必要なのはママだったのかも……颯姫さんとじっくり話し合ってればよかったのかなあ。
「ママ、あんまり熱くなりすぎないで、颯姫さんのことなんだし」
「ユズ! あんたそう言うけど、自分の娘が青春時代の10年をこの人を助けることに掛けてたと思ったら冷静でいられる? 私は無理!」
「颯姫さんはママの娘じゃないし、颯姫さんが決めたことです!」
「……だから、赤城さんは私に『他のこともしなさい、楽しいと思えることをしなさい』って言ったんだと思います。この10年を、無駄だったと決して思わせないために」
コブダイの喧嘩をし始めた私とママの間に、颯姫さんの冷静な声が割って入った。
はっとして彼女に目を向けると、颯姫さんは座り込んだままで自分の頬に伸ばされた上野さんの手を取って、ぽろりと涙をこぼした。
白い花の髪飾りを付けて静かに涙を流す颯姫さんは、絵画のようにあまりにも綺麗で。私は思わず息を飲んで言葉を失う。
「よかった――よかったです。上野さんが生き返って。痛いところとか苦しいところとかないですか?」
颯姫さんの言葉で上野さんは自分の体を確認し始めて、飛び散ってる血の跡に「ひえっ」って悲鳴を漏らしたけど、体の方は本当に何事もないみたいだった。
「俺がマナ溜まりに入った時は凄く苦しかったけど、今はなんともないよ。10年の埋め合わせ――それは、完全にできるわけじゃないけど、できる限りはしたいと思う。颯姫さんがこうして俺を助けてくれなかったら、そのまま死んでたんだから。
だから、俺と結婚してくだ」
「お断りします」
うーわー! まさかのプロポーズキター! と思った瞬間、颯姫さんの無情な声がさっくりとそれを粉砕した。
まるで、上野さんにプロポーズされることを予想してたかのような、食い気味ノータイムの返事! いや、もしかしたらその可能性もちゃんと考えてたのかも!?
その場の全員が、唖然と颯姫さんを――あるいは上野さんを見つめていた。