第333話 上野の思惑
「私は横須賀ダンジョンでマナ溜まりに落ちて前世の記憶が蘇ったけど、それまでは自分に何が起きてるかわからなくて怖いって思うこともありました」
そう、江ノ島ダンジョンで倒れたり、海を怖いと急に感じたり、それまで起きたことのないことがいろいろ起きて不安だった。まあ、彩花ちゃんが思わせぶりだったりしたから、何か理由があるんだろうとは思ってたけどね。
「ゆ~かちゃんの前世……弟橘媛は、何歳くらいで亡くなったの?」
「うーん、今の颯姫さんと同じくらいじゃないかな。現代の年齢的に30歳までは生きてませんね」
あっ、あやふやな言い方をしたから変な顔をされた。昔と今って一年の捉え方が違うんだよね。
「現代と年齢の数え方が違うんですよ、数えとか満年齢ともまた違って。結婚出産も早かったしなー」
「結婚出産」
あ、蓮がガタッと立ち上がった。私と颯姫さんが話しているので邪魔にならないようにと思ったのか少し離れたところにいたんだけど、丸聞こえだったよね。
「ボクと結婚してボクのこどもを産んでるからね!」
ここぞとばかりに彩花ちゃんがマウント取りに行くしなあ! 言ってることは事実だけど、それが現世での私のメンタルに影響与えてるかというと、そんなことはない気がする。
「マナ溜まりの中では生々しい記憶を見たけど、弟橘媛としての記憶はいつでも読める本みたいな感じで私の中にあるから、別に今出産のリアルな記憶があるわけじゃないからね!? そもそも人間って、痛いことは忘れるようにできてるんだよ!」
強めに言っておいたら、蓮はまだ動揺を抑えきれない様子ながらも座った。うっかりしてたなー。高校1年なのに、彼女に出産の記憶があるとかショックだよね。
「今のボクらくらいの年齢で結婚してましたよ」
そして彩花ちゃんはまたドヤるよ。話がややこしくなるから少し黙ってて欲しい。
「……そうだね、古代だもんね。そりゃ結婚も出産も早いか。その、ね、私の気持ちというより上野さん側のことなんだけど、あの人も今の私と同じ年齢で死を覚悟してたんだよね。ゆ~かちゃんは……というか弟橘媛は、そのくらいの年齢で死んで辛くなかったのかなって」
颯姫さんは考え込みながら、つっかえつっかえ言葉を紡ぐ。ああ、そういうことか。颯姫さんと似たような立場としての意見じゃなくて、そのくらいの年齢で死んでしまった人としての意見ね。
「辛かったですし、死にたくなかったですよ。故郷にこどもをおいてきてたし、好きな人たちと別れたくなかった。……でも、あの場では私が死ぬのが一番犠牲少なかったんです。それをうまいこと避けて生きる道があったら――いやー、選べなかったかな。それってつまり小碓王自身が犠牲になることだったり、たくさんの兵が犠牲になることだったりしただろうし」
自分で言いながら、私はひとつわかったことがある。
私と上野さんは、多分理解し合えない。私は自分が生きる可能性を他人に託すことはできなくて、上野さんはそれを颯姫さんに――悪い言い方すると押しつけた。
「あ、なんかムカムカしてきた。上野さんって颯姫さんに甘えすぎでは? 自分の生き死にくらい自分で決めろよって当時の私ならビンタですね」
「ビンタは……やめてあげて。でも、そうだね。自分の生き死にを私に預けたって、やっぱりとんでもないことだわ」
颯姫さんはすっきりしない表情のまま考え込んでしまった。
「ゆ~かちゃんは、人に頼るのあんまり好きじゃないよね」
「え?」
突然言われた言葉に、思わず聞き返してしまった。人に頼るのが好きじゃない、か……。
「そうですねー、なんか人に迷惑掛けるの好きじゃないし、できることなら自分の力で解決したいかな。でもヤマトのことではいろんな人に助けてもらいましたけど」
今回の件以外でも、ダン配始めた頃からいろいろ助けられてると思う。ありがたく思いつつも、「すみません」と思う私がいるのも間違いないんだよね。
「ゆずっちは、基本強いんですよ。強くて余裕があるから人を助けようとするし、自己犠牲型だから『あれが一番犠牲少なかった』とか言うけど、残された人の気持ちは考えてないよね」
恨み節の彩花ちゃんが割り込んできた……。そもそも走水入水事件の発端はあんたでしょうが!
「いや、だって! じゃあ小碓王が死んだら一番大変じゃん!? 同行してた兵だって、故郷に待ってる家族がいるんだしさ。私が自力で選べたのは『私に選べる範囲内での最小限の犠牲』でしかないんだよ」
「そっか、やっぱり彩花ちゃんが言うように、ゆ~かちゃんは残される人の気持ちの方は考えてなかったっぽいね」
彩花ちゃんばかりか颯姫さんにも言われて、私はぐっと言葉を詰まらせた。
残された人の気持ち、かあ。
気持ちも何も、命あってのものじゃないかな。だから私は――。
「私は、自分の意思で『自分以外に犠牲を出さない』のを選んだんです。だから、上野さんとは相容れないなって思う」
「上野さんは」
颯姫さんが物凄く考え込んでいる。一言だけ言ってしばらく黙っていたけど、急に颯姫さんの表情が引き締まった。これ、作戦会議とかの時に見る顔だ。
「あの人も、人に頼れる人かっていうとそんなことはないと思うの。だって自称天才プログラマーなのに、過労で体を壊すほど仕事しちゃったんだよね。それって人に頼れない証拠だと思う。オーバーワークなら上司に相談するとかそういう方法もあったんじゃないかと思うし。それに」
はっと顔を上げた颯姫さんは、さっきまでのぼんやりした感じが抜けていた。目の中に強い光が戻っていて、何かを割り切ったように見える。
「もしマナ溜まりで自分が生き残る可能性を調べたとしたら、少なくともその調査対象は私だけじゃなかったはず。上野さんの身近にいる人を片っ端から調べて、私だけがあの人の死亡フラグを折れる可能性があった――そういうことだと思う」