第332話 颯姫の当惑
属性スライムの大軍との戦闘の後、颯姫さんは精彩を欠いていた。
ちょっとどころじゃなくぼーっとしてて、包丁で手を切っちゃうし、圧力鍋は圧力かけ忘れるし……。
「今日の肉じゃが、しょっぱいね」
「えっ?」
タイムさんの指摘で肉じゃがを食べた颯姫さんは、がくりとうなだれた。
「砂糖と塩間違えた……私、肉じゃがにお塩は普通入れないもん。これ明らかに塩味だ」
颯姫さんでもそんな凡ミスするんだなーと思ってたら、ママとライトさんとタイムさんが凄い顔になってる。
「姫が、砂糖と塩を……?」
「今までそんな間違い一度もしたことないのに!?」
「嘘、ここの砂糖と塩って、容器の色から違ったわよね?」
容器の色違うんだ! それは確かに間違えにくいし驚きの間違いだわ。
「無理に食べないで」
「作ってもらったもんを出されたら、俺は食べるよー。……うん、ご飯が進む!」
自分の小鉢に肉じゃがを取り分けたバス屋さんは、はちみつと醤油を足してご飯の上に掛けて食べてる。それでも食べるところが偉いなあ! 血圧心配になるけど!
「バス屋くんって時々偉いわよね」
「ボク的にも今のは好感度が爆上がりした。マイナス5000だったのがマイナス100になるくらいだけど」
「彩花も手料理作ってくれていいんだぜ? ライトさんの料理もタイムさんの料理も完食した俺に怖いものはない」
ママが感心し、彩花ちゃんは好感度……でも爆上がりしてもマイナスなんだね。言動がアレだから仕方ないかな。
そして、最後の一言でライトさんとタイムさんはあらぬ方向に目を逸らし、彩花ちゃんの上がった好感度は多分下がった。
「なんでこの人は余計な一言を言うんだろう」
思わず呟いた私に、蓮と聖弥くんがうんうんと頷いてる。そして彩花ちゃんは目を三角にして怒ってた。当然だよね、料理壊滅的と言われたライトさんとタイムさんと同様の扱いをされたんだもん。
でもバス屋さんは知らないからぽろっとこぼしたんだろうけど、彩花ちゃんの料理も相当酷いんだよなー。
「バス屋は、サバイバルする人間に有利な進化をしてる」
「味覚が緩いって、ある意味人間の美点になるよね」
ライトさんとタイムさんもフォローになってるのかなってないのかわからない事を言うなあ。
そんな中、颯姫さんは肉じゃがを盛った鉢を下げようとしている。
「気持ちは嬉しいけど、バス屋も本当に無理に食べないで。明日じゃがいも足してコロッケにするから」
「姫……明日はもう帰るんだよ? 本当に大丈夫か?」
「あーーーーーーーー、ダメですーーーー」
明日の夕飯はもうここでは食べないんだよね。ライトさんが心配そうに尋ねると、颯姫さんは鉢から手を離して顔を覆った。
颯姫さん……。
やっぱり、100層が急に近付いてきたから情緒が追いつかないのかなあ。
メインのおかずだった肉じゃがは「うちでコロッケにしてくる」と颯姫さんが無理矢理下げてしまったので、ママが手早く肉野菜炒めを作ってくれた。
それを食べてる間も、颯姫さんは落ち込み気味だ。
「颯姫さん、昨日のミルクティー飲みたいです。また淹れてもらっていいですか? 昨日の美味しかったから」
夕食後にそうお願いすると、颯姫さんは少しホッとしたような顔でお茶を淹れに行ってくれた。その間に私は広がったリビングの端にライトニング・グロウの残りの3人を連れていく。
「あんな颯姫さん、多分初めてですよね?」
「頭が切れて冷静なときが多いけど、たまに大ポカするのが姫なんだよな。でもここまで気もそぞろになってたことはない」
「でも料理で失敗したのは本当に初めて見た」
なるほど、たまに大ポカをすると。付き合いが長いライトさんとタイムさんでも、これ程までぼーっとしてる颯姫さんは見たことないんだね。
「明日、もし行けそうでも100層行くのはやめましょう。颯姫さんには心の準備が必要です。99層まで行ったら、LV確認のために外に出ましょう」
「LV確認は絶対必要だと俺も思うよー、単純に人数倍になってるし。アネーゴもそれなら納得すると思う」
うん、バス屋さんも同意してくれたし、ライトさんとタイムさんも頷いてくれた。
すぐに戻って、ママにも明日は進んでも99層止まりにしようと持ちかける。ママも颯姫さんに目をやりながら小さく頷いた。
「正直、心配よ。何が起きるかわからないから」
「そうだね……ぶっちゃけ、上野さんが生きてるって保証もよく考えるとないんだよね」
それは赤城さんがそう言った、という理由しかないんだ。そして赤城さんは上野さんの上司だから、本人もプログラムはできるんだよ。
あー、嫌なこと考えちゃった。これが全部赤城さんの起こしたことだったら? なんて思っちゃった。ママも似たようなことを思ったのか、顔をしかめてるけど。
唯一の縋れる希望は、颯姫さんがリザレクションを習得することで赤城さんにメリットは特にないってことかな。
ミルクティーを颯姫さんが持って来てくれたので、私はお礼を言って受け取って、そのまま彼女の手を取った。
「颯姫さん、今ライトさんたちとも話したんですが、明日は進んでも99層まででやめましょう」
「えっ?」
聖弥くんと似た少し色の薄い目を、颯姫さんは見開いて驚いている。ライトさんやタイムさんから言ってもらってもいいかと思ったんだけど、もしかすると私が言う方が説得力あるかもしれないから。
「100層で何が起きるかわからないけど、何が起きるにしてもそれと向き合うのが怖いんですよね。今の颯姫さんには、それを覚悟する時間が必要じゃないかと思うんです」
「ゆ~かちゃん……」
珍しく心細そうな颯姫さんの声。それは私の言ったことが間違ってないと確信するには十分なものだった。