第329話 UNKNOWN・2
急にぞっとした。背中を冷たい汗が伝う感じがする。
目の前の《《これ》》がなんだかわからないこともなんだけど、攻撃は跳ね返すし魔法は吸収か無効――なのに微動だにしなくて、何をしてくるのか、何もしないのか、得体の知れない怖さがある。
インフィニティバリアがあればもちろん安全だとわかってはいるんだけど、そういう「得体の知れないものに対する恐怖」が私の足首を掴んでいた。
「一旦撤退、部屋に戻って考えよう。インフィニティバリアを使い続けるのも無理がある」
「そうだね、そうしたほうがいい」
ライトさんとタイムさんの意見が一致したので、私たちはまた急ぎ足で84層との間の階段まで戻り、居住区域へと入った。
リビングで思い思いの場所に座りつつ、全員が考え込んでしまっている。考え込んでいる私たちを見て、ヤマトも首を傾げている。可愛い。
「魔法は吸収か無効、物理攻撃は反射……というか反発。正体がわからないのも問題だけど、対処法が思いつかないのも問題だわ」
一番のベテラン冒険者のママも難しい顔で腕を組んでいた。ライトニング・グロウもママも知らないモンスターって、どうしたらいいんだろうな。
「ここまでに結構魔法も使ってるし、今日はこれ以上の攻略はやめておこう。それでも予想よりずっとハイペースで進んでるしね」
重くなりかけた空気を払拭するように、タイムさんが明るく言って手を打った。その言葉で、やっと緊張感が少し緩む。
「一気に10層近く行くとは思わなかったわ。本当に、いろいろ予想外。ミルクティー作るけど飲む人ー」
「はーい」
颯姫さんの呼びかけに私と彩花ちゃんとタイムさんが手を上げた。
それから全員が思い思いの飲み物を用意して、作戦会議が始まる。
「あのモンスター……モンスター、だよな?」
口火を切ったライトさんが、不安そうな顔でみんなを見渡した。首を傾げる人に頷く人と、意外に反応はバラバラ。
「99.9%モンスターよ。そもそもダンジョンの中にモンスターがいないフロアがあるって聞いたことないわ。ボスを倒した後の最下層ならともかく」
「ヤマトが唸ってたし、モンスターですよ。モンスターでないとしたら何? 水まんじゅう?」
「水まんじゅう……んふふっ」
ママと私は「モンスターだと思う」派。水まんじゅうという表現がおかしかったのか、颯姫さんがツボにハマったようで笑い始める。
「モンスターだと考えるのが一番当たり前だと思うんですけど、それにしては反撃も何もないのはおかしいなあとも思うんです」
「聞いたことないっていうのは、『だから絶対あり得ない』の理由にはならないんですよね。特にこの新宿ダンジョンは普通のダンジョンと違うし」
モンスターじゃないかもしれない派は聖弥くんとタイムさんか。
「姫と蓮くんと彩花ちゃんはどう思う?」
「ねえ、ライトさん! 何で今俺のこと除外したの!?」
ごくごくナチュラルにバス屋さんを無視して意見を求めたライトさんに、立ち上がってバス屋さんが異議を唱えている。面倒くさいなーという気持ちをありありと表情に出して、ライトさんは「じゃあバス屋は何だと思う?」と話を振った。
「いやー、わかんない!」
それ、胸を張って言うことかなあ? さすがにライトさんもスリッパでバス屋さんの頭をバシーンって叩いてるし。
「おまえは、その行き当たりばったりすぎる行動をやめろ! それで他人の時間を取るのは本当にやめろ! 俺と姫がどんだけ苦労してきたと思ってるんだ……」
「いつもお世話になっております!」
びしっと90度のお辞儀をしたバス屋さんに、颯姫さんが険しい視線を向けた。
「お礼言えばいいってもんじゃないでしょ!? ほんと、ライトさんの言うとおり、あんたの軽率な行動って私とライトさんにしわ寄せが来るんだから」
「んー、それでも俺を見捨てない姫とライトさんのツンデレ具合が好きだよ、俺は!」
「あ、ボクがこいつ黙らせておくから続けてて。意見としては悔しいけどバス屋と同じで『わかんない』かな」
とうとう彩花ちゃんが黙らせに行った……。さすがに手は出さなかったけど、腰に手を当てて威圧する彩花ちゃんに、バス屋さんは正座すると口を×印みたいにして、ちょっと首を傾げている。器用な表情するなあ!
「俺も、モンスターなんだかそうじゃないんだか、さっぱり見当も付かないです」
「私も。でも、モンスターかどうかっていうのはこの際重要じゃない気がする。大事なのは、あれをなんとかしないと階段を降りられないってこと」
蓮も「わかんない」って言うけど、颯姫さんの答えが一番事態の本質を捉えてる。
そう、モンスターであろうとなかろうと、あの魔法も意味なくて攻撃も跳ね返す何かを、私たちはどうにかしなきゃいけないんだよね。
また全員で「うーん」と考えることしばし。
「例えば、例えばよ? 硫酸を掛けてみるとかどう?」
手を上げてママが発言したけど……相変わらず発想が物騒だよ、この人は。
「硫酸って……どこで入手するんですか」
「置いてないところもあるけど、薬局にあるわよ。酸性なら硫酸、アルカリ性なら苛性ソーダ。大概どっちかは効果あるんじゃない?」
ドン引きしてる蓮に、ママは当たり前というようにさらっと答える。劇物かあ……確かに、酸性とアルカリ性両方取りそろえておけばどっちか効くんじゃないかっていうのは正論かも。
普通のスライムだったら酸を飛ばしてくるから、アルカリ性の方が効きそうな気もする。
「ぽよんってしてたから考えにくいけど、ガラスみたいにどっちにもそれなりに強い物質があるから、確実に効くとは言いにくいかな」
「試す価値はありそうだけど、あれって結構大きかったですよね。それに影響及ぼせる量を集めるのが大変そう。劇物を買うときって確か用途も申請しないといけないんですよね?」
「うーん、用途にモンスター退治って書いたら断られるかしら。ばらけて集めるにしても、時間が掛かりすぎるわね……これは、他にどうしようもなかったら試してみましょ」
水まんじゅう(仮)は、幅10メートル高さ3メートルくらいあったもんね。確かに、ママの提案は最終手段かもしれない。
「粉塵爆発とかどう?」
「誰か、確実な起こし方知ってる?」
思いついたー! って感じに彩花ちゃんが言うけど、ライトさんの問いかけにみんな首を横に――って、バス屋さんが挙手してるぅぅぅ!!