第312話 ケンジの顛末
階段から転げ落ちたような姿勢で固まってるケンジを見下ろし、私は困惑していた。私だけじゃなくて蓮も似たような表情でいるね。
彩花ちゃんは「睡眠妨害しやがって」とその顔面を踏みつけている。うーん、野蛮。
「ダンジョンのいろは」
ママがピッと指を1本立てて、説明をし始める。どうでもいいけどこの人は寝起きに寝ぼけるとかそういうことないのかな。娘ながら見たことないけど。
ダンジョンで何度も寝起きを繰り返してると、スパッと覚醒するようになるんだろうか。私も別に寝ぼけるタイプじゃないけどさ。
「最下層や隠し部屋で野営するときは、余程の友好同盟関係にあるパーティー同士じゃないと同じ場所で寝泊まりしないわ。先客がいたら、階段で一晩明かすの。まあ、滅多にそんな被りはないんだけどね」
「つまり、先客がいるのがわかっていながらフロアに降りてくるのは敵対行動とみなす、ってことですね」
こちらも寝起きなのにさらっとママの言葉の裏を理解したらしい聖弥くんが、しゃべりながら階段に近付いていった。下の方で何かを見つけたらしく、何もないように見えるところを指で弾く。すると、さっき聞こえた鈴の音が響いた。
「宝箱が毒矢罠だったでしょ、それを回収しておいたから、ユズの毒付き棒手裏剣を発射するようにいじっておいたのよ。まんまと引っかかったわ、このクズ。おおかた、私たちが安全な場所で眠ってるところを襲おうとでも思ったんでしょ。もしくは、従魔になったヤマトなら連れ出せるからそれを狙ったか」
聖弥くんが見ている辺りをじっくり見たら、よく見ないとわからない程度の不自然な光の反射がある。手を伸ばしたら、何かに引っかかった。
これは……極細テグス……ママがよくビーズアクセとか作るときに使ってる奴だ。
それを階段の最下段に張って、端に鈴を付けて誰かが足を引っかけたら鳴るようにしてあるのか。で、そこから罠を再利用した宝箱に繋がってて、私の棒手裏剣が発射される、と。
……忍者かい。
いや、熟練の冒険者ってこうなんだろうなあ……。ダンジョンエンジニアとか突き詰めたらこの道のプロだよ。ママは手先の器用さでこなしてるっぽいけど。
私たちはLVこそ高いけど、上級ダンジョン最下層なんて来たのは初めてだし、野営も初めてだ。
さすがに私も寝る準備をしたときに太もものベルトごと棒手裏剣は外したから、ママが1本拝借したのなんて全く気づかなかった。
「で、コレ、どうするんです?」
テグスに引っかかって階段から落ち、狙い澄ました罠まで食らって見事に麻痺しているケンジを、汚物でも見るような目で一瞥して蓮がママに尋ねている。
「さすがに『忘れ物取りに来ました』なんて言い訳通じないわよ。こいつの仲間は先に逃げ帰ったんじゃない? 上の階にこのまま放置しましょ。仲間が近くにいるならキュアして連れ帰るだろうし、そうでないなら自業自得の結末ね」
それは……モンスに以下略ってことだよね……。まあ、確かに自業自得なんだけど。
あ、そうか。ママはこれを見越してたから「早く寝ろ」って言ったんだ。睡眠時間が途中でぶった切られる前提で。見越してなかったら罠なんて仕掛けないだろうし。
ママはケンジを担ぎ上げ、テグスの罠をまたいで上の階へと登っていった。そしてすぐに戻ってくる。本当に階段のすぐ側に放置してきたんだろう。
デストードの痺れ毒は、前に調べたところ継続時間は3時間くらいらしい。……でも、それだけあったら十分すぎる。
私が常に毒無効の指輪をしてるのは、自分が持ってる棒手裏剣で毒を食らわないようにって意味合いが大きいんだよね。それだけ、効果が強くて扱いには注意が必要な毒だ。
「毒矢罠のいいところは、仕組みを壊さない限り何度でも再利用できるところよねー」
何事もなかったように戻ってきて、ママはまた宝箱の罠に毒付き棒手裏剣をセットしている。
うーん、こういう用途に私の愛用してる品物を使われるのはモヤるけど、この毒の「取り扱い要注意」を補って余りあるいいところは、「致死性がない」ところなんだよね。
だから、例えば輩パーティーとは無関係の、純粋に最下層を確かめに来た人たちが引っかかっても、キュアすれば済む。
でも、「奥多摩ダンジョン攻略しました。ヤマト確保しました」って報告は関係各所に入れてあるから、ヤマト捜索のためのパーティーが随時情報をチェックしてるならもう引き返してるだろう。
そうでなくても、最下層を覗き込んだときにボスがいないのは一目瞭然――あああああ!?
「ママ、もし無関係のパーティーがここに来て、アグさんを見たらボスと勘違いしたりしない!?」
「キュル?」
騒ぎが起きてたからヤマトもアグさんも近くに来てるけど、アグさんは自分の名前が出たから首を傾げてる。くっ、いちいち仕草が可愛いよ、このドラゴン!
「それは……迂闊にも程があるというか。あり得なくはないけど、そういう間抜けがいないことを祈るのみね」
「普通はマップ検索するじゃん。その時にボス情報も出てくるし、セフィロトがボスって確認できるんだよ。過疎ダンジョンだからレアボス情報は出てないけどさー」
「フレイムドラゴンはレア湧きだから、確かダンジョンボスにはならないんじゃなかったっけ?」
私の懸念を聞いて状況を想像したのだろう。ママが呆れたように天を仰ぐ。そして彩花ちゃんはあくびまじりに「それはない」ことを説明して、聖弥くんがその後を引き継ぐように疑問形だけど言葉を続けた。
「それ、教科書に書いてあった。まだ授業で出てないところだけど」
蓮まであくびをしながら、聖弥くんの言葉に同意する。――まだ授業に出てないところまでちゃんと読んでるのか。何気に偉いな。
「まあ、あくまで『前例がない』であって、100%あり得ないかどうかは確認できてない程度だけどな。でもアグさんに気づいたら、エアマット敷いて寝てる俺らにも気づくだろ」
「なるほど……じゃあ心配いらないか。そしてさっきのケンジはマジで確信犯で真っ黒ってことね」
結局、「この状況でフロアにわざわざ降りてくる方がおかしい」という結論に達して私は安堵した。
アグさんが狙われたりしたら嫌だしね。