08:道すがら小話
会場から外に続く廊下を辺境伯子息さまと共に歩く。弟の軽い足音とは違い、彼の足音は重くて確りとした音である。体格や重ねた年の差で違うものなのだと感心しながら、私のヒールの音も同じ空間で響いているのも随分と不思議だけれど。
「突然で驚いただろう。王太子と妃殿下がいる部屋に君を招いたのは、私の失態だったな。君の立場をきちんと捉えられていなかった。すまない」
辺境伯子息さまと私の婚約話は、昨日のカイアスさまとのやり取りは見ていたそうで、辺境伯さまと王家にはナーシサス伯爵家との縁を結びたいと相談していたそうだ。
長く続いた戦の為に、社交場に立つよりも戦場に立っていた時間の方が長く、貴族女性とどう接して良いものか分からないと苦笑いを浮かべている。私も貴族男性との付き合い方は、教本通りのやり方しか分からない。お互いにその部分は未熟なのだなと、少し安堵してしまった。
「確かに驚きましたが……伯爵令嬢でしかない私に王太子殿下と王太子妃殿下とのお目通りが叶いました」
貴族としてなら喜ぶべきことだろう。本来であれば王太子殿下と妃殿下に名乗りを上げる機会なんて一生来ない身分だったのだから。
「そう言ってくれるなら有難い。軽いヤツで幻滅しなかったか? あんな調子の男だがキレる男だ。一国を背負う胆力と知恵は持っている」
王太子殿下に幻滅なんてしていない。他国の王族の方がどのような方かなんて知り得ないけれど、王太子殿下と妃殿下の纏う空気は私が知っている貴族の中でも異質なもの。
なんと表現すれば良いだろうか。足先から指先までの動かし方、表情の作り方、喋り方、それぞれが洗練されたものだった。非公式な場だと仰っていたけれど、彼らの中にある気品は損なわれておらず、私の方が異物だったというか……。
「幻滅なんて。私の為に気を配って頂いておりました。逆に申し訳ないくらいです」
私の言葉に一瞬驚いた表情を見せた辺境伯子息さまは、次には柔らかい顔になっていた。どうしてそんな顔になるのか分からないけれど、聞きたいことがあるので他の人の邪魔にならない場所で立ち止まる。
「ひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「構わんよ」
彼と確り目を見合わせて、口を開いた。
「何故、私との婚約を望まれたのですか?」
彼であれば王族の方でも娶れるというのに。王族の方は政略で幼い頃から婚約者を宛がわれているから、難しい話だったのだろうか。最初はカイアスさまの理不尽を振り払う為だと感じていたのだけれど、場所を移してもう一度話をされるとは全く考えていなかった。
「いつ死ぬか分からない身だったから婚約者を望まなかったが、戦は終わった。だが、私と歳の近い女性は既に婚約しているか婚姻して子を生している者が多い」
昨日のことを知り、辺境伯当主さまや王家に相談した上で私に話を持ち掛けたそうだ。今宵のカイアスさまと私のことがなければ、挨拶だけ済ませて普通に辺境伯家からナーシサス伯爵家へ打診したとのこと。
変わらなかったことは、王太子殿下と妃殿下とのお目通りは果たしていたらしい。女性と話す機会が少なくて、私とまともに言葉を交わせるか自信がなかったそうだ。軍神と謳われ、勇名を馳せる彼が女性に慣れていないなんて信じられない。王都に部隊が帰還した際には大勢の方々に見守られ、黄色い声を最も浴びていた方だというのに。
「それに……いや、なんでもない」
最後は言葉を搔き消したのだが、彼はなにを言いたかったのだろう。私に聞かせられない言葉だったのは確実で、婚約を白紙に戻したからキズモノとは言い難いけれど、私は売れ残りのようなものだ。
それなら、侯爵家出身であるアナベラさまのような方が適任である気もするが、カイアスさまと婚約したのだから打診はできない。探せば高位貴族のご令嬢がいそうなものだが、戦場繋がりで声を掛けられたのだろうか。
「殿下がいらした部屋では返事を濁しましたが、私もナーシサス伯爵家も貴方さまからのお話を断る理由を見受けられません。気が早くて申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします」
断る理由がないのは事実だし、喜ぶべき案件でもある。彼になにか打算があって、私とナーシサス伯爵家を利用したところで得るものはないのだから。私が頭を下げると、彼は慌てた様子で顔を上げて欲しいと私に乞う。顔を上げ視線を合わせると、何故か逸らされた。短い時間だったけれど、辺境伯子息さまは視線を簡単にそらすような方ではないのだが。
意図が掴めず首を傾げていると、背を向けて『行こう』と告げて、馬車停めまで辿り着く。数多くの馬車の中からナーシサス伯爵家の馬車を見つけると、私の姿を認めた弟が姿を現した。どうやら随分と待たせてしまったようで、私の姿を見た弟は心配そうな顔から安堵した顔へと変えながら迎え入れてくれる。
「姉上、おかえりなさい……――あ、貴方は」
私の姿を認めて歩み寄る弟は、辺境伯子息さまを見て驚いた顔になる。私が彼と一緒に歩いているなんて、夢にも思わないだろう。
「初めまして、フェルス・ロータスと申します。若くしてナーシサス伯爵家の当主を務めていると聞き及びました」
弟の姿を認めた辺境伯子息さまは、弟に恭しく頭を下げる。父が早逝して弟が代を継いだナーシサス伯爵家の事情を知っているようだった。挨拶を交わす辺境伯子息さまと弟は、男性同士の気軽さなのか随分と距離を詰めていた。そうしてあれよあれよという間に、婚約の話は纏まって数日後には書面にサインをお互いに施していた。