06:フェルスを応援したい①
辺境伯子息さまから、部屋の中では気楽にして欲しいと願われたけれど無理である。だって、応接用のソファーに座すお二方は、王太子殿下と王太子妃殿下なのだから。
公爵家主催の夜会だから、お二方が参加していてもなんらおかしくはない。おかしくはないのだけれど、なにがどうなって伯爵位、しかも無名にほど近いナーシサス家の私がお目通りを果たしてしまうのだろうか。そりゃ、辺境伯子息さまが連れてきたのだから、彼が最大の理由になるのだけれど、この状況は確実におかしい。一体、彼らの間でどういう話になっているのだろう。
「フェルス、女性に失礼を働いていないだろうね?」
にやりと笑う王太子殿下は辺境伯子息さまを椅子に座したまま見やると、辺境伯子息さまは長い息を吐いた。その間に、王太子妃殿下がソファーから立ち上がり、私の背に回って両肩に手を置き一歩を踏み出す。
その勢いで数歩進むと、ソファーに座るようにと促されたのだが……流石に彼らと同席するのは不味いと思い止まる。私の頭の中を読み取ったのか妃殿下はくすくすと笑って、片手を私の腰に手を回し、もう片方は肩の上に置いたまま私の隣でにこりと笑みを浮かべる。座る気はないようなので、やはり私も座った方が良いのか。稀な状況に目をくるくる回していると、辺境伯子息さまがソファーにゆっくりと腰を下ろした。
「ハインリヒ。場を提供してくれたことには感謝するが、私をからかわないでくれ」
ふふと笑っているハインリヒ王太子殿下に辺境伯子息さまが困り顔を浮かべる。先ほどまでの彼の様子とは打って変わっているので、彼らが気の知れた仲なのだと悟る。
王太子殿下も辺境伯子息さまと同じ二十五歳。殿下が二十歳の時に王太子妃殿下との婚姻を果たし、お子も男児二人に恵まれて王家は安泰だと囁かれていた。歳が同じで王族と高位貴族のご子息なのだから、付き合いがあってもなんらおかしくないし、殿下の遊び相手として辺境伯子息さまが宛てがわれたと言われても納得できる。
「不器用だからなあ、君は。僕が心配してしまう気持も理解して欲しいな。――と、すまない。貴女を放って私たちだけが物知り顔で喋るのは頂けないね。僕もフェルスのことは笑えないな」
殿下がぽりぽりと金糸の髪を片手で掻いて、私に視線を向けて人懐っこい笑みを浮かべた。私の隣に立つ妃殿下はそんな彼を見てくすくすと小さく笑っている。
殿下も妃殿下からも気品溢れる雰囲気が漏れ出ているし、彼らに近しい辺境伯子息さまからも同じ空気が流れてる。なんだろう、この場違い感と頭を抱えたくなるのを堪えて、とにもかくにも名乗らなければと居住まいを正す。
「殿下、妃殿下、ロータス辺境伯子息さま。この場に立つことをお許しください。ナーシサス伯爵家、エレアノーラと申します。以後、お見知りおきを」
慌てて頭を下げる私を咎めることもなく、お三方の視線が私に注ぐ。
「そもそもここは非公式の場だから、そう固くならなくていいよ」
殿下が固くならなくても良いと告げるが、固くならない方が難しいのでは。それを理解しているのか彼らは私の態度を言及しない。王太子殿下も王太子妃殿下も、戦場に視察に赴いた際に遠目でお姿を拝見させて頂いていた。その時の雰囲気とは打って変わって、軽いものになっている。確かに非公式の場なのだけれど……。
「さあ、座りましょう、エレアノーラ」
固くなっている私の顔を覗き込んだ妃殿下が、非公式な場では名前で呼んで欲しいと願いながら、私を先に座らせた。随分とお尻が深く沈むことに驚いていると、私の隣に妃殿下も座す。正面には王太子殿下と辺境伯子息さま。
「なあフェルス、名前呼びを許可していないのかい?」
殿下が辺境伯子息さまに呆れた視線を送っていた。お互いに名乗ったものの、そこまでの余裕がなく確認を取らないままこの部屋までやってきていた。
「とにもかくにも婚約の話をしなければ、と。…………他の男に捕まっても困る」
辺境伯子息さまが殿下に言葉を告げるけれど、後半部分はかなり声が小さくなって聞き取れなかった。確かに、カイアスさまをあしらってから急に婚約の話になって、名前をどう呼ぶのか相談できておらず、この部屋までやってきたけれど。特に気にすることでもなかったから、殿下に言われて気付いた。
「で、どう伝えたの?」
「…………私と婚約を結ばないか、と。貴族であれば悪い話ではない、と」
辺境伯子息さまが取った行動を聞いた殿下が、両手で頭を掻きむしる。良いのかな、一国の王太子殿下がそんな姿を見せて。非公式な場だと告げていたから、王太子として取り繕う必要はないという明示なのかもしれないが。
「浪漫も雰囲気もないじゃないか! 済まないね、ナーシサス嬢。フェルスは戦場では一騎当千の働きを見せるし、次期辺境伯として十分な能力を持ち得ているのだが、女性に関する話になるとまるで子供なんだ」
ふうと一度息を吐いた王太子殿下に、辺境伯子息さまが余計なことは言わないで欲しいという視線を向けた。
「微笑ましいではないですか、ハインリヒさま。ロータスさまが戦場で活躍する姿は勇ましいものですが、可愛らしい一面を見られるのもこうした場でしかありませんし」
妃殿下が王太子殿下の言葉を補足するように付け足した。辺境伯子息さまは王太子殿下から妃殿下に恨めしい視線を向けている。戦場で馬を操り、敵陣を突っ切って活躍している姿を見ていた時とは大違いだった。軍神と呼ばれ戦場では英雄扱いだった彼の人間臭い一面を見られたことに、嬉しさを覚える。だって……人を殺めてしまうことに慣れてしまい、人としての心を捨ててしまった方を見ている。
軍服を身に纏った敵兵ならば、容赦なく命を奪わなければならない。私も戦場に立っていたのだから、敵を殺めたことがある。一番最初に手に掛けた人のことはよく覚えているけれど、二人目、三人目となると、はっきりと顔は思い出せない。心が壊れなかったのは、隣に立つ戦友と残してきた家族の存在があったから。
壊れてしまえば、人の心を戦場に置いてきてしまう。遠い存在である辺境伯子息さまが、人として感情を見せてくれることは、同じ軍人――戦争は終わったので私は退役しているけれど――として嬉しいことだった。
「仲が良いのですね」
私の言葉を聞いて、殿下と辺境伯子息さまが満足そうな顔を浮かべる。
「ああ。幼い頃から共に過ごしてきたから、臣下というより兄弟のような感覚だ」
「ほら、話が逸れているよ。僕たちは見届け人として同席させて貰う。フェルスの話を受け入れるかどうかは君の気持ちとナーシサス伯爵家次第だ」
殿下は、辺境伯子息さまから受けた話を断れるように道を作ってくれているようだ。私個人であれば、辺境伯子息さまからの話を断れるはずはない。
家同士での話で婚約を受け入れられないならば、どうにか逃げ道を作ることができるし、非公式な場とはいえ王族の方が同席している。王族の方の出席は彼からの話を断るなという圧なのか、辺境伯子息さまが無茶をしない為の予防線なのか、どちらか分からないけれど。
「改めて。――エレアノーラ・ナーシサス嬢。私、フェルス・ロータスとの婚約を受け入れてくれないだろうか?」
ナーシサス家には使者を後ほど送ると告げる辺境伯子息さまに、どうしたものかと頭を悩ますのだった。