05:婚約打診
――私と婚約を結ぶ気はないか?
ロータス辺境伯子息さまが、私を見ながら唐突に婚約の打診をされた。いきなりの話で頭が動いていないけれど、なけなしの感情で考える。貴族としてなら彼の仰る通り悪くない話である。
二十年戦争終結に導いた功労者本人からの願い出を、無下にできる家などそうないし、一介の伯爵位でしかないナーシサス家が……なにより伯爵家令嬢でしかない私が、辺境伯家の方の申し出を今この場で判断する権利など持っていない。
「貴女の返事を聞かせてくれないか?」
ロータス辺境伯子息さまが私にぐっと顔を寄せて笑みを浮かべた。軍神と謳われている方なんて信じられないくらいに、物腰も纏う雰囲気も柔らかいものだった。
返事をしてしまっても良いだろうか。ロータス辺境伯家と繋がりができれば、ナーシサス伯爵家の知名度は飛躍的に上がる。彼の優しさを利用しているようで申し訳ない気持ちが湧いてくるが、この場を凌ぐための方便かもしれないのだ。私のような地味な女に、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼が婚約の話を持ってくるなんてあり得ない。この場を凌げばロータス辺境伯子息さまとは一生話すこともないのだろう。
「なっ、何故いきなりそのような話になる! エレアノーラは俺から婚約白紙を受けた愚図なんだぞ!」
頭の中で考え事をしながら返事をするかどうか迷っていると、カイアスさまに先を越されてしまった。
「貴殿には関係なかろう。先ほどから伝えているが、女性にそのような言葉を向けるべきではない」
私から視線を逸らした辺境伯子息さまがカイアスさまと小さな火花を散らす。その火花をかき消す人が割って入った。
「フェルスさま、そのような黒髪黒目の女より、わたくしの方が魅力的ではありませんこと?」
アナベラさまがカイアスさまに絡ませていた腕を解いて、ロータス辺境伯子息さまの腕を取る。いきなりの行動と娼婦のような行動を取るアナベラさまを見て、ロータス辺境伯子息さまとカイアスさまと私は驚いた。貴族の女性として奔放すぎる問題行動だった。
「悪いが興味はないし、名前呼びを貴女に許した覚えもない。――この場では話が進まないな。場所を変えよう」
私の背を押して、いきなり歩き始めたロータス辺境伯子息さま。いきなりのことでカイアスさまとアナベラさまは彼の行動を止められず、遅れて『待て!』『ああ、お待ちくださいませ!』と声を上げているけれど、既に随分と距離があり私たちを止めることはできなかった。
「あ、あのっ!」
身長差があるためか足の歩幅が合わず、彼はゆっくりと歩いているつもりなのだろうが、私は彼の歩く速度に付いていけなかった。
「ん、どうした?」
「少し歩く速度を落として頂けると……」
軍靴であれば合わせられたけれど、今はヒールの高い靴を履いている。ドレスのひらひらした裾にも気を払わなければいけないし、夜会の場は戦場とは大違いだった。
「すまない。どうやら私の気配りが足りなかったようだ」
背に当てられていた彼の手が離れて、お互いに顔を突き合わせる。人気の少ない廊下で、男性と地味な女が特になにかをする訳でもなく立ち止まっている光景は、周りの人から見れば妙な姿なのだろう。実際に、私たちを見て顔を向け、ロータス辺境伯子息さまだと分かると視線を直ぐに外しているし。
「いえ、助けて頂き感謝致します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。伯爵位を持つ家に生まれましたエレアノーラ・ナーシサスと申します」
有力貴族家のご令嬢であれば名を知っていてもおかしくはないが、我がナーシサス家は伯爵位を賜っているものの、知名度となれば低くなってしまう。
新興貴族の男爵家や成り上がりの子爵家の方が、社交界では有名だ。長く家系が続いているだけのナーシサス家が話題に上る機会は少ない。それこそ父が戦場で命を散らした時くらいだったのだから。カイアスさまと私の婚約白紙になった件も話題になるかもしれないが、まだ少し先の話か、今、貴族の皆さまの間で話題に上がり面白おかしく広がっている最中なのかも。
「それはお互いさまだろう。勝手に話に割って入って済まなかった。フェルス・ロータスだ」
互いに小さく頭を下げ合うと、彼の長い銀糸の髪がはらはらと肩から滑り落ちた。灰銀色の瞳には黒髪黒目の私の姿を確りと捉えて離さない。
爵位を告げなかったのは、家は関係なく個人として気持ちを伝えたかったのだろうか。甘く笑う彼の綺麗な顔に耐えられなくなり、ついと視線を逸らしてしまった。失礼に当たるなと頭に過ぎり、もう一度視線を戻すと辺境伯子息さまは片眉を上げて破顔した。
「そう緊張しないでくれ。君がその様子だと私にも緊張が移ってしまう。同じ戦場に立ったのだから、そう身構えることはあるまい」
にっと笑う辺境伯子息さま。どうやら戦場で私のことを知っていたようだけれど、あの場所で私たちが交わることはなかった。それに。
「軍神と謳われる方と私では格が違い過ぎます」
「謙遜は美徳だが、自分を卑下するのは感心しないな。――まあ、いい、話がしたい。行こう」
言い終えると辺境伯子息さまが私に手を差し出してくる。その手を取るかどうか迷ってしばし。婚約話を持ち掛けてくるというのなら、彼に婚約者はいないのだろう。
一夫一婦が基本の国ではあるが、王族と貴族となれば少し例外が生じる場合もある。王族の方々は男児を確保する為に正妃さまと側妃さまを娶るし、貴族の男性も財力があるのならば愛人を囲う。女性も若い燕を侍らすこともあるし、本当に自由というか、なんというか。取り敢えず彼の手を取ると、ほっとした様子を見せ二人で廊下を進む。
「この部屋だ。少々、驚いてしまうかもしれないが、気楽にしてくれ」
辺境伯子息さまがなんとも言えない顔で私に告げた。扉の前には警備の近衛兵が立ち番をしており、一体どういう事だろうと首を傾げる。そうして取次を終えて扉が開かれて中へと一緒に入ると、そこにはあり得ない方の姿が。
「…………!」
言葉を紡げない私を見て、辺境伯子息さまは苦笑いを浮かべ、部屋の中に座していた方々はおいでおいでと私たちに手招きするのだった。