04:フェルス・ロータス
――フェルス・ロータス辺境伯子息さま。
今回の二十年戦争を終結に導いた功労者。銀糸の長い髪をひとつに纏め、鍛え上げた身を包む詰襟の軍服には数々の勲章を下げていた。彼は戦場では軍神と称えられ、味方の戦意高揚に一役買っていた。青鹿毛の軍馬に乗り剣と魔法を器用に扱う彼を遠目に捉え、まるで一枚の絵画の様だと見ていたこともある。
カイアスさまより頭半分ほど背が高く、体も随分と鍛えているようでがっしりとしたお方だった。戦場で関わったことはなく、縁もなにもない人間を庇うために話に割って入ってくださるとは。どうして王国の英雄と呼ばれている方が私の隣に立つのか理解が及ばないが、まずは彼に頭を下げるべきだと礼の姿勢を執ると、ロータス次期辺境伯さまに手で制されるのだった。
「……ロータス辺境伯子息でありましょうか。戦場以外でお会いするのは初めてですね。ハイドラジア侯爵家嫡子、カイアスと申します」
カイアスさまとロータス辺境伯子息さまが相対し、カイアスさまはいつもの態度を潜ませて恭しく挨拶をする。
戦乱の世だった王国では辺境伯家の地位は随分と高くなる。ロータス辺境伯子息さまは戦争終結に導いた功労者で、侯爵家の方でも無下にはできないお方だった。お二人とも軍人だから鍛えているのは知っている。カイアスさまも十分筋肉質なのだけれど、ロータス辺境伯子息さまは軍神と称えられている名の通り筋肉を確りと纏ってるし、立ち姿も随分と綺麗である。
「ロータス辺境伯家が長子、フェルスだ。話に割って入って申し訳ないのだが、見ていられなかったので少し邪魔をさせて頂いた」
私たちのやり取りがみっともないから割って入って下さったのか、興味本位なのか。ただ無視を決め込めば良いことに首を突っ込んでいるのは確実だから、お節介なのか優しいのか、何かしらの目的があるのか、よく分からなかった。ロータス辺境伯子息さまは声も顔も感情をあまり灯さないまま言葉を紡ぐ。戦場で聞いた、彼の勇ましく荒々しい勝鬨の声とは全く別物だった。
「確かに貴方には関係のないことでしょう」
カイアスさまがロータス辺境伯子息さまをあしらうように、アナベラさまを侍らせている逆の腕を振る。さきほどからアナベラさまが一切言葉を口にせず、どうしたのだろうと視線を向けると私の隣に立つ彼を見上げていた。顔が紅潮しているので、ロータス辺境伯子息さまはアナベラさまの好みのお顔立ちのようだ。
カイアスさまも美丈夫だけれど、ロータス辺境伯子息さまは年上ということもある所為か、美しさの中に男性らしい色気がある。
そんな方だから婚約者さまはいらっしゃるだろうし、羨ましい限りだと目を細めながら、婚約を白紙に戻された己の惨めさも痛感してしまった。カイアスさまの態度を見たロータス辺境伯子息さまは、軽く息を吐いて言葉を紡ぐ。
「君の言う通り私は関係ないが、君も彼女とは関係がないだろう?」
どうやらロータス辺境伯子息さまはカイアスさまと私の婚約を白紙に戻したことを知っているようだ。ロータス辺境伯家とナーシサス伯爵家との縁はないし、ハイドラジア侯爵家との繋がりも薄いはず。
カイアスさまの年齢は私より一つ上の二十二歳。ロータス辺境伯子息さまは二十五歳と聞き及んでいる。家格の近い家で年齢がさほど変わらないならば、付き合いがあってもおかしくはないのだけれど、話を聞いている限りカイアスさまとロータス辺境伯子息さまとの繋がりはなさそうだった。
「エレアノーラは俺の元婚約者です。貴方に俺たちの関係を咎められるいわれはない」
カイアスさまが軽く鼻を鳴らして言い切った。できることなら、もう関係のない間柄である方がお互いの為ではないだろうか。
この場ははっきりと私の意思を伝えた方が今後の為になるし、下を向いたままではナーシサス伯爵家に連なる者として父と家族に顔向けできないと胸を張る。
「だがな……――」
ロータス辺境伯子息さまの言葉を遮るのは不敬に値するかもしれないが、カイアスさまにきちんと伝えなければならないことだ。
「――お話の途中に割って入って申し訳ありません。カイアスさま。私たちは婚約を白紙に戻したことで、もう関係はございません。お互いに新たな道を模索すべきかと」
そうだ。もう関係は終わってしまったのだ。王都の街中で暮らす平民であれば、婚約を白紙に戻した後でも友人関係でいられたのかもしれない。でも私たちは貴族だ。
良好な関係を築けるのが一番良い方法だけれど、カイアスさまと私では無理だった。戦地に赴く前の彼はこんなに傲慢ではなかったのに、長く続いた戦が彼を変えてしまったらしい。
「エレアノーラ、貴様……お前のような女は黙って男に従っていれば良い!」
ぎりと歯噛みしたカイアスさまが大きな声で叫んだ。会場に集まっていた方々から注目を浴びてしまっている。
このままではロータス辺境伯子息さまにも、カイアスさまにも、アナベラさまにも、私にも悪い噂を流され良くない状態となってしまう。半歩前に出てカイアスさまを止めようとすると、ロータス辺境伯子息さまの腕に遮られ彼は私に視線を向けた。
「見ていられんな。――唐突で申し訳ないが、ナーシサス嬢。私と婚約を結ぶ気はないか? お互いに面識はないが、貴族なら悪い話ではあるまい」
どうして話が婚約に繋がってしまうのか、訳が分からなかった。頭の許容量を超えた話題に目を見開いてしまう。軍神と謳われる方から、まさか婚約の打診なんて頂くとは全く考えていなかった。
「え?」
呆けた声が私の口から漏れ、カイアスさまとアナベラさまも急展開に付いてこられず。言葉の大魔法を放ったロータス辺境伯子息さまだけが、柔らかい笑みを浮かべながらも私の瞳を確りと射抜いている。
「はあ!?」
「どうして……」
意味が分からないと言いたげなカイアスさまとアナベラさまを他所に、大きなうねりの中へと放り込まれた気がしたのだった。