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39:幸せな日々を③

 フェルスさまと婚姻を果たして、四年の月日が経っている。


 お義父さまから譲り受けた子爵領の屋敷にも随分と慣れ領地運営も順調だ。第一子が誕生しすくすくと育っていると、領都の方々に発表すれば凄く喜んでくれていた。

 フェルスさまとの関係も婚約を果たした頃のような胸の高鳴りは少なくなってきているけれど、深いところで繋がっていると思うことが多くなった。彼は私の好みを凄く把握してくれている。逆に私もフェルスさまの好みを詳しく知っている。好みを知っているということは、嫌いな物や苦手な物もお互いに知っているということ。

 

 貴族だから仮初の家庭を築く人も多いなか、私たちは幸運にも愛に満ちた日々を送っていた。本当に恵まれているなあと、庭の東屋で手に持っていたティーカップをソーサーの上に戻せば、側仕えのリアが後ろから私を覗き込んでいる。


 「奥さま、お茶を淹れなおしましょうか?」


 彼女が私のことを奥さまと呼んでいることにも随分と慣れ、照れ臭さはどこかに消え去っている。


 「ううん、大丈夫。ありがとう、リア」


 彼女に視線を向けて笑っていれば、三歳を迎えた息子が私の下へと駆け寄ってきた。くりくりに見開かれた灰銀色の瞳を私に向けて、薔薇の花が植えられている方を指差している。

 息子が生まれてから三年という日々は、子育てが初めての私にとって大変なことばかりだった。でも、実家の母やお義母さま、そして屋敷のみんなの協力を得て、息子は元気にすくすくと育っている。

 フェルスさまも息子の成長を見守ることが楽しいようで、よく遊び相手を務めてくれている。少し前は一緒に遠乗りを果たしたのだけれど、歩いていた息子が馬のボロの上で転んでしまったことは笑い話になっていた。三人で屋敷に戻った時は大騒ぎになっていたけれど、当事者である息子は右往左往している屋敷の人たちを見るのが面白かったようでケラケラと笑っていた。

 

 子育ては予期せぬことが起こるけれど、新たな発見や息子の方から教えられることもある。今も、息子はなにか新しい物でも見つけたのか、私を見上げながらワクワクした表情を見せている。

 

 「ははうえ! おはなの葉のうえになにかいます! ははうえ、リア! ぼくといっしょに見にいきましょう!」


 一足に告げた息子が私の右手を手に取り椅子から立ち上がらせようとしているのだが、私が立ち上がるまで走り出すことはない。早く目的の場所へと行きたいだろうに、三歳にして感情を制御できているのはフェルスさまのお陰だろうか。リアは私と息子を見ながら『坊ちゃまは相変わらず、奥さまが大好きですね』と言いたげな顔になっていた。私は息子と手を繋ぎ腰を屈める。

 

 「なにがいるのかしら?」


 「いってからのおたのしみです!」


 視線が合えば息子は目を細めながら、目的の場所をもう一度指を差してゆっくりと歩き始めた。リアも息子の要望に応えて一緒に歩いてきてくれている。ゆっくりと歩きながら息子は前を見て、後ろを見てを繰り返しながら、薔薇が植えられている場所に立ち『あれ?』と首を傾げた。

 

 「どうしたの?」


 息子の後ろから声を掛ければ、ゆっくりと振り返り私を見上げた。


 「どこにいるのか、わからなくなりました……ごめんなさい」


 「謝らなくても」


 しょぼんと息子が地面に顔を向け、凄く残念そうにしている。私は手を伸ばして、息子の頬に触れ親指の腹で撫でた。


 「ははうえとリアに見てもらいたかったのに」


 目を細めた息子は私を見た。彼の目尻には少しだけ涙が溜まっている。そんなに私たちに見せたかったのかと、後ろに控えていたリアに私は一度顔を向け、また息子の方へと戻した。


 「なら、一緒に探しましょうか。遠くへ行ってはいないでしょうし」


 「よいのですか!」


 「もちろん」


 先ほどまでの泣きそうな顔はどこへやら。息子はキラキラと顔を輝かせるなり身体を翻して薔薇の前に立つ。多分、薔薇についていた虫を私たちに見せたかったようだがリアは平気だろうか。心配になって私が彼女の方へ顔を向ければ凄く微妙な顔をしている。女の人の多くは虫は苦手に入るようだから、私はリアに無言で無理をしなくて良いと伝えておいた。

 私は前を向き直り息子の横に並ぶ。膝を曲げて薔薇の葉に視線を向けるものの、庭師の手入れが行き届いているのかなかなか見つからない。弟が幼い頃、ナーシサス邸の庭で大きな幼虫がいたと一緒に探した記憶がふと蘇る。男の子は虫とか生き物に興味を持つことが多い気がする。

 

 フェルスさまの子供の頃はどうだったのだろう。


 寝物語に昔のことを聞かせて頂くのもアリかななんて考えていれば、息子が『どうしました?』と不思議そうな顔で私を見ていた。


 「お父さまも、昔は貴方のように探していたのかしらって」


 「ちちうえが?」


 私の言葉を聞いた息子が考える素振りを見せているけれど、フェルスさまの幼い頃というものが描き辛いようで眉根を寄せている。悩ましそうな息子に私は笑みを向け、薔薇の葉を一枚捲ってみた。

 息子や私が怪我を負えば、屋敷の皆が小さな傷でも大騒ぎするだろうと十分に気を付けておく。息子は私が治療魔法を施せば良い。

 戦争でしか魔法は役に立たないと悲観したこともあるけれど、治療魔法は怪我や病気の人を治すことができる。流石に一人の力では大勢の人を治すことはできないが、手に届く範囲だけでも助けることができるなら。それはそれで良いことだと気付きを得られたのは、領地の教会で治癒院を開くことを許してくれたフェルスさまとロータス辺境伯家の皆さまのお陰である。


 「いました! ははうえ、リア! おおきな虫さんです!」


 息子が元気に声を上げ、指差した先には大きな緑色の幼虫が薔薇の葉の上を這っていた。私が後ろを振り向けばリアが青い顔をして『一緒に見なくてはいけませんか!?』と言いたげに歯を食いしばっていた。私は苦笑いを浮かべて前を向くと、息子がじっとこちらを見ている。どうしたのかと私が首を傾げれば、息子が目をぱちくりさせてから口を開いた。


 「ははうえ、つかまえて、かうのはだめですか?」


 「自然に生きるものだから、止めておきましょう? 誰かに捕まって狭い場所に連れていかれては、貴方も困るでしょう?」


 幼虫を捕まえて成長を観察するのも良い機会ではあるものの、世話を十分にできなければ死んでしまう可能性の方が高いはず。息子の好奇心に答えたい所だけれど、命を手折ることをなるべくしたくない。息子は私の言葉に難しい顔をしながら、なにか考え込んでいる。多分、飼いたいという好奇心と私の言葉を守らなければという狭間で揺れているようだ。

 

 「…………はい」


 暫く悩んで出した結果は、幼虫を捕まえることを諦めたようである。


 「また、明日もここにきてみましょう。遠くへはいかないはずだから、大きくなる姿を一緒に見ましょうか」


 「はい!」


 私が明日もきてみようと誘えば、息子はガラリと表情を変えて笑う。息子が元気に返事をくれたことに私は安堵していれば、後ろから誰かがやってくる気配を感じた。ゆっくりと私が地面から立ち上がれば、リアは丁寧な礼を執っている。そこには執務を終えて庭に出てきたフェルスさまが立っていた。


 「二人とも。しゃがみ込んで、なにを見ているんだ?」


 息子と同じ目の色を持つフェルスさまが微笑んで、首を小さく傾げながら問う。息子はフェルスさまの顔を見た瞬間、凄く嬉しそうな顔を浮かべて彼の下へと走って行く。


 「ちちうえ! ぼくがおおきい虫さんを見つけて、ははうえとリアといっしょに見ていたのです!」


 息子がフェルスさまの服を掴み先程のことを伝えた。フェルスさまは息子と視線を合わせながら『虫は苦手な者もいるから、大丈夫か聞いてから見せなさい』と柔らかい口調で諭した。

 彼の大きな手が息子の頭の手の上に乗れば、お互いに笑みを深めている。フェルスさまに撫でられた息子に対して羨ましいという気持ちが湧いていることに気付く。息子に嫉妬しても仕方ないと頭を振っていれば、フェルスさまと息子がゆっくりとこちらに近づく。


 「エレアノーラ。庭に出るのは構わないが、長居は身体に障る」


 そう告げたフェルスさまがおもむろに上着を脱ぎ私の肩に掛けてくれる。微かに香ってくる彼の匂いに私は目を細めながら、上着が落ちないようにと手で抑えた。


 「ありがとうございます。そろそろ戻りますね」


 「そうして貰えると嬉しい……君だけの身体ではないからな」


 私がフェルスさまにお礼を伝えると、少し心配そうな表情で見つめ返される。私のお腹の中には新たな命が宿っていた。悪阻の時期も過ぎて安定期に入ったところである。私たちのやり取りを見ていた息子が不思議そうな顔をして首を傾げた。そろそろ息子に私が子を儲けたことを伝えようかとフェルスさまと話している。じっと私たちの様子を見つめている息子に『先に戻るね』と伝えれば『はい!』と元気に返事をくれる。

 フェルスさまは息子に『剣術の稽古をしよう』と告げれば『ぼくもちちうえみたいにつよくなりたいです!』と元気に答えていた。家族が増えれば、また騒がしくなるのだろうと私は二人に手を振り、リアとともに屋敷へ戻るのだった。


 ――ありきたりな毎日が続きますように。どうか平和でありますように……と。

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― 新着の感想 ―
子供ってマジで謎行動するよなあ(洗剤食ってめっちゃいい笑顔の甥っ子を見てる
忙しい中での更新ありがとうございますm(_ _)m もう二人目ですか……。なんか感慨深いですよねー…(*^^*)
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