36:おまけの話⑪
――朝。私の自室の机の上には簡素な袋に入ったとある品がある。
渡しそびれてしまった。先日赴いていた宝石店でフェルスさまと少し離れていた間に、私はループタイを購入していた。たまたま目に映ってフェルスさまに似合うと直感して、お店の方に購入をお願いして直ぐ受け取れるように紙袋に詰めて貰っていたものだ。
王都の外壁から出て向かった小高い丘の上で渡すつもりが、機を逸してしまったのである。お互いに指輪を嵌めて浮かれてしまったのが失敗の原因だろう。私が悩んでいると側仕えのリアがくすくすと笑っている。私から話を聞いているので、先日のことは彼女は全て知っていた。
「お嬢さまらしいというか、なんというか。またロータスさまにお会いするのですから、そう落ち込まれなくとも」
「そうだけれど……一番、渡すのに適していたのは先日でしょう?」
「でも逃してしまったのですから。お渡しできると良いですね」
リアが机の上の紙袋に視線をやってから私へと移した。きっと優柔不断な私が面白おかしいのだろう。長い付き合いがあるから彼女に怒ることはないし、友人のように感じている。むしろ、贈り物をフェルスさまに渡しそびれてしまったと話を聞いて貰ったので、私の気は少し晴れているのだ。面白おかしくみられるのは仕方ないと机の上から視線を外して、私は大きく息を吐く。
「今日の夜会に向かう時か帰り道がフェルスさまへ渡す良い機会……」
きちんと渡すことができるだろうか。衝動買いをしてしまい、しかも一番渡すべきタイミングを逃している。フェルスさまにおかしく思われてしまわないか心配になってしまうが、いつまでも部屋に置いておくわけにはいかない。悩んでいる暇があるなら、彼に渡す理由でも考えようと意識を変えてみた。むーと真剣に悩んでいる私にリアがまた苦笑を浮かべながらお茶を淹れてくれる。そうしてお昼がきて、陽が落ち切る前の頃。
「お嬢さま、そろそろ準備を致しましょう」
「ええ。よろしく」
リアに呼ばれて夜会の準備に取り掛かる。ナーシサス家の他の侍女も集まって介添えを担ってくれていた。衣裳部屋に赴きリアと一緒に今夜着ていくドレスはどれが良いかと悩んで一着を手に取った。フェルスさまが選んでくれて贈ってくださったドレスである。深い青色に染められたドレスを纏った私はフェルスさまの隣に相応しいかと私は悩み始め、いけないと頭を小さく振る。
母とお義母さまから教えて貰った『夜会で弱々しい顔をしていれば、気の強いご令嬢の格好の的になる』という言葉を思い出し考えるのを止めた。似合う、似合わないではなくフェルスさまの婚約者なのだから堂々としていなければ。
「お嬢さま、夜会で浴びる注目の視線はマシになりましたか?」
リアと侍女たちからの着付けを受けながら不意に声を掛けられる。リアは夜会会場で私がどういう視線を受けているのか気になるようだ。婚約から半年という時間を経て、王国の貴族の方にはフェルスさまと私が婚約したことは浸透している。男性は祝いの言葉をくれる方が多いけれど、女性からは祝いの言葉を受けつつ厳しい視線を受けることが多い。
フェルスさまは軍神という二つ名を持ち、王国の社交界で一番有名な方である。王太子殿下と妃殿下とも顔合わせをさせて頂き、懇意にしてくださっている。この辺りが数多の女性から厳しい視線を受けてしまう原因なのだろう。
「注目されたままだけれど、品定めを受けるような視線は減っているわ」
品定めをするような視線は本当に減った。私が戦場に立っていたと知れば、軍の皆さまには覚えが良くなるけれど……貴族の方には『軍神には地味な婚約者だ』と言いたげだった。
ナーシサス伯爵家の名前がもう少し売れていれば、貴族の方たちは納得してくださったかもしれないが『我が家の娘でも良かったのでは?』とか『私の方が軍神さまに似合うのでは?』という気持ちが湧いてしまうようだ。
確かにロータス辺境伯家と繋がりを持てば社交界で家の名が上がるだろう。ナーシサス伯爵家も恩恵を受けていた。弟は夜会や茶会に出れば、私の婚約の話で盛り上がるそうである。内情は話せないとはっきり告げても、聞き出そうとする方は多いとか。
弟に迷惑を掛けてしまってごめんなさいと伝えれば『なにを言いますか、フェルスさまと婚約を結んだ姉上は僕の自慢ですよ』と笑ってくれていた。
母も私がとんでもない婚約者を選んで驚いていたものの、フェルスさまとロータス家の皆さまは良い方たちだと言っている。ゆっくりではあるものの家族間の交流もあり、弟はフェルスさまと時折手合わせをしていた。二人の手合わせを見学させて貰っていたが、弟がフェルスさまから一本を取れる日はいつになるのだろう。
「軍神さまにはお相手がずっといませんでしたから。注目を浴びてしまうのは仕方ないのでしょうね。ただ時間の問題のようですし、ロータスさまの隣はお嬢さまだけですから堂々としていましょう!」
あとは贈り物を渡せると良いですねとリアが私を揶揄う。彼女と一緒になって他の侍女も渡すタイミングをあれこれと考えてくれているのだから、本当にナーシサス家に仕える皆は優しい方ばかりだ。みんなの応援を受けているのだから、机の上の紙袋をフェルスさまにちゃんと渡せるようにと願い私は彼が迎えにくるのを待つ。
いつものようにフェルスさまがナーシサス伯爵家のタウンハウスにやってきて優しく迎えてくれる。
「行こうか」
「はい」
エスコートを受けることにも随分慣れているけれど、ふいに男女の差を大きく感じることがある。やはりフェルスさまの手は大きく、男性なのだなと意識をしてしまう。彼はそんな私を不思議そうに見て首を傾げている。
「エレアノーラ、体調が悪いのか? 悪いなら無理に夜会に参加する必要はないし戻って休もう」
「あ、いえ! 体調はいつも通りです。ただ、あの……――」
変に思われてしまっただろうかと心配をしつつ、このままフェルスさまの勘違いが続いても問題だと私は馬車に持ち込んでいた紙袋を彼の前に差し出した。
「フェルスさま、こちらを受け取ってくださいませんか?」
「これは……?」
対面に座るフェルスさまは不思議そうに私が持つ紙袋に視線を向けつつ、言葉通りに受け取ってくださった。一先ず、頭から拒否されなかったことに安堵の息を吐いて私はフェルスさまに視線を合わせる。
「先日、ご一緒にお出掛けをした際に宝石店で見かけた品です。フェルスさまに似合うと直感して、お店の方に購入したいとお願いしました」
「いつの間に……」
フェルスさまは驚きの表情から優しいものに変えていた。少し照れ臭いし雑な渡し方になってしまったけれど、喜んでもらえるなら嬉しいことだ。
「フェルスさまが指輪を包んで貰っている時です」
「なるほど。ありがとう、エレアノーラ。嬉しいよ。開けてみても?」
「どうぞ。お気に召してくださるか分かりませんが……」
ナーシサス家から私に齎される財ではなく、私が軍人として功績を上げて王国から頂いた報奨金で買った品である。唯一、私が自由に使って良い物だから、フェルスさまに渡したいと考えた。彼は丁寧に紙袋を開けて中にある長細い箱を取り出す。時間がなくて包装紙で箱を包んで貰っていないので少し不格好だが、急いでいたことは先程伝えてある。
フェルスさまが長細い箱の蓋を開け、ゆっくりとループタイを取り出す。ループタイに施されている宝石は小さいものだけれど、装飾に力を入れている品だった。普段使いにできる品だし、フェルスさまは気に入ってくれるだろうか。どんな品が良いのか分からない中、直感で選んでしまったものだから、もしかするとフェルスさまの好みではないかもしれない。
「ありがとう。大事に使わせて貰う。残念なのは、今、身に着けられないことかな」
フェルスさまは笑みを浮かべながらループタイを持って胸元に宛てた。今の彼はいつもの軍服姿のため、身に着けることはできない。でも普段の衣装であれば多くのものにループタイを使用できるはずだ。
いつか彼が身に纏っているところを見られると良いなと願っていると夜会会場に辿り着く。馬車回りでフェルスさまと一緒に降り、会場の中へと進む。
本日の夜会は大規模なものではなく、こじんまりとしており落ち着いた雰囲気を醸し出していた。一先ず、主催者であるとある伯爵さまの所へ挨拶に行き、フェルスさまと一緒に招待してくれたことに感謝を述べた。次は挨拶回りをしなければとフェルスさまと一緒に会場の中に入って、見知った方を見つけて近々の状況や領地のことを話しながら時間が過ぎていく。
「あ!」
「え?」
「ん?」
聞いたことのある声がフェルスさまと私の側で響いて、思わず私たちも短く声を上げてしまう。声を『あ!』と上げた主はラークスパー伯爵家のリヴィアさまであった。彼女の隣にはいつぞやの眼帯姿の男性が一緒である。眼帯姿の男性はフェルスさまを見た瞬間に嬉しそうな顔になり、リヴィアさまと一緒に私たちの下へと歩みを進める。にっと笑った眼帯姿の男性はフェルスさまに声を掛けた。
「おや。ロータス殿ではないですか!」
朗らかな顔で眼帯姿の男性はフェルスさまに語り掛けているのだが、以前にお会いした時よりも身体が大きくなっているような。リヴィアさまは彼の隣で凄く良い顔をしながら黙ってお二人の話を聞くに留めるようである。
「お久しぶりです。隣の女性は……?」
フェルスさまは眼帯姿の男性の隣にリヴィアさまが添われていることが不思議でならなかったようである。何故と言いたげに眼帯姿の男性に聞いていた。眼帯姿の男性が答えてくれるのかと思いきや、リヴィアさまが良い顔を浮かべてフェルスさまの前に立つ。
「フェルス兄さま、そのような他人行儀な言葉を掛けてくださらなくとも。あたし、彼と婚約しました!」
「随分と突然だが……おめでとう」
リヴィアさまの言葉に驚きつつも、婚約者として眼帯姿の男性の隣に彼女は立っているようだ。フェルスさまへの気持ちは吹っ切れているのか、リヴィアさまは眼帯姿の男性との婚約を喜んでいるようである。
「いやあ、私が貴族の女性を娶ることになるとは思いませんでした」
眼帯姿の男性が空いている方の手で頭の後ろを掻いている。照れ臭そうにしているけれど、まんざらではないようだ。しかし、本当に急な話だと私が驚いていれば、眼帯姿の男性が経緯を聞かせてくれた。
どうやらリヴィアさまはあの日の夜会のあと彼に追い付いて、筋肉の話で盛り上がったそうである。眼帯姿の男性が鍛錬内容に熱く語ってもリヴィアさまは引かず、どうすれば更に筋肉を鍛えられるかどうか相談に乗ってくれたとか。
更に話が進み、お互いに相手がいないのであれば添い遂げようかと男性側から告白されたとか。ラークスパー伯爵さまは平民出身である成り上がりの彼との婚約を渋ったそうだが、リヴィアさまが押し切ったそうである。良いのかなあと心配になるものの、正式に決まったことなので私が口を出すことではない。フェルスさまも眼帯姿の男性であればリヴィアさまを不幸しないと分かっているようだ。
「おめでとうございます。リヴィアさまの幸せを願っております」
「ま、良いでしょう。祝いの言葉、受け取っておきますわ!」
私がお祝いの言葉を告げればリヴィアさまが扇を広げて口元を隠した。フェルスさまが私の耳元で『リヴィア嬢は照れているかもしれないな』と笑い、少しの間彼らとの話に興じるのであった。
ちょっと半端かなと思いつつ、丁度良い頃合いでもあるので、今回のオマケの話はこれで終了です! お読みいただき感謝です。コミカライズ第一巻もよろしくお願い致します~!!┏○))ペコ