33:おまけの話⑧
フェルスさまと婚約を結び、半年程の時間が経っている。彼との関係は順調と言っても良いのだろう。ロータス辺境伯家について随分と学ばせて頂いているし、他にも女主人として屋敷の中を切り盛りすることや、ロータス家の使用人の皆さまの顔も覚えた。
まだ学ばなければならないことがあるけれど、ロータス辺境伯さま……未来の義父からは今でも十分だし慌てることはないと仰って頂いている。
フェルスさまにも頑張り過ぎだと心配されてしまったので、気分転換に王都の街を散策しようとお誘いを受け、ロータス辺境伯領から王都のタウンハウスに戻っていた。私、エレアノーラは家族との時間を作るため、ナーシサス伯爵家のタウンハウスに顔を出している。
慣れ親しんだ屋敷は凄く落ち着くし、家の使用人のみんなとも楽しく過ごせる。ロータス辺境伯領の領主邸の皆さまも優しいけれど、小さい頃から付き合いのあるナーシサス家のみんなとは少し違うというか。
フェルスさまとのお出掛けは明日。
自室で読書を楽しんでいると扉を二度ノックする音が聞こえ私が側仕えのリアに入室を促せば、弟のリカルドが顔を出している。扉を開放したまま部屋の中へと進んだ彼は私の隣にある机の上に置かれた本を見て、お邪魔して申し訳ないと謝ってくれた。入室を促したのは私だし、リコ――弟の愛称。いつもそう呼んでいる――は家族なのだから気にしなくて良いのに。
でも気遣いのできる子に育ってくれて本当に嬉しい。私の側に立ったリコが目を細めて笑みを浮かべる。窓から差し込む陽光に彼の金の髪が反射して光っていた。
「姉上、フェルスさまと出掛けると侍女から聞きましたが本当ですか?」
リコは誰から話を聞きつけたのだろう。恥ずかしいから母にしか伝えていなかったのにと、私の隣にいるリアに顔をやると苦笑いを浮かべている。どうやらお出掛けの話は彼女から弟に伝わったようだ。弟に知られてしまい少し恥ずかしくあるけれど、彼も婚約者がいる身で彼女とお出掛けしていることもある。なにか参考になることがリコから聞き出せるかもと、私は目の前と視線を合わせる。
「ええ。王都の街を散策してみようと仰られて」
「それはなによりです。なにも起こらないとは思いますが気を付けてくださいね」
「心配し過ぎよ、リコ。護衛の方もいらっしゃるし大丈夫」
リコは相変わらず私に対して心配を向け過ぎるところがある。王都の治安は良い方に含まれており、護衛の方を連れていればスリに合うこともない。時々、一人で出かけた貴族の方が貧民街に住む住人に所持金を盗られたと嘆いていることが、話を聞いた貴族の皆さまは自業自得だと口を揃える。
護衛も付けずフラフラしていればスリの方たちから格好の鴨になることは明白だ。貴族が平民の方の格好をしても、隠しきれないなにかがスリの方に伝わってしまうらしい。
お店の方にも分かるようで下街の大衆食堂に赴くと、凄く謙った態度になる店員の方もいるのだとか。私は一人で王都の街を散策する勇気はないので、一生縁のないことかもしれないが。私がリコに席を進めれば腰を下ろして会話を続ける。
「王都では魔法の使用は禁止ですからね……正当防衛が成立すれば罪に問われることはありませんが。ああ、でもフェルスさまがご一緒であれば姉上の身になにかあるなんてあり得ませんか」
「そうよ。リコは心配し過ぎ。でも、ありがとう」
リコが私がフェルスさまと一緒に行動すると分かっているためか、いつもより心配している時間が短い。それでも気に掛けてくれないより全然良いことだろう。私だって彼がどこかに出掛けるというならば、なにも起こらず無事に帰ってくるようにと神に祈る。私が感謝を伝えればリコはゆっくりと顔を左右に振り、ああそうだと声を上げた。
「姉上、出掛け先は決まっているのですか?」
リコの質問にどう答えるべきだろうか。行先を決めているのが普通だけれど、フェルスさまからは一言しか頂いていない。彼であれば婚約者とお出掛けしたことがあるので、なにか良いことを聞けるかもしれないと私は正直に伝えようと言葉を紡ぐ。
「美術館は止めておこうとフェルスさまが。だから美術館以外になるわね。あと畏まった衣装はなしにして欲しいと言われているから、格式高いお店にはいかないはずよ」
美術館はリヴィアさまの件の影響なのか、フェルスさまには石膏像に苦手意識を持たれたようである。美術館と口に出した瞬間、彼は微妙な表情になっていたのだから。
他にも王都の美術館には少しばかり貴族が向かうことを避ける理由があった。美術館の収蔵品は領地で重税を敷き民の方を苦しめていた領主から没収した品を飾っている。もちろん美術品として貴重なものだからという理由もあるが、王家から貴族家へ向けた『こうならないように』という戒めの品でもあった。だから美術館に足を向ける貴族の方は珍しい。
リヴィアさまは幼い頃見た石膏像が素晴らしかったと説いていたが、ラークスパー伯爵さまが教育のため幼い彼女を美術館へ案内したのだろう。もちろん裏事情は伏せて。
しかしフェルスさまは私を王都のどこに連れて行ってくださるのだろうか。楽しみにして欲しいと仰っていたし、用意するものは特にないとも聞いている。私はうーんと行先を悩んでいると、弟が苦笑いを浮かべていた。
「フェルスさまから行先は聞いていないのですね。それだと王庭公園が行先の最有力候補でしょうか?」
「どうなのかしら。フェルスさまなら変な場所は選ばないという確信はあるわ」
以前、カイアスさまに賭博場へ連れられたことがある。お金を使うことに躊躇っていた私に『つまらない』と言われてしまった。確かに賭けて遊行する場で全く使わなかったことは、お店の側に立てば『何故、いるんだ』となってしまう。
カイアスさまも一緒に楽しみたかったのかもしれないと考えれば申し訳ないことをしてしまった。とはいえ私は賭け事に慣れていないし、ルールも良く理解しておらずカイアスさまの後ろで見届けるだけで精一杯だった記憶が残っている。今回はそんなことになってしまわないようにと願うしかないのだろうか。
「姉上が戻ってきたら話を聞かせてくださいね。出先の参考にさせて頂きますから!」
「もちろん。でも私たちの真似をしただけだと、きっとリコのお相手に失礼だから貴方の考えもきちんと入れてね」
リコは私の声に笑みを浮かべて『はい』と返事をくれ部屋から出て行った。するとリアが明日の衣装を選びましょうと気合を入れて私と視線を合わせた。確かにと彼女に私も頷いて衣裳部屋に移る。
「お嬢さま、楽しそうでなによりです」
「え、そうかしら……?」
ふふふと笑っているリアに私は首を傾げる。いつも通りに選んでいるはずだけれど、彼女の意図するところはどこにあるのだろう。私が妙な顔を浮かべていたのか、侍女の方は『私の戯言でございました。さあ、続きを』と衣装選びを促した。
本当に何故と不思議に感じつつ、明日のお出掛けに纏う衣装を決めた。新調することも考えていたけれど、フェルスさまから気負う必要はないと告げられているので衣裳部屋の中から選ぶことにしていた。選んだ衣装は私にしては珍しく明るい色のワンピースだ。リアに『お嬢さま、明るい色を選びましょう』と強く押されてしまったことが一番の理由かもしれない。
ただ戦時中だったこともあって明るい色を選ぶことを控えていたけれど、それももう終わりを迎えている。偶には明るい色を纏って楽しい気分を醸し出す一助になってくれれば嬉しい。
フェルスさまは明日、何処へ連れて行ってくれるのかと楽しみにしながら一夜明け。お出かけ当日となった。ナーシサス伯爵家のタウンハウスにある馬車回りにはロータス辺境伯家の家紋を掲げた馬車が停まっていた。側にはフェルスさまが御者の方と一緒に待ってくれており、私の姿を認めればこちらへと歩を進める。私も早く合流しなければと足を動かす速度を上げる。
そうしてお互いの距離が適当な所になれば立ち止まり視線を合わせた。彼と会うのは数日振りなのだが、もう幾年も会っていないような気がする。ロータス辺境伯領主邸で彼と毎日顔を合わせていたことは凄く贅沢なことだったようだ。
「フェルスさま、お迎え感謝致します」
彼と顔を合わせられた嬉しさで私は自然と笑みを携えているようだ。フェルスさまも目を細めながら瞳の中に私を捉えてくれている。
「いや、私がしたことだからエレアノーラは気にしないでくれ。本当はどこかで待ち合わせをしても良いかと考えていたんだが……迎えに行く方が早く顔を合わせられるからな」
フェルスさまは平民の方たちが待ち合わせをしてお出掛けを開始するという手法を考えていたけれど、いつものように迎えを出すことに決めたようだ。確かに街中で待ち合わせをして合流するのも楽しそうである。ただ平民の方だからこそできることだろう。貴族だとどうしても護衛の方を侍らせて大所帯となってしまう。他の方に迷惑だろうし、お迎えにきて頂くか、私が彼のタウンハウスに向かう方が良いはずだ。
「行こうか。君が楽しんでくれると良いんだが」
「フェルスさまと一緒であれば、きっとどこでも楽しいです」
手を差し伸べてくれたフェルスさまに私は手を重ねて馬車に乗り込む。半年という時間が経って彼と一緒にいることに慣れているけれど、改めてお出掛けとなれば少し照れ臭いと馬車の窓から王都の街を眺めるのだった。






