32:おまけの話⑦
リヴィアさまは凄くすっきりとした顔で筋肉について語っている。
彼女に取ってフェルスさまが持つ筋肉が最上のものであり、超える方は今後出てこないだろうと言い切っていた。確かにフェルスさまは周りの男性方より背が高く、身体を鍛えているのでがっしりとしている。服を脱いでいるところを見たことがないのではっきりとは言えないけれど脱げば凄いのだろう。
筋肉について語りつくしたリヴィアさまがふふふと笑っているけれど、フェルスさまを見つめる目はどこか物悲しい気がする。十年も恋心を抱いていたならば、直ぐに諦められるものでも、納得できるものではない。
私が突然フェルスさまの隣に現れて、彼女が焦ってしまった故に今回の件へと至ったのだろうか。なににしろ、私は彼女と話ができて良かった。貴族同士の喧嘩であれば、裏でこっそりと処理される可能性があったのだから。ロータス辺境伯家もラークスパー伯爵家も王太子殿下も優しい方たちなのだろう。
「まあ、君がすっきりして、今後フェルスとナーシサス嬢に余計な気を回さないなら、僕から言うことはもうないかな」
ハインリヒ王太子殿下が椅子に腰かけて小さく笑う。隣に座った妃殿下も微笑みを浮かべ、今回のことは気にしていないと言いたそうだ。
「王太子殿下まで出てくるなんて、全く考えていませんでした」
リヴィアさまも先程泣いてしまったことは忘れたように、カラッとした声で肩を竦めて言葉を発していた。王太子殿下を前に緊張していないのは凄く羨ましいことである。
「僕とフェルスは仲が良いからね!」
王太子殿下はリヴィアさまに向けてフェルスさまとの仲をアピールしているけれど、本当に仲が良いのだろう。私がカイアスさまから婚約白紙を受けた時にも助けて頂いているのだ。忙しいだろうに、こうしてフェルスさまを助けてくださっていることに感謝しないと。
せっかくだから夜会の場に戻ろうと告げたハインリヒ王太子殿下に倣って私たちも控室から出ることになる。護衛の方たちも一緒に動いて扉を抜けると、偶然眼帯姿の男性が王太子殿下の登場に驚いていた。護衛の方たちの警備を抜けてしまったのか、丁度通りがかってしまったようである。眼帯姿の男性はハインリヒ王太子殿下の姿を認めると直ぐに敬礼を執る。
「し、失礼しました、ハインリヒ王太子殿下!」
眼帯姿の男性に答礼した殿下が楽な姿勢で構わないと告げれば、彼は両手を横に就けてビシッと背を伸ばす。眼帯姿の男性を見ていたフェルスさまが苦笑いを浮かべ、リヴィアさまは何故か眼帯姿の彼を凝視している。
「畏まらないで良いよ。偶々君が通りかかって、偶々私たちが部屋から出てきただけなんだから。確か先の戦で法衣男爵位を叙爵した人だよね」
王太子殿下は眼帯姿の男性の功績を覚えていたようだ。殿下は公的な場になると一人称が『僕』から『私』に変えているようだ。フェルスさま方に一人称を『僕』と表現するのは幼馴染と仲が良いからと知っている。私にも『僕』を使ってくださっているので、私も殿下に認められているのだろうか。それなら嬉しいことはない。
二十年戦争に貢献した軍の方には王国から爵位を賜った方が多くいる。殿下は彼のことをよく覚えていたなと私が感心していると、眼帯姿の男性が嬉しそうな顔になり声を腹から出す。
「は! 私のことを覚えていてくださり恐縮であります!」
廊下に声が響いて、護衛の方たちが苦笑いを浮かべている。とはいえ眼帯姿の男性は貴族籍を抜け平民になり、功績で貴族位を得た方だ。殿下に声を掛けられるなんて夢にも思っていなかったのだろう。だからこその反応のため誰もなにも言わない。
「終戦を迎えたとはいえ、他にもやるべきことがある。軍の皆にはまだまだ苦労を掛けているが、これからも王国のために邁進して欲しい」
王太子殿下が真面目な顔を浮かべて眼帯姿の男性に声を掛ける。治安が不安定な地域があると聞くし、復興にも力を入れなければならないため軍の方たちも、各地の領主の皆さまも、王家の皆さまも大変だろう。
私は終戦を機に除隊してしまったので、復興に協力できないことが少し心残りである。だからこそ私はなにかできることをと、ロータス辺境伯領の教会で治癒院を開きたいと願い出た。ロータス家の皆さまが快く受け入れてくださったので本当に有難いことである。
「勿論でございます! お声掛け感謝の極み!」
眼帯姿の男性がまた腹から声を出して感動していた。そんな彼に殿下は『またどこかでね』と軽く手を上げ場を離れていく。私たちも殿下の背を追いかけるのだが、フェルスさまが眼帯姿の男性に『良かったですね』と視線で伝えていた。眼帯姿の男性が見えなくなった頃、リヴィアさまが不意に声を上げる。
「殿下、フェルス兄さま、先程の方は?」
何故かリヴィアさまはフェルスさまと王太子殿下にキラキラとした目を向けていた。彼女の緑色の瞳に浮かぶ感情は『期待』と『興味』だろうか。そもそもさっぱりとしていそうな性格のリヴィアさまが先程顔を見た男性について問うことはないだろう。
リヴィアさまに殿下はふふんと面白そうな顔で答え、フェルスさまは問われたから素直に答えている。殿下は何故リヴィアさまが今の質問を投げたのか理由をなんとなく察しているようだ。王太子妃殿下も小さく笑みを浮かべてリヴィアさまを見ているから分かっているのだろう。多分私も。
「フェルス兄さまの筋肉も素敵ですが、先ほどの方も良き筋肉をお持ちになっているのではっ!?」
ふんとリヴィアさまが息巻いている。確かに眼帯姿の男性は身体を鍛えるのが趣味だと聞いたので、リヴィアさまが想像するように彼の服の中は筋肉隆々なのだろう。
そんなに筋肉は良いものなのかと苦笑いを浮かべていると、リヴィアさまは『失礼致しますわ!』と断りを入れて夜会会場の逆の方向へと小走りで行く。彼女の側仕えの方も急いでその背を追いかけて、眼帯姿の男性の下へと向かったようである。
「騒々しい子だね。大丈夫かなあ」
「大丈夫だと思いたい。彼は筋肉について語り始めればリヴィア嬢のように止まらないからな……もしかすれば彼とリヴィア嬢は意気投合するかもしれない」
「あー……良いのかな?」
王太子殿下が首を傾げれば、フェルスさまが苦笑いを携えながら答えていた。確かに筋肉に拘りのある方同士であれば、話も弾むだろうし良い結果になる可能性だってある。
肩を竦めた王太子殿下は妃殿下に腕を差し出して会場に向かおうと頷いた。フェルスさまも私に『行こう』と告げて腕を差し出す。私が彼の腕に手を置けばしっかりとした触り心地の腕だと、はたと頭に浮かぶ。
リヴィアさまがフェルスさまの筋肉について熱く語られていたためなのか、私の手に伝わる彼の肉の感触が生々しい気がする。フェルスさまも私がなにか考えていると悟ったようで小さく咳払いをしたため、私は彼を見上げて目を合わせた。
「……なんだか意識してしまいますね」
「リヴィア嬢が語りつくしていたからな。エレアノーラが意識するのは仕方ない」
私もフェルスさまもお互いに苦笑いを浮かべれば、先を歩いている王太子殿下がこちらを見ている。
「僕がひ弱だって言われた気がする」
「そんなことはありませんよ。殿下も鍛えていらっしゃるではないですか」
むっと子供のように膨れている王太子殿下に妃殿下が笑いながらフォローを入れていた。殿下は細身な方だけれど、ひ弱だなんて全く見えない。なのにどうして困り顔になっているのか。
「そうだけれどねえ。僕は体質的に筋肉が付きにくいみたいなんだよ。直ぐ筋肉に変換されるフェルスが羨ましい」
殿下の言葉で私はふと思い出す。軍に入隊して促成訓練を受けていた頃、同じ訓練を受けていた男性たちが身体の仕上がり具合が個々で違うと皆さまで語り合っていた。
背格好は違えど、食べる量や運動量は同じだというのに、鍛え具合に差が出ていたことが不思議だったようである。そういえば私と一緒に訓練を受けていた女性は腹筋が割れたと零していたけれど、私は全く割れる気配はみせなかった。やはり個々の体質で身体の仕上がり具合は変わってくるようだと、フェルスさまを見る。
「私の方が運動量は多いからな。それにハインリヒが私と同じ訓練を受ければ直ぐに音を上げそうだ」
「ま、文官と武官じゃあ違いがあっても当然か」
フェルスさまと殿下が笑い合う。それを見ていた王太子妃殿下が私に視線を向ける。
「あまり気に病む必要はないかと。ですよね、エレアノーラ」
「はい。殿下もフェルスさまもそれぞれに良いところがおありですから。皆さまが同じでは、きっと楽しくありません」
妃殿下に私が言葉を返すと『そうだねえ』『だな』と殿下とフェルスさまも同意をしてくれた。それぞれには、それぞれの個性があって、良いところ悪いところがあるのだろう。ハインリヒ王太子殿下は次期国王という座に就くため、人前では真面目な姿を見せている。けれど私的な所であれば今のように文句を言ったり、冗談を飛ばして会話を楽しんでいた。
フェルスさまも言葉数は少ないけれど私を気遣ってくれて、夜会で私を一人にすることはない。もちろん二人ずっと一緒に過ごすなんて無理だから離れることもあるけれど。
フェルスさまの悪いところはどこだろうと少し考えてみる。一通り彼のことを頭に思い浮かべてみるけれど見当たらない。でも、多分、長い月日を彼と共に過ごしていれば、悪いところの一つや二つ見つかってしまうはずだ。
私もフェルスさまに悪いところを知られてしまうかもしれない。それは凄く恥ずかしいことだから一生分からないで欲しいけれど……私はフェルスさまの悪いところも受け止めて、これから先も彼と共に二人の道を歩んで行きたい。その道には私たち二人だけではなく、家族や友人、そしてまだ見ぬ人たちも加わっていれば良いなと願う。
そんなことを考えていると自然と私の顔から笑みが零れていたようで、フェルスさまが片眉を上げて不思議そうに見ていた。歩いていると会場に戻っていたようで、廊下に会場の明かりが差し込んでいる。
「エレアノーラ。一曲踊ろうか」
「はい、是非!」
フェルスさまの嬉しいお誘いを受けて直ぐに私が返事をすると、王太子殿下夫妻もダンスの輪の中に加わるようである。会場にいる楽団の皆さまの演奏が終わり、次の曲へ切り替われば私たちはダンスの中へと入り込む。すると会場からどよめきが上がり、王太子夫妻とフェルスと私は凄く注目を浴びるのだった。






