31:おまけの話⑥
どうして彼女……リヴィア・ラークスパー伯爵令嬢は私、フェルス・ロータスの筋肉に拘るのか。十年前、彼女の実家で初めて出会い、何度か顔を合わせていれば何故か懐かれた。
軍人を多く輩出しているラークスパー家である彼女の兄たち五人とよく手合わせをしていたのだが、なにがおもしろいのか彼女は飽きもせず私たちが剣を交える姿をずっと見ていた。リヴィア嬢はラークスパー家の一人娘だ。男が五人、女性が一人だけ生まれたラークスパー伯爵は随分と彼女に甘いところがある。そして兄妹である彼女の兄たちも随分と可愛がっていた。
初めて彼女とラークスパー伯爵領領主邸の庭で出会ったとき、彼女と言葉を数度交わしただけで激怒していたのだ。
戦争が激化したこと、私が戦場に頻繁に出向くようになったことでリヴィア嬢とは疎遠になっていたのだが……まさかラークスパー伯爵から娘の暴走を止めてくれと懇願されるとは思いもよらなかった。
どうにも彼女は私の肉体に惚れているそうで、美術館にある男性の石膏像と私を比べていたとか。そうしてリヴィア嬢は『フェルス兄さまの筋肉の方が美しいわ!』と力説していたようである。もちろん他人には見せてはおらず家族内だけの主張であったそうだ。そして彼女からラークスパー伯爵に私との婚姻を申し込んだものの失敗に終わっている。
婚姻を断ったことが駄目だったのか、彼女は私の筋肉を求めて軍に志願し戦場に立つことを選んだ。たが終戦を迎えて今に至る。だから私と彼女は戦場で会ってはいないし、顔を合わせたのも随分と久し振りとなる。
ラークスパー伯爵は私がエレアノーラと婚約したことを知っていた。だからこそリヴィア嬢の暴走を止めて欲しいと。ラークスパー伯爵家の者の声では彼女は止まらないと、ほとほと困った顔をしてロータス辺境伯家に頭を下げたのだ。
私の父は懇意にしているラークスパー伯爵の願いを無下にすることはできないし、リヴィア嬢の恋心にけじめをつけられるならばと協力をしたのだ。リヴィア嬢はエレアノーラのことを調べていたそうである。家の者を連れてロータス辺境伯領領都にある教会に赴き、治癒を施していたエレアノーラを遠くから忌々し気な顔で見ていたそうだ。
リヴィア嬢はエレアノーラに危害でも加えるのかと身構えていたが、神の差配だったのか穏便に事が済んだように思う。ただ……私の筋肉は美しいと力説されるのは凄く恥ずかしい。
エレアノーラと一緒に参加した侯爵家主催の夜会会場の控室で椅子に腰かけているリヴィア嬢は私との婚姻を諦めたようだが、筋肉は諦めていないようである。
十年程前の私の筋肉の美しさを語りながら、目をギラつかせていた。女性が見せる視線ではないと頭を抱えていると、彼女が『フェルス兄さまの筋肉はこの世で一番良いのよ!』と声高に叫んだ。私の隣に座るエレアノーラが目を丸くしているし、少し離れた壁際でハインリヒが笑いを堪えて……はいないか。ぶっと吹いて腹に手を当て腰を曲げて心の中で大笑いしているのだろう。
リヴィア嬢はどうだと言わんばかりの顔でエレアノーラを見ていた。そしてエレアノーラはリヴィア嬢にどう答えて良いのか分からず、少し焦り始めていた。彼女にどう助け船を出そうかと私が悩んでいれば、ハインリヒがこちらに近づいて私の椅子の後ろ立ち笑みを浮かべる。
「うんうん。誰しもときめく心を持つのは大事なことだよね。僕だって誰かに言えない、あんなことやこんなことの趣味があるんだし」
「ハインリヒ、話の腰を折らないでくれ」
ふふふと笑うハインリヒは冗談を飛ばす。誰もハインリヒの人に言えない趣味など聞いていないし、私たちの話を黙って聞いているだけではなかったのだろうか。
「話は終わっているでしょ。ラークスパー嬢はナーシサス嬢に言いたいことを言えて、少しはすっきりしたみたいだしね。それに女性の趣味趣向を立ち聞きしちゃったんだから、僕の趣味趣向を言っておいた方が良いかなって」
「誰もハインリヒのことは聞いていないんだがな」
楽しそうに笑うハインリヒに私が溜息を吐けば、話にならないと言いたげにエレアノーラとリヴィア嬢へと視線を向けた。
「酷いなあ、フェルスは。ねえ、二人ともそう思わないかい?」
「あ、いえ……その」
「ええ、フェルス兄さまは酷い方です! あたしは良い女なのに振ったんだから!」
肩を竦めながら問うハインリヒにエレアノーラが困り顔を浮かべながらなにも言えず、リヴィア嬢は気の強そうな瞳で私を射抜く。私の立つ瀬がないと考えていると、妃殿下がハインリヒの隣に立って一つ頷く。妃殿下を見たハインリヒはこほんと咳払いをしてから口を開いた。
「ラークスパー嬢、今も言ったけれど、少しはすっきりしたかい? ナーシサス嬢になにかする気だったみたいだけれど、それを察知した君のお父上がロータス辺境伯に相談してね」
ハインリヒが肩を竦めながら我々側の経緯をリヴィア嬢に伝える。彼女はラークスパー伯爵が動いているとは露とも知らなかったようだ。考える仕草を見せながら、リヴィア嬢はハインリヒと視線を合わせる。
「……王太子殿下にも父から話が?」
「いや、僕はフェルスから。同じ夜会に参加するし、主催の侯爵家の顔に泥を塗るかもしれない。その時は取り計らって欲しいって彼が僕を頼ってくれたんだ」
ハインリヒが『ね、フェルス』と片目を瞑って私に同意を求めた。事実だし隠すことでもないと私は一つ頷いた。
「父が殿下と交流があるとは思えなかったので納得ですし、流石フェルス兄さまです」
リヴィア嬢はラークスパー伯爵を下に見ているようだ。そして何故か私は褒められている。彼女の言葉にハインリヒはふうと息を吐いて吸い込んだ。
「随分と君は直接的に言葉を伝えるねえ」
「問題がありましょうか?」
ハインリヒの言葉にリヴィア嬢が少しだけ顔を斜めにしていた。どうやらリヴィア嬢は自身が感じたことをそのまま口にしてしまう癖が抜けていないようである。
男の多い家族構成だったため彼女は甘やかされて育ってきたこと、彼女の真っ直ぐな性格が影響しているのか言いたいことを口にしてしまう子だ。私が彼女と出会った頃からそうだったし、今でも変わらないようである。
「うーん。時と場所と相手によりけりかな。間違ったことは言っていないけれど、君の物言いを聞いて激怒する人もいるかもしれない。だから気を付けてねって忠告かも」
「ご忠告、感謝致します。確かにあたしの言葉に怒りを露わにする方がいらっしゃいましたが、そう言うことでしたか」
「もしかして気付いてなかったの!?」
ハインリヒが驚きで顔を崩壊させていた。いつも軽い調子の彼が珍しいものである。私の隣に座しているエレアノーラは珍しいハインリヒの姿に驚き、妃殿下は『あらあら』と微笑みを浮かべていた。
対してリヴィアはハインリヒが驚いていることにピンときていないようだが、彼女の直接的な言葉に怒る人物が何故なのかようやく理解したようである。私も彼女に伝えてきたつもりだが、ハインリヒという第三者的な立場の者から諭されて初めて気づいたようだ。
「気付いていないというよりは、何故怒っているのか理由が分かりませんでした。誰かと一緒にいなければ安心できないという性質ではありませんでしたし……」
リヴィア嬢はなるほどと凄く納得した様子で過去の出来事を反芻しているようである。対してハインリヒは参ったなあという顔になっており、いつも飄々としている彼が珍しい姿を見せている。
「ええと……うん。一人でも大丈夫って君が言うならそれでも良いけれど、家族やフェルスには迷惑を掛けたくないよね?」
ハインリヒの問いにリヴィア嬢が首を縦に振る。それを見た彼は目を細めながら言葉を続けた。
「僕は君がナーシサス嬢にどんな言葉を掛けるつもりだったのか気になってきた……あ、うん! 言わなくて良いからね!」
ハインリヒにしては珍しいことを紡いでいる。もしリヴィア嬢が本気にしてエレアノーラに酷いことを言ってしまう可能性があると気付いていないわけではないだろうに。私はリヴィアがエレアノーラに余計なことを言わないようにと彼女を注視する。
「フェルス兄さまのお相手がどんな方かと声を掛けさせて頂きましたが、結局、あたしにはなにも言ってきませんでしたから。なにかあたしに言っていれば十倍以上にして言葉を返していたかと」
ふんと鼻を鳴らしたリヴィア嬢がエレアノーラを見ている。だがエレアノーラに彼女の態度を気にする素振りはない。リヴィア嬢の態度や物言いに少しくらい言い返しても良いのではないだろうかと、私がエレアノーラに視線を向けると『気にしていませんから』と言いたげに笑みを浮かべる。
私が惚れた女性はどうやら悪意に鈍いようである。もしかして原因は彼女の元婚約者にあるのだろうかと私は複雑な気持ちになるのだった。






