28:おまけの話③
フェルスさまが怪訝な顔を向けている相手はリヴィアさまと呼ばれるそうだ。ラークスパー伯爵家のご令嬢であり、ロータス辺境伯家とは昔から懇意にしている家だと私は教えて貰った。
ラークスパー伯爵家の子は男性五人と女性一人という構成のため、リヴィアさまは随分とご両親に甘やかされて育ち、彼女自身も置かれた境遇を受け入れているそうである。灼熱色の髪を綺麗に纏め、気の強そうな緑の瞳に濃紺のドレスを身に纏った彼女は美しい。会場にいる男性が目を奪われて彼女を見ているというのに、リヴィアさまは気にも留めていなかった。
年齢は十九歳でまだ婚約者はいないとのこと。ラークスパー伯爵はリヴィアさまにフェルスさまをと願っていたそうだが、戦場に出ていたことを理由に断っていたそうである。ようやく迎えた終戦により婚約者の座を得る準備に入ろうとしていたが、私がその椅子に腰を下ろしてしまった。ラークスパー伯爵さまは『残念だ』と笑ってくれたそうだが、リヴィア嬢は諦めきれていないとのこと。
甘やかされて育ち、気の強い部分がリヴィアさまにあるということで、厄介なことになりそうだと数日前に教えて頂いている。リヴィアさまから値踏みをするような視線を受けるものの私と言葉を交わす気はないようで、また鼻を鳴らして広げていた扇を閉じてフェルスさまに笑顔を向けた。
「フェルス兄さま、一曲、踊って頂けませんか?」
リヴィアさまはドレスの端を指で掴んでフェルスさまに礼を執り、ダンスの相手を務めて欲しいと請うた。知り合い同士であれば異性と一曲踊ることはあるので特に問題はない。
ただ二曲、三曲と連続で踊るのは婚約者同士か夫婦のみとなる。時折、ダンスに夢中になった方たちが連続で踊ってしまい、周りから冷ややかな目を受けていることがある。
フェルスさまは真面目な方だから心配はしていないけれど、彼に固執しているというリヴィアさまはどうするつもりなのだろう。組んだホールドを解かずそのまま二曲目にということもあるのではないだろうか。不安になって私がフェルスさまの顔を見上げれば、彼が視線に気づいて『心配するな』と数瞬だけ笑顔を浮かべたのちリヴィアさまを捉えた。
「いや。私にはエレアノーラがいる。彼女以外と踊る気はない」
フェルスさまはリヴィアさまに厳しい視線を向けていた。彼は戦場以外では穏やかにお過ごしなのに、本当に珍しいこともあると私は驚きながら顔を上げる。
「フェルスさま」
私が彼の名を呼べば『ん?』といつもの顔で返事をくれる。彼の厳しい顔から普段の柔らかい表情に戻ったことで私は無性に安堵してしまい、目の前に立つリヴィアさまの様子の変化に気付くのが遅れてしまった。
「っ、何故、貴女が兄さまの名前を呼んでいるの!?」
「え?」
リヴィアさまは眉間に皺をよせ睨みながら手に握っていた扇を私に指している。フェルスさまの名を私が呼ぶ許可は得ているし、怒るほどのことではないはず。どうしてと短く呆けた声を出した私にリヴィアさまは更に表情を険しいものにした。周りの方たちが私たちのやり取りに気付き始め、一体どうしたと足を止めている。
「えっ……て、フェルス兄さまはご自身の名前を身内以外に呼ばせることはないわ! 兄さまのパートナーを務めている癖にそんなことも知らないなんて!!」
リヴィアさまが声を張り上げると、足を止めていた方たちがぎょっとした顔になる。フェルスさまは彼女に厳しい表情を向けたまま、次にリヴィアさまになにを伝えるべきか考えているようだ。
確かにフェルスさまの名前を呼ぶ方は限られていて、ご家族の方と私の実家であるナーシサス家の母と弟、そして親しい方くらいしか呼んでいない。確かに珍しいかもしれないと私ははっとする。逆にリヴィアさまは歯噛みしながらなにかに耐えていた。
黙って彼女の話を聞いているだけでは物事は進まないし、伝えておかなければならないことや、言いたいことを我慢するより良いと少し前に私は学んでいる。リヴィアさまは私はフェルスさまが連れてきた単なるパートナーだと考えているようなので、訂正しておかないと今以上に面倒な展開になりそうだった。一先ず、名乗りを上げていないと私は礼を執り顔を上げる。
「初めまして、リヴィア・ラークスパーさま。私はエレアノーラ・ナーシサスと申します。少し前、ロータス辺境伯家とナーシサス伯爵家との間で彼と私の婚約を結ばせて頂きました」
「は?」
私が名乗りを上げればリヴィアさまが目を丸くして驚いていた。フェルスさまが小さく息を吐いてから口を開く。
「リヴィア嬢、事実だ」
フェルスさまは私への援護のつもりだったようだけれど、リヴィアさまには高威力の斬撃となってしまったようである。
「はああああああああああああああああああ!?」
彼女はわなわなと口を震わせたあと、腹の底から絞り出し伯爵家のご令嬢らしくない声を上げた。深窓の令嬢とは思えない声量に、私は彼女は身体を鍛えているのだろうかと疑問を抱く。フェルスさまは額に片手を添え、彼女の絞り出した声の大きさに呆れているようだ。私はどうしたものかと迷っていると、人垣がぱっと綺麗に割れ中から高貴な方が現れた。
「随分と騒がしいねえ。夜会の華やかな雰囲気を壊すのは無粋だよ?」
ハインリヒ王太子殿下が咎めるでもなく、軽い調子で私たちに声を掛けてくれる。彼の横には妃殿下もいて小さく笑みを携えていた。お二人は騒ぎを聞きつけてやってきてくれたようで、フェルスさまに『なにをやっているんだい』と肩を竦めていた。
私は王太子殿下夫妻に失礼がないようにと礼を執り、フェルスさまは殿下に『すまない』と軽く答えてリヴィアさまの方を見た。
「お、王太子殿下、妃殿下! 失礼を致しました!」
リヴィアさまは高位の方の突然の登場に驚いて礼を執っていた。自尊心の高い方であれば悪態を吐いたまま非を認めないはずだが、リヴィアさまは周りを見られる方のようである。王太子殿下は周りの皆さまにこの場は問題ないから去るようにと軽く手を振った。すると集まっていた皆さまは蜘蛛の仔を散らすように会場内へと消えていく。
「さて。喧嘩の続きをしたいなら僕が場所を提供しよう。ここで続けるよりも良いだろう?」
ふふふと笑った王太子殿下は会場の横にある通路の奥を指している。指を指した先には控室がいくつかあったはずだ。フェルスさまは問題ないと答え、私も構いませんと一つ頷く。
リヴィアさまだけが事態を呑み込めないようで、いつの間にか彼女の背に回っていた妃殿下に『参りましょうか』と背を押されていた。いつかあの日の私が受けた光景のようだとはっと気づいて、少し懐かしい気分になる。
「エレアノーラ、行こう。落ち着いて話ができるはずだ」
「はい」
フェルスさまに声を掛けられ手を差し伸べられた。私は彼の手に手を重ね、リヴィアさまを見る。
「リヴィア嬢、君もだ」
フェルスさまがリヴィアさまに声を掛けると、渋々と言った感じで彼女は足を進め始める。王太子殿下が先を行き――もちろん護衛の方もいる――リヴィアさまは逃げないと分かった妃殿下は彼の隣に並ぶ。
するとハインリヒ王太子殿下が妃殿下の方へと顔を向けて手を差し伸べていた。その所作は凄く洗練されていて美しい。似合いのお二人だなあと目を細めていれば、控室の前に辿り着いた。
主催である侯爵閣下が王太子殿下方に部屋を用意してくれていたようで、随分と広い部屋だった。夜会を騒がせてしまった侯爵閣下には申し訳ないけれど、今回の件について王太子殿下も侯爵閣下もロータス辺境伯家とラークスパー伯爵家は知っている。
ラークスパー伯爵によって『娘の恋心に終わりを告げて欲しい』とお願いされていたそうだ。私も関わるのでナーシサス伯爵家も知っているから、知らないのはご本人であるリヴィアさまのみ。
だまし討ちのようで申し訳ないけれど、フェルスさまとちゃんと話し合いをしてリヴィアさまの心の整理ができれば良いと皆さまは判断なされたようである。それでもフェルスさまを諦められないなら、ご実家で強権を発動――蟄居処分か修道院送り――させると仰っていた。
「さあ、座っても良いし、フェルスとラークスパー嬢で殴り合いを始めても良いんだよ?」
王太子殿下が面白そうな顔を浮かべ、フェルスさまとリヴィアさまを見ている。リヴィアさまは『え、え?』と状況に困惑し、フェルスさまは『冗談が過ぎる』と言いたげな顔になっていた。
「ハインリヒさま、それは如何なものかと」
「揶揄うのは止めてくれ」
王太子妃殿下とフェルスさまが殿下を諭せば、彼は肩を竦め何度か横に首を振る。
「つまらないねえ。まあ、冗談だから真に受けられても困るけれど……僕たち二人は側で君たち三人を見守っていることにするから、気の済むまで話し合いをすれば良い」
王太子殿下は少し離れた場所の壁際に背を預け、妃殿下は私たち三人を応接用のソファーに案内してくれる。
「リヴィア嬢、私は彼女と婚約を果たし、もう独り身ではない。私に好意を向けてくれていたことは知っているが応えることはできない」
フェルスさまは言葉を続ける。貴族なのだから自身が望んだ通りの婚約を果たすのは難しいこと、リヴィアさまもその内どこかの貴族家と婚約や婚姻を果たさなければならないこと。
きっとリヴィアさまも内心では理解できているのではないだろうか。でもフェルスさまに向けた恋心を諦めきれないだけで。ラークスパー伯爵さまもリヴィアさまを甘やかして育ててしまったことに後悔をしている。リヴィアさまがどうか処分を受けぬようにと願いながら、フェルスさまの声に私は耳を傾けているのだった。






