27:おまけの話②
ロータス辺境伯家の皆さまと話合い、領都の教会で定期的に治癒院を開こうという話になったのが少し前の話である。私の我が儘を受け入れて貰えたことに、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちがせめぎ合っているけれど……困っている方に手を差し伸べられることは良いことだろう。
貴族が行わなくともと生粋の貴族主義の方からは困り顔を向けられそうではあるものの、私は魔法が使えて治癒も施すことができるのだから。
そうして現在は王都のロータス辺境伯家が所有するタウンハウスで過ごしている。近々に夜会が開かれるということで、辺境伯領から王都へ移動してきた。
距離があるので馬車の旅は大変だったけれど、フェルスさまと一緒に過ごせる時間が増えて私は嬉しかった。フェルスさまは長時間の移動は辛かろうと随分と心配してくれて、旅程はゆっくりとしており疲れは殆どない。気遣いが嬉しいとタウンハウスの談話室でフェルスさまと午後のお茶の時間を楽しんでいる所だ。
「久しぶりに戻ってきましたね」
私が窓に視線を向ければ、外の庭木が風に揺れて緑の葉を揺らしていた。十二月頃から八月頃までは社交シーズンとなり、貴族の皆さまは領地から王都のタウンハウスで過ごすことが多い。
私は今回、フェルスさまとの婚約を果たしたことで領地の勉強や顔見世のため、辺境伯領と王都を行き来している。忙しいけれどフェルスさまも一緒だし、大変だと感じることはなかった。私が窓から視線を外してフェルスさまを捉えれば、彼はティーカップを持ち上げて湯気の立つ紅茶を一口嚥下し苦笑いを浮かべる。
「そうだな。明後日の夜会にはハインリヒがいる。また、馬鹿なことを言い出すだろうが、少し私に付き合って欲しい」
二十年戦争に勝ったことで王都では盛んに祝いの夜会が開かれている。ハインリヒ王太子殿下も夜会参加の誘いを方々から受けているのだろう。二日後の夜会は侯爵家が主催したものなので、殿下も彼らの誘いを無下にはできなかったようである。あの日、あの時の夜会で殿下方とは初めて顔を合わせたけれど、私に気さくに声を掛けてくれていた。
優しくしてくださったのはフェルスさまのためかもしれないが、それでも彼ら二人を前にして緊張している私の気持ちを解きほぐそうとしてくれていた。フェルスさまと同じく優しい方たちなのだから、きっと楽しい時間になるはずである。
「もちろんです。王太子殿下と妃殿下にはお世話になりましたから。お礼を伝える機会を頂けただけでも凄く嬉しいです」
「エレアノーラは大袈裟だ」
フェルスさまに笑みを返せば、彼もまた微笑んでくれる。婚姻に向けて忙しい日々を送って充実しているけれど、今のような落ち着いた時間も私は大好きだ。フェルスさまは夜会で他に紹介したい方がいると片眉を上げて私に教えてくれる。彼は夜会を苦手としているから、私を付き合わせることに申し訳ない気持ちが湧いているようだ。私は貴族として教育を受け慣れているから大丈夫だと伝える。
「夜会は妙な者に絡まれることもある」
フェルスさまは持っていたティーカップをソーサーの上に置いて苦笑いを浮かべていた。確かに一部の方は得たい情報を得るために探りをいれてくることもある。
そんな時は笑みを浮かべて相槌を打っているのが正解だろう。そのうち情報は得られそうにないと相手の方は諦めて場を去って行く。そんな方には嘘の情報を流そうと気の強い友人は主張しているけれど、露見した時や嘘を信じてしまった時が怖くある。フェルスさまは夜会で邂逅しそうな厄介な方を教えて貰いつつ、無下に扱っても構わない方、できない方を教えて頂く。一通りの説明を終えてフェルスさまが少し大きく息を吐いた。
「すまない、エレアノーラ。私が上手くあしらえれば良いのだが、なかなか難しくてな。君にこんなことを教えていることを許して欲しい」
「いえ。各家との力関係も知れるので勉強になります」
家と家の関係を把握しながら付き合いを広げていくのは貴族の仕事だろう。教えて貰えないまま失礼な態度を私が執ればロータス辺境伯家の名に傷がつくし、貴族の力関係を把握するために勉強しなければならないのは常である。
迷惑を掛けてしまい申し訳ないという顔をありありと浮かべているフェルスさまには気に病まないで欲しい。貴族家の力関係の他にも、個人の方のことも知れる機会を得ることができた。これから夜会に参加するにあたって、フェルスさまとずっと一緒というわけではなく一人になる時間もあるだろう。そういった時に厄介な方の近くは避けることもできるのだ。
私とフェルスさまは王都のタウンハウスで過ごしながら、いくつかの夜会に参加するための準備を進めて二日後。
とある侯爵家が主催した豪華な会場には多くの方が集まっていた。軍服姿の方もちらほらといらっしゃっており、私たちが主催者の侯爵閣下に挨拶を終えたあと話しかけたそうにソワソワとしている。
そんな中、軍服に眼帯姿の方が足音を響かせながらフェルスさまと私の下へ近づいてくる。彼との距離が縮まる直前、フェルスさまは私の耳元で戦友だと教えてくれた。そうして眼帯姿の男性は右手を伸ばして足を止めて私たちの前に立つ。
「ロータス殿、お久しぶりです! 貴殿の雄姿が見られないのは残念だが、本当に終戦を迎えられて良かった」
「久しぶりです。戦が終わり平和な時間が訪れて本当に良かった」
眼帯姿の男性は歯を見せながら笑みを浮かべ、フェルスさまと固い握手を交わしていた。眼帯姿の男性はフェルスさまより少しだけ背が低いけれど、身体は随分とがっちりしており鍛えていることが分かる。そして彼が胸に掲げる勲章はフェルスさまに見劣りしない。きっと激戦区の戦場を彼も駆け抜けてきたのだろう。
私はフェルスさまの隣で静かに見届けることを選んだ。戦友だと教えて貰ったから、貴族的な付き合いをフェルスさまは求めていないのだろう。幾度かの会話をお二人は交わしていると、眼帯姿の男性が私の方へと視線を向ける。
「しかし貴殿が横に女性を侍らそうとは……と、失礼を! 私は――」
彼が小さく頭を下げながら名乗りを上げた。男爵位を持つ家の四男として生まれ、家督を継げることはないと独立するため軍に志願したそうだ。そこでフェルスさまと知り合って意気投合したのだとか。
私も眼帯姿の男性に名乗りを上げれば、ナーシサス家の者と知り驚いた顔になっている。眼帯姿の男性は戦場で父と出会い世話になったと教えてくれた。軍には多くの方が従事していたのに、眼帯姿の男性から父の話が聞けるとは驚きだ。本当に世間は狭いし、父の戦場での姿を知ることができたのは幸運だろう。
「いけない、いけない。一人で勝手に盛り上がってしまった。戦場の話など女性には楽しくないでしょうね」
苦笑いを浮かべた眼帯姿の男性に私は父の話が聞けて良かったと伝えようと口を開けば、フェルスさまが私の身体を優しく自身の下へと引き寄せる。
「そうだ。私を放って二人で話し込まれては面白くない」
むっとした顔を浮かべるフェルスさまは普段見せる姿より幼い雰囲気があった。戦友と仰っていたから、眼帯姿の男性には気を許しているのだろう。少し寂しさを覚えるものの、フェルスさまの意外な一面を見ることができた。眼帯姿の男性はおやと驚きつつも、直ぐににやりと表情を変えて口を開いた。
「申し訳ない、ロータス殿。では貴殿の活躍も彼女に伝えるべきかな?」
「……恥ずかしいから止めてくれ」
眼帯姿の男性はふふふと笑っているから、フェルスさまが彼の疑問に返す言葉を理解していたようだ。フェルスさまはご自身の活躍を私に聞かせることは照れるようである。そういえばフェルスさまは己の功績を翳すことはないと私は目を細めた。
「残念だ。戦場でのフェルス殿の活躍は尽きぬほどあるのだが……断られたならば仕方ない」
肩を竦めた眼帯姿の男性は全然残念そうではない顔をしていた。どうやらフェルスさまを揶揄うために言ったようで、私には丁寧な礼を執りフェルスさまには『嫁さん探しをしてくる』と言って軽く片手を挙げて場を去って行く。
眼帯姿の男性が場を辞せば、嵐が過ぎ去ったような静けさが残る。きっと眼帯姿の男性の勢いに押されていたのだろうと、小さくなっていく男性の後ろ姿を見つめているとフェルスさまが更に私を抱き寄せる。
「騒がしい男だったろう。驚いたか?」
フェルスさまと眼帯姿の男性は戦場で出会い意気投合したそうだ。一度、貴族籍を抜け平民となったけれど功績を上げ、法衣男爵位を持っているそうである。お酒を酌み交わすこともあれば、男性同士の馬鹿な話で盛り上がるとか。
眼帯姿の男性は身体を鍛えることが趣味だそうで、鍛錬の方法や筋肉の話を熱く語る所が悪癖なのだとか。私は彼から男性の話を聞いて小さく笑うのだが、フェルスさまの声が私の頭の直ぐ上で聞こえて少し胸がざわざわする。
「いえ。その、仲が良くて羨ましいなと」
婚約を果たしてからフェルスさまとの物理的な距離が縮まっている気がする。心の距離も詰めたいけれど、どうすれば距離が縮まるのか難しい問題だった。
フェルスさまもロータス家の皆さまも優しいから贅沢な悩みではあるものの、一つなにか叶えば、また一つ新しい望みが生まれてしまう。私はこんなに欲深い人間だっただろうか。私が悩んでいるとフェルスさまが顔を覗き込んで苦笑いを浮かべている。そうして彼は眼帯姿の男性が去って行った方向へと顔を向けた。
「酒を酌み交わすこともあるからな。君ともいつか一緒に飲みたいが、どうだろう?」
「嬉しいです。あまりお酒に強くありませんが、フェルスさまとご一緒できるなんて夢のようです」
フェルスさまが私へと視線を戻して綺麗な笑みを浮かべていた。フェルスさまとお酒を飲む機会があることが信じられない。でもきっと、そう遠くない未来に訪れるのだろうと私も笑う。
「私たちは婚約をして一年後には婚姻を果たしているんだ。夢で終わらせないでくれ」
フェルスさまが私に顔を寄せて囁いた。一年後に彼と夫婦になっているなんて信じられないけれど、ロータス辺境伯家とナーシサス伯爵家との間で結んだ正式な契約だ。
彼に愛して貰えていることが凄く不思議な感覚だけれど、掴んだ幸せを手放したくはない。立派な辺境伯夫人となれるように、彼を支えられるように自分を律しなければと気を引き締めていると人並みの中から可愛らしい女性がこちらへと小走りでやってきた。
「フェルス兄さま、お久しぶりでございます!」
「久しぶりだ、リヴィア嬢」
目の前に立つ彼女はフェルスさまに教えて貰った厄介な人物の一人であり、彼ににこやかな笑みを浮かべたあと、私にはふっと鼻で笑い持っていた扇で口元を隠す。まるで、私など相手にしていないと言いたげに。






