24:少しは強く
陽が沈む前に、今夜の宿泊先であるとある領都に辿り着く。領都を囲う壁の外で通門証を見せると入場が許可され、馬車がゆっくりと走り出す。ロータス辺境伯領やナーシサス伯爵領ほどの規模はないけれど、整備された石畳の道は綺麗に区画を区切っており、領都の中央から網の目状に広がっている……と聞いた。
「無事に辿り着きましたね」
「ああ。この領には珍しい料理があると聞いている。今夜泊まる宿で提供されるそうだから、楽しみにしておいてくれ」
貴族用の高級宿が運営されているので、この領の規模が窺い知れる。王都にほど近く、各領地に続く中継地になっているので発展し易かったのだろう。各領地を繋いでいる長距離馬車や荷物を沢山載せた荷運び用の馬車が散見されているのだから。家に帰ろうとしている子供の姿や、大人の姿が見られるから、暗くなってしまう前に用事を済ませるはず。
灯りは貴重で貴族やお金持ちの家で消費されている。平民の方たちは自然の灯りで、生活しているから。経済が活発になれば、もう少し普及するかもしれないが、今はまだ先だった。
「着いたな。降りよう」
高級宿の前に辿り着くと、馬車の扉が護衛の方の手に寄って開いた。フェルスさまのエスコートを受けて、馬車から降りようとしたその時。
「エレアノーラぁぁあああああああああああ!」
唐突に私の名前を呼ぶ男の人の叫び声が聞こえ、その先に視線を向ける。私には守るべき方がいることも忘れて。
「え?」
「――っ!」
護衛の方々を上手く躱して、男の人がこちらに突進してきたのをフェルスさまが防いでくれた。フェルスさまは腰に佩いている剣を抜かないまま、襲ってきた相手を無手で取り押さえたのだった。
「フェルスさま!」
私の目の前をはらはらとフェルスさまの銀糸の髪が舞い散っている。怪我を負ってしまったのだろうかと、彼の名を大きな声で叫んでしまった。
「エレアノーラ、怪我はないか?」
襲い掛かってきた男の人を護衛の方に任せたフェルスさまが私を見た。
「はい、守って頂いたので平気です。それよりもフェルスさまに怪我は!?」
「大丈夫だ、傷一つついていない。……そんな顔をするな、エレアノーラ」
心配になって、つい彼の服の袖を掴んでしまった。フェルスさまはそんな私に笑顔を向けて、手を私の頬に当ててくれる。
「でも……フェルスさまの綺麗な御髪が……!」
襲ってきた男の人は短刀でも持っていたのか、フェルスさまの髪がざっくりと半分切れていて、大変なことになっていた。地面に落ちている銀の髪を見ると、いたたまれなくなる。どうして私の地味な黒髪が切られなかったのだろう。陽の光に透けるフェルスさまの銀糸の髪が、凄く綺麗で好きだったのに。陽に当たった彼が私を見て、笑う姿が大好きなのに。
「気にしなくて良い、また伸ばせば良いだけだ。それよりも君に怪我がなくて良かった。――さて。どうして襲ってきた、カイアス」
男の人はカイアスさまだった。随分とやつれているし、身に着けている衣装も平民服だった。彼の直ぐ側には水筒が落ちており、零れている水の色は紫なので、ワインだろうか。貴族であることを誇りにしていたカイアスさまが、平民服を身に纏っているなんて。そんな彼を見て狼狽えている私に、フェルスさまはカイアスさまの処遇を知っていたようで詳しく教えてくれる。
半年ほど前、仮の謹慎処分から正式な処罰が下って、カイアスさまは廃嫡された後にハイドラジア侯爵家から除籍されていた。次代の侯爵の座はカイアスさまの弟さんに決定したそうだ。なるほど、フェルスさまがカイアスさまの名前をフルネームで呼ばなかった理由は、ハイドラジア侯爵家の人ではなくなったから。
「ぐっ。なにもかもエレアノーラの所為だ! 俺が落ちぶれたのも! 廃嫡されたのも! 戦で武功をもっと上げられなかったのも! お前が俺に宛がわれたから!! 全て、全てお前の所為だ! 黒髪黒目の地味な容姿とお前の控えめで目立たない性格が、俺の生き方を狂わせた!!」
言葉に詰まる。私の容姿は生まれつきのもので、変えられるはずはない。私の性格も生来のもので、簡単に変えられない。もし、今とは違う容姿で、違う性格であったのならば、カイアスさまとの婚約を続けていたのだろうか。
でも、それって……私、じゃないよね。エレアノーラ・ナーシサスかもしれないが、私という個性は死んでいるのではないだろうか。私という人間は今までであった人の中で形成されたものだ。もし髪色や顔が違っていれば、なにか違う生き方も出来ていたかもしれないけれど、今の私を否定する気はない。それにフェルスさまと出会えたのだから……黒髪黒目で地味で控えめで目立たない性格でも、彼は好きだと言ってくれるから。
――うん、だから。
護衛の人の手によって、捕縛用の縄に縛られ地面に膝を付いているカイアスさまを確り見る。
「ずっと、カイアスさまに言いたいことがありました。私はカイアスさまの仰る通り、黒髪黒目で地味な女なのかもしれません。ですが、誰かに髪の色や容姿で人格を否定されることはあってはならないと考えます」
やっとカイアスさまに言いたいことを言えた。以前であれば、黒髪黒目の容姿と自分の性格を卑下していたけれど。フェルスさまは私の黒髪黒目を好いていてくれるし、控えめな性格も芯が通っているのだから問題ないと仰ってくれた。だからこの一年間で少しずつ自信が持てたし、次代の辺境伯夫人として頑張らなければといろいろなことを吸収してきた。今なら胸を張って言える。黒髪黒目も自分の性格も悪くないと。
カイアスさまを見下ろすなんて、一生ないと思っていた。カイアスさまは自信家で、私に見下ろされていることを嫌悪するだろうから。すっと私の横に立ったフェルスさまが、肩の上に彼の手を置いて体を寄せた。
「女の癖に俺に――っう!」
護衛の方の手によって、カイアスさまがこれ以上喋ることがないようにと口を塞がれた。貴族を襲った平民となるから、カイアスさまの未来は分かり切っている。これからこの地を治める領主さまの手によって彼は裁かれるのだろう。
「行こう、エレアノーラ」
「……はい」
少し、胸に澱が溜まるような虚しさを抱えながら、高級宿の中へとフェルスさまと一緒に足を進めるのだった。






