23:幸せと不幸を
カイアスさまが廃嫡されたと風の噂で聞き、アナベラさまが修道院に送られたとお茶会に参加した時に友人から教えて貰った。
母と弟の話では、カイアスさまが私との婚約を白紙に戻した時に、ハイドラジア侯爵閣下がカイアスさまの廃嫡を決め、彼の弟を新な次期当主とすると判断したそうだ。
母と弟は侯爵家からその話を聞いていたものの、私には黙っていて欲しいと懇願されたとのこと。カイアスさまのあの気性であれば、私に危害を加える可能性もあるし、無理矢理に聞き出そうとするだろうと。
アナベラさまの奔放さは一部の界隈では有名で、ラーフレンシア侯爵家も扱いに頭を抱えていたそうだ。なので今の今まで婚約者を宛てがわれないまま、部屋住みで一生を終えるはずだったのに、カイアスさまがアナベラさまとの婚約を望んだ。
両家の話し合いの末に、カイアスさまとアナベラさまを追い込む決意を下したのだとか。少し前、ハイドラジア侯爵家とラーフレンシア侯爵家から、家の問題に巻き込んで申し訳ないと認めた手紙を頂いていた。弟もナーシサス伯爵家当主として執務を増やしており、領地の整備や新規開拓などに力を入れている最中だ。戦争で駆り出されていた男性たちも、戦地から戻ってきており笑顔が増えていた。その陰で、戦災孤児や戦で旦那さまを失った未亡人。まだまだ戦争の爪痕は残っているので、問題が解決したという訳ではない。一歩一歩確実に解決していくしかないのだろう。その為に貴族がいて、領を統治しているのだから。
――婚約白紙から随分と時間が経った。
王都から辺境伯領へと続く道を馬車で移動していた。辺境伯領に辿り着けば、晴れて私も辺境伯家の一員となる。
車窓に映る景色は長閑な麦畑が続いている。農作業を手伝う子供の姿や、農夫の方々が精を出し小麦畑を手入れしていた。
一年前、いきなりの婚約話をフェルスさまから持ち掛けられて驚いたけれど、お互いに不器用ながらも距離を縮め、沢山のことを経験していた。お互いに貴族だから、平民の方たちのような恋愛は望めないけれど、ゆっくりと穏やかな関係を築けているはず。
「どうした、エレアノーラ?」
ふいにフェルスさまに声を掛けられて、窓から視線を外して彼の顔を見る。柔らかい笑みを浮かべた彼の顔を見る。長い銀糸の髪を一つに纏め、灰銀色の瞳が私を射抜く。
戦場に立つ彼の姿は燃えるように熱く激しい雰囲気を持っていた。戦地から離れた彼はその印象からは程遠く、穏やかで優しく不器用な方で、ご自身のことをよく理解していた。不器用だからと真っ直ぐに言葉を尽くしてくれる彼の姿に、私も影響されて心の中に言葉を溜め込むことは止めて、気持ちをきちんと伝えるようになった気がする。
「フェルスさま。平和だなあと窓の外を見ておりました」
「確かに平和だな。このままずっと続けば良いが……近隣諸国次第か」
フェルスさまが私の手に手を置いて、ぎゅっと握り込んだ。婚約を結んだ頃は恥ずかしくてしかたなかったけれど、彼の大きな手は暖かくて凄く落ち着く。
「そう、ですね。確か、この先の領都で宿を取ると聞いておりますが、暗くなる前に辿り着けるでしょうか?」
王国を統べる陛下は平和路線を謳っているので、王国から他国へ攻め入ることはない。次代の王太子殿下も同路線を表明しているし、戦争よりも国内の景気回復にしばらくは務めるだろう。
辺境伯領までの道程は遠い。転移魔法で移動する方法もあったけれど、旅行気分も兼ねて王都から辺境伯領までの道を一緒に楽しもうとフェルスさまが仰った。
各領に宿泊するついでに観光と各領地の視察も兼ねている。ゆっくりと移動するので、辺境伯領まで一ヶ月の予定を組んでいた。大きな領では二、三日ゆっくりしようとも話しているし、本当にのんびりとした旅路。陽が沈むと盗賊に襲撃される可能性が高くなるので、日の入り前に辿り着きたい。
「順調にいけば陽が沈む前に辿り着く。護衛をつけているし、盗賊に襲われる心配は少ない。気を付けるに越したことはないが、不安か?」
盗賊相手であれば遠慮なく魔法を打ち込むことが許されているけれど、手加減が難しくなるのでなるべく出会いたくはなかった。フェルスさまと護衛の方々がいらっしゃるので私の出番はないが、なにが起こるか分からないのだから。
「不安、というよりも無用な犠牲を出したくはないです。綺麗事なのかもしれませんが……」
貴族の当主や当主夫人を務めるならば、時には非情な判断を下さなければならない時がある。人を殺めた身であるから、言葉にした通り綺麗事だと分かっているけれど。なるべく犠牲なんて出したくはない。生きることができるなら、生きていくべきなのだ。罪を背負ったというなら、贖罪を。その為に罰があるのだから。
「確かに私は命を奪い過ぎているから、むやみやたらと奪うのは良くないな」
ふっと笑って影を落とすフェルスさま。
「そういう意味では……申し訳ありません。配慮が足りませんでした……」
「私も君にそんな顔をさせるつもりはなかったんだが……。少し感傷に浸り過ぎた。でも、エレアノーラ、君もあまり自分を責めるな。私たちは軍に所属し、国の為に尽くしたのだ。その一点だけは誰にも咎められることはない」
フェルスさまが手を伸ばして私の頬に触れて親指の腹で撫でてくれたあと、抱きしめてくれる。彼の腕に抱き留められると、安心感と少しの不安が湧き起こる。軍神と謳われている彼は一体どれだけのものを背負っているのだろう。戦いが終わり、役目を終えた彼は勝利の立役者として持て囃されている。
これがいつまで続くのか分からないけれど、誰かを殺めたことで得た栄光は本当に褒められたものなのだろうか。でも、彼が言った通り私たちは軍に所属して敵を殺めた。
だから恥じることはない。相手のことを考え始めるとキリがなくて、終わらない思考の海の中へと潜らなければならないし、相手も私たちの仲間を同僚を、殺めている。心の均衡を保つのは難しい。まるで綱渡りをしているような、危うさで。どうか、フェルスさまの心が壊れてしまわないようにと願わずにはいられない。
「はい。おこがましいかもしれませんが、フェルスさまも……あまりご自身を責めないでください」
「分かっている。私は君が側にいてくれればそれで良い。私が不幸に陥っても、君が幸せであれば……それで良いから」
それは本当に幸せと言えるのだろうか。少し身じろぎして、フェルスさまの腕を緩めて顔を見上げる。
「私だけが幸せだなんて……フェルスさまが不幸になるなら、私も共に不幸になります」
きっとその方が幸せだ。なんだか言葉の意味が分からなくなっていて、妙な言葉遣いになっているけれど。
「……なんだ、それ」
私の言葉を聞いた彼が珍しく口調を崩して破顔した。
「フェルスさまが一緒なら、私はきっと不幸でも満足です」
「それもおかしくないか、エレアノーラ?」
馬車の中でお互いに笑い合う。しばらくすると、今宵の宿泊先であるとある領都に辿り着くのだった。






