22:穴に落ちる②
夜会会場の庭園でアナベラを見つけた俺は、アナベラを回収してラーフレンシア侯爵家の馬車に押し込んだ。相手の男は殴って黙らせておいた。俺がハイドラジア侯爵家の者だと分かり、顔を青くしている様は胸のすく思いであったが……アナベラが俺を裏切ったことは到底許せることではない。
夜会から屋敷に戻って早々、父が休んでいる寝室へと向かう。家宰に俺が父の下へ行くことを先ほど伝えたので、父は待ってくれているはずだ。
そうして父の部屋の前に立ち、扉を二度力を入れて叩くと、部屋の中からくぐもった声が聞こえてきた。失礼しますと、声を掛けて奥へと進むと、夜着に身を包んだ父が一人掛けの椅子に深く腰掛けて、俺をしっかりと捉えていた。父の姿を捉えると、自然と歩く速度が上がっていた。あんな女を選んでしまったことを後悔しながら、父の前に立つ。
「父上、アナベラとの婚約を白紙にして頂きたい!!」
どうしてアナベラを良い女だと勘違いをしてしまったのだろう。美人で男をおだてるのが上手い女だったが、今思えば俺からドレスや宝石を強請るための態度だったのではなかろうか。男の欲を掻き立てるアナベラの態度は見事なもので、まんまと俺は騙されたという訳だ。
「何故だ? カイアスが望み、相手と結んだ婚約だぞ。私は当主としてお前の望みを叶えただけだ。今回の婚約も白紙に戻せば我が家の評判に傷がつく。アナベラ嬢はお前に似合いの相手だぞ、我慢しなさい」
俺に厳しい視線を向けた父がいつもより低い声で言葉を告げた。確かに俺が望み父に伝えて叶えて貰った婚約だが、あんな不良品を掴んだとは全く考えておらず、騙されたのは俺だと言いたいし、不良品を平気で送り出したラーフレンシア侯爵家にも文句を言わなければ気が済まない。
「我慢など必要ありません、アナベラは俺以外の男と関係を持っていた! 俺が直接目にしました! 証拠が必要だと言うなら俺自身が目撃者であり、被害者です!」
「しかしなあ……ラーフレンシア侯爵家との契約の際に、アナベラ嬢の行動を阻害しないと明記しているのだよ。お前も覚えているだろう。それにお前はアナベラ嬢と既に関係を持っているではないか。私が知らないとでも?」
片眉を上げた父上が、口の右端を上げて笑う。確かに俺はアナベラと関係を既に持っていた。婚前交渉は貴族の間では避けられているが、お互いに同意を得て関係を持ったし、婚約するのだから問題ないと判断したのに。アナベラとの関係を持ちながら、娼婦を買うことはあったが誰でもが金を出して女と寝ている。なにが問題があるのか本気で分からなかった。アナベラが先に俺を裏切ったのだ。
「騙したのですか、父上!」
男が性に奔放なのと、女が性に奔放なのは意味が違ってくるだろうに。何故、父は俺の言葉を理解してくれない。
「騙した? 私たちはお前を騙してなどいないぞ、カイアス。アナベラ嬢はお前にお似合いだとラーフレンシア侯爵と相談の上で結んだ」
「え……」
一体どういうことだ。アナベラとの婚約は俺が父に願い出て結ばれたものだ。ラーフレンシア侯爵家と相談をする暇などないまま、戦で功績を上げた俺を認めてくれたからこそ結ばれたものだと言うのに。
「真実を知りたいか、カイアス?」
椅子に座す父が足を組み手を膝の上に置き、さらに厳しい視線を向けて俺を見る。なにもかも見透かしたような瞳が俺を苛立たせ、歯噛みした口を思いっきり開いた。
「やはり俺を騙したのですねっ!!」
「騙した、のではないな。お前がアナベラ嬢と共に自滅しただけであろう。婚約の際もお前が言い出したことを我々が呑んだことに浮かれて、契約の確認も怠っていた」
そんな俺が侯爵家の当主など務められるのかと、疑問を父から投げかけられる。
「俺は侯爵家当主として教育を受けています! 戦で武勲を上げたことで、分家の者も文句は言えますまい! 父上は俺のどこに不満があるのですか!!」
「不満か。不満ならいくらでも挙げられるぞ」
ナーシサス伯爵家との婚約を白紙に戻したこと、アナベラ嬢の評判を知らないまま婚約者として父に願い出たこと、直ぐに声を荒げること、戦で上げた武勲を直ぐに持ち出すこと。挙げていけばキリがないと父が溜息を吐く。どうやら俺は幼い頃から侯爵家の次期当主として相応しくないのではと、ハイドラジア侯爵家の中で問題視されていたそうだ。幼い頃に婚約を結んだエレアノーラを無下にして、いつもキツイ言葉を吐いていたことも父や母、兄弟からも良く思われていなかったと。
エレアノーラは己の不出来だと言い俺と向き合ってみるから、ハイドラジア侯爵家は俺に忠告することをまだ少し待っていて欲しいと願い出ていたそうだ。
侯爵夫人としての教育もきちんと受けて、怠けることなく前へ前へと進んでいた。俺がエレアノーラとの白紙を望んだ時は、もう婚約を継続することは無理だと判断し、俺の言葉に反論することなくエレアノーラとの関係をなかったことにした。
「……そんな……そんな。エレアノーラは地味で華のない女で……俺に似合う訳がないと……」
「確かに彼女は控えめで派手さはないが、魔力量の多さと貴族女性としてきちんと振る舞えているし、侯爵夫人としての能力に不足はなかった。お前の人を見る目が曇っていただけということだ」
だからこそ、アナベラという奔放すぎる女に捕まった、と父が一気に疲れた様子で言葉を吐いたのだった。
「ではラーフレンシア侯爵家とは……」
「お前がボロを出すのはもう直ぐだろうと判断して、ラーフレンシア侯爵と私は手を組んだのだよ。お前は廃嫡とする、どこへなりと行くが良い。アナベラ嬢は修道院送りとなると聞いているぞ。ナーシサス伯爵家には申し訳ないことをしてしまったがな」
最初から父は俺を追い落とす気だったのか。父はラーフレンシア侯爵家にもナーシサス伯爵家にも頭を下げているそうだ。一方的に白紙に戻したナーシサス家にはそれなりの金を払っていると。
エレアノーラにはその事実をしばらく黙っていて欲しいとも願い出て、話を呑んでくれていると。俺がエレアノーラを責め立てて、父がラーフレンシア侯爵家と結託したことを知る可能性もあるからと。父から受ける厳しい視線は変わらない。足を組み替えた父が、小さく長く息を吐いて。
「お前がエレアノーラ嬢との婚約白紙を求めた際は、我が家の次男を据える腹積もりだったが、ロータス辺境伯家にしてやられたな」
ふっと笑う父は疲れた様子で家宰を呼び、俺に一先ず謹慎だと告げたのだった。






