21:穴に落ちる①
エレアノーラは黒髪黒目でぱっとしない愚図な女だった。どうしてそんな役に立たない女が自身に宛てがわれたのか。
魔力量の少ないハイドラジア侯爵家は、戦況を鑑みて魔力量の高い者を生み出しやすい体質のナーシサス伯爵家に目を付けたのだ。幼い頃に俺の婚約者として宛がわれ、両親からは魔力量の多い子が産まれるまで沢山子を成せと言われ続けていた。魔力量が多い子を次々代の当主にすれば良いとも言い、随分と俺とエレアノーラに期待を寄せていた。
だが、二十年続いた戦争は終わる。
魔力量の多い者を侯爵家に迎え入れるために結んだ婚約は、エレアノーラと婚姻を結ぶ意味は戦争終結とともに薄れた。地味で静かに男の横に寄り添うだけの女に価値はあるのだろうか。
知り合いや友人は見目の派手な女を連れて、楽しそうに夜会に参加している。仲間内から俺の顔と宛がわれた女の顔が釣り合わないと揶揄われることが頻繁にあり、まるで俺だけが質の悪い女を宛がわれたような気分になり惨めだった。
転機を迎えたのは、二十年続いた戦争が最後の局面を迎えた一年半ほど前だろうか。
王家は各貴族家に戦力供出せよと打診したのだ。領兵を出すか、領民を徴兵するか、魔法を扱える者を供出するか、いずれかを選び戦地に向かえと。
ハイドラジア侯爵家は、王家に忠誠を誓う者である。王家からの命令に逆らう気はなく、防衛線を抜かれれば被害を受けるのは我々であると、傭兵を雇い、領兵も出し、そして次期侯爵である俺を戦地へ向かわせた。前当主が死んだナーシサス伯爵家は、直系維持の為にエレアノーラの弟を向かわせず、魔力量と魔法が扱えることを理由に挙げて女が戦地へと旅立った。
気に入らなかった。魔力という不可思議な力によって、男としての価値が腕力の弱い女に負けてしまうことが。しかも美人でもなく華もない地味で愚図な女が、戦の大事な局面で役に立つと選ばれたことが。だから俺は必死になって武功を上げたのだ。エレアノーラより勝る武功を上げた。軍神には負けてしまったが、軍神がいなければきっと俺が彼の魔術師を屠っていたに違いない。
そして二十年戦争は終わった。無事に役目を果たして生きて戻ってきた。酒を飲む量は増え女を買って――戦場では誰もが女を買っていた――いるが、変わったことはそれくらいで、いつもの日常が戻ったのだ。仲間が俺を庇って死んだ。だが俺は生き残った。神が俺に生きろと告げて、代わりに仲間の命を奪ったのだから。そう、俺は生き残ったのだ。神の選別を受けて尚。
戦争も終わったならば、魔力量の多い子を望む理由もあるまいと、エレアノーラとの婚約を白紙に戻した。ハイドラジア侯爵である父からも許しを得た。
だから白紙に戻すことを宣言した翌日、ナーシサス伯爵家を呼びつけて契約書を破り捨てた。そのあと父とナーシサス家の者がなにか話していたが、あの女から解放された清々しい気分を堪能するために王都の街をぶらぶらしながら女を漁った。
――なのに。どうしてこうなっているんだ。
愚図でぱっとしない女のエレアノーラは、婚約を白紙に戻した日に新たな男を手に入れていた。しかも二十年戦争を終結に導いた立役者で、以前から軍神と名高いフェルス・ロータス辺境伯子息である。下手をすればハイドラジア侯爵家よりも家格が高く、現在王国で最も名の売れている家の者だ。対して俺が新たに結んだ婚約は、ラーフレンシア侯爵家の女で美人ではあるが、それ以外特に優れたことはない。
エレアノーラと違い、ドレスと宝石をよく強請り、女の癖に婚前交渉も当然のように強請ってくる。婚約を結んでから数ヶ月で俺の資産が随分と減ってしまっていた。相手がエレアノーラであれば、こんなことはなかったというのに……ふと思い至った考えに首を振り、はっとする。そうだ。まだ夜会会場に俺はいたのだ。
ふと腕の違和感を感じて左側に顔を向けると侍らしていた、アナベラの姿がない。あの女はどこに行った? 探すのも面倒だが、婚約の時にアナベラを一人にしないと契約してある。契約を破ると違約金を払わなければならず、面倒だが探さなければと舌打ちすると、周囲の者が俺に視線を向けながら、ひそひそと言葉を交わしていた。
「おい、軍神に楯突いた男は本当にハイドラジア侯爵家の者なのか?」
「侯爵家に属する者があんな横柄な態度を取るのか? 楯突いたハイドラジア侯爵家の隣にいた女性は確か、ラーフレンシア侯爵家の者だったか。確か……」
ラーフレンシア侯爵家が持て余している問題児ではなかったか、と声が聞こえた。嘘、だろう。薔薇の大輪が咲いたような美しいアナベラが、ラーフレンシア侯爵家が持て余していた問題児だとは。父は俺がアナベラとの婚約を結びたいと申し出た時、なにも問題があるとは告げなかった。次期侯爵である俺に宛てがう者が相応しくない相手であれば、婚約を結ばせる訳がないのだから。
何故、父は俺にアナベラを宛てがい、ラーフレンシア侯爵家は俺にアナベラを宛てがうことを望んだのだ……。まさか、まさかな。あり得ないと、また首を振ってアナベラを探すため、重い足を叱咤して夜会会場を一旦出る。
面倒ではあるがアナベラを探さなければ。愛し合っているならば目を離すなと父から言われ、ラーフレンシア侯爵家の馬車までアナベラを送り、乗せることを義務付けられている。
会場の建屋の中を探してもアナベラの姿はない。一体どこに行ったのだ。残りは会場の庭園なのだが……行きたくないのが本音だ。興が乗れば俺も庭園に出て、アナベラと共に楽しんでいただろうが今日は気分じゃない。でも探さなければ。重い足を動かして庭園へと向かう。人目に付かない場所で、本来いないハズの人間が数組いることを気配で察知した。
そうして顔を左右に振りながら、庭園を探しているとアナベラの享楽に浸る声が聞こえたのだった。






