02:婚約白紙受理
戦勝祝いの会場から抜け出して、一夜明けた。衆目の中での婚約白紙宣言だったから噂の流れも早いだろう。一方的に白紙宣言をしたカイアスさまが悪いのか、彼を止められなかった私が悪いのか。判定は周囲の皆さまが下してくれるはず。
自惚れかもしれないが、侯爵家と伯爵家との縁談が白紙に戻されたという、世間、とくに貴族の間で興味を引く話題だから、王家にご迷惑が掛からなければ良いのだけれど。とにもかくにも家族の弟と母に事態説明をしなければと、王都のタウンハウスに戻って早々、家族を呼び事態を告げたのが昨夜だった。
次の日の真昼間。ナーシサス伯爵家の当主が座すべき椅子の隣には、私の母の姿があった。弟も応接用のソファーに座しており、心配そうに私の顔を見上げている。朝一番に、ハイドラジア侯爵家から使者が送られ、一通の書状を受け取っていた。中身は婚約白紙を告げるもので、侯爵家より爵位が下になるナーシサス伯爵家は受け入れる他なかった。
「ごめんなさい、エレアノーラ。ナーシサス伯爵家の力不足が……ひいては私の無能が貴女に無用な傷を付けてしまったわ……」
私の名を呼んだ母が沈痛な顔をして、小さく頭を下げた。本来であればナーシサス伯爵家の当主は父が務めているはずだった。けれど二十年戦争の真っただ中で、父は国のため、領のためにと運悪く命を散らしていた。
優しい人だった。ハイドラジア侯爵家との縁談が決まった際も、妙な貴族家に嫁がせなくて済んだと大層喜んでいたというのに。現ナーシサス伯爵家の当主はお飾りである。なぜならば、弟は父が戦死したことで随分と早く当主の座に就くも、十四歳とまだ未熟で当主教育を執り行っている最中で、伯爵家当主を務めるだけの力量を持ち得ていなかった。
弟の代理を務めるのは母と、先代当主を長年支えてくれていた執事である。
二十年戦争によって当主を失った家はいくつか存在するし、男手を失い、人手が足りず女性が戦場に立つこともあった。父を失ったナーシサス伯爵家が次代である弟を失う訳にはいかず、弟の代わりに私が戦場に出た。
尤も功績を上げたとされる次期ロータス辺境伯さまには全く敵わないが、ナーシサス伯爵家の特徴である豊富な魔力持ちと魔法を使えることで、私も少なからず国に貢献できたはずだ。元婚約者であったカイアスさまより低くなるが、戦場で敵の魔術師を見つけたことを評価され、王家から勲章と少しばかりの恩給を頂いている。
父が亡くなり悔しい思いもあったが、王家に多少なりとも尽くせたことは貴族として誇りに感じていたけれど……貴族令嬢としては、泥の中に放り投げられた状態になってしまった。でも私のことはどうでも良い。ナーシサス伯爵家が世間の皆さまから、悪いように見られないかが問題だ。それにカイアスさまの評判も落ちなければ良いのだが……。
母によるとハイドラジア侯爵家から一方的に婚約白紙を告げられたそうだ。一晩で婚約を白紙に戻された手早さになにか裏があるのではと勘ぐってしまうが、今更考えても遅い。
「お母さま……謝らなければならないのは私の方です。ハイドラジア侯爵家との縁を無に帰してしまったのですから。カイアスさまとの仲が上手くいっていると勘違いしていた私の自惚れが招いた結果です」
もっと上手くやりようがあったのではと考えてしまう。ピンクブロンドで女性として魅力的なアナベラさまのように、彼に侍っていれば良かったのだろうか。貴族に属していると、どうしても爵位がモノをいう世界である。仕方のないことかもしれないが、随分と一方的なものだった。
「姉上、申し訳ありません。僕がもっと確りとしていれば、こんな事態にはならなかったはずです……」
弟が床を見つめながら、膝の上に置いた握り拳は悔しさで肌色が青白くなっている。二十年戦争がなければ、こんな思いをしなくていたかもしれないと考えが頭に過ぎる。
でも現実には二十年戦争が起こってしまい、ナーシサス伯爵家は父を失い、この国に住まう方々もなにかしらを失っている。勝って得たものは、いくばくかの平和な時間。その平和な時間の間に、どれだけのものが取り戻せるのだろう。壊れたものは元に戻せば良いけれど、亡くなった人は戻ってこない。それでも生きているから前に進むしかなくて、日常を一日一日過ごしていくしかなくて。
まだ幼い弟が悲惨な戦場に立つことがないようにと、願うしかない己の無力さを打ち払うように、弟が座すソファーに私も腰を下ろした。
「心配してくれて、ありがとう。私は大丈夫」
だから次の婚姻先を探さないと、とは弟の前では言えなかった。次の婚姻先はおそらく老齢男性の後妻が妥当だろう。王国貴族の婚姻適齢期は二十歳から二十二、三歳と言われており私は今年で二十一歳。弟は優しい子だから、きっと私のことを憂う。ナーシサス家当主としての重責を担っているのに、余計な心配を掛けさせたくなかった。
「夜会に沢山出席して、素敵な殿方を見つけてくるから」
黒髪黒目の地味で目立たない私の容姿に、興味を持つ男性がいるのかどうかは分からないけれど、このままでは行き遅れとなってしまうのだから。
素敵な男性が見つかる可能性は低いだろうが、幸いにも、王国が戦に勝利したことでお祝いの夜会が多く開催されている。悪食な方がいらっしゃれば私を娶ってくれるだろうと、まだ幼さの抜けない弟の頭を撫でて無理矢理に笑みを携えるのだった。
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